「心より感謝を」劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン 終焉怪獣さんの映画レビュー(感想・評価)
心より感謝を
2020年は世界中の映画業界にとって辛く苦しい1年間となりました。
映画を日常とする私達にとっても楽しみにしていた映画が公開延期となり、寂しい1年間でもありました。
そんな逆境の時代に2度の公開延期を乗り越えて
公開されたヴァイオレット・エヴァーガーデンの完結編となる劇場版。
私も邦画・洋画・アニメとあらゆる映画を観て、
あちこちで多くのレビューを書いてきました。
当然、ヴァイオレット・エヴァーガーデンのレビューも私の足りない語彙力で熱く書いてやると意気込んでいましたが...
やっぱり語彙が足らないのか上手く言葉に出来ません。
映画は総合芸術であり、更に日本アニメ映画は文学映画として側面が強いと言う持論を持っています。
京都アニメーションが描くこのヴァイオレット・エヴァーガーデンは、正にその極致にある作品に思えました。
ただただ美しい...
人間ドラマに重きを置く邦画を多く観ている方の中には、「丁寧」や「繊細」と言う言葉に辟易する事もあると思います。
余りに人間描写に力を入れすぎると「くどい」、「冗長」と成り下がります。
この部分が良くも悪くも日本人の民族性です。
ここまで書くとこの劇場版も多分に漏れず、冗長な描写と思われがちですが、私はそんな気持ちを微塵も持ちませんでした。
ヴァイオレットの少佐への盲目的なまでの感情は、
本当に「丁寧」で「繊細」で「綺麗」です。
最後、海に飛び込む描写にリアリズムを持ち出すのも不適切です。
日本人が「愛してる」を「月が綺麗ですね」と比喩するようにこの2人の行動自体が芸術なのです。
音響も素晴らしく雨音、足音、床のきしみ、着弾の衝撃音...1つ1つの音も大切にしているのが伺えます。
また本作は栄枯盛衰を描いている点にも注目してほしいです。
その時代を生きている当事者達にとってその瞬間こそ最先の未来であり、最新のテクノロジーを持っています。
そんな最先端も100年後には遙か彼方のテクノロジーとなり、古き良き時代と記録される時が訪れます。
この劇場版では「手紙」や「自動手記人形」は、
やがて静かに役目を終えて、
「電話」や「電波」が世界を覆い尽くす時代の足音が聞こえ来ます。
しかし劇中の登場人物達は、その流れを否定せず、肯定します。
郷愁にふけつつも今の時間を大切にし、新しい時代を受け入れる精神は、今の我々に必要なものに感じます。
ここまで参考にならないレビューで申し訳ありません。
ここから私的に胸に響いたシーンを。
○神回と名高い第10話のエピソードを冒頭に持って来て、本編に絡ませた演出に涙。アンも人生を最後まで精一杯生き抜いたんだね。
○ディートフリートとの絡み全般。彼もまた1人で抱え込む人間だったのですね。ヴァイオレットを気遣う描写が素敵です。ラストのギルベルトへの「行けよ」が無ければ2人の再会は叶わなかった。
○ホッジンズの父性。ヴァイオレットに対して父親のような愛情があり、最後ヴァイオレットに話しかけようとするも、もういない事に気付いたシーンは泣きました。
○ユリス君とのエピソード。彼のサムズアップを後世に繋いだのも素敵。
○少佐を前に涙で言葉を詰まらせて喋れないヴァイオレットの破壊力。健気過ぎて可愛い...こんなに一途に想われるギルベルト少佐が羨ましいです!
○ヴァイオレットの表情全て。日常での何気ない仕草、微笑み。少佐を想う時の照れ顔、泣き顔。全てが愛おしい。アニメの女性キャラの感情1つ1つに心揺さぶられた事は無かったです。これも京都アニメーションの繊細な制作だからこそ。
○「みちしるべ」が流れ始めてからの海辺での再会シーン。全てが報われた瞬間。ここは色々な感情が溢れて泣きました。あなたの声がみちしるべ...ヴァイオレットには幸せになって欲しい。
最後に京都アニメーションに感謝を伝えたいです。
あの凄惨な事件から数週間後、居ても立っても居られず、京都へ行き献花をして参りました。
あの時は何をしてもいいのか分からず、無我夢中で行動をしてしまいました。
もう語る必要は無いのですが、
京都アニメーションはもう日本だけではなく、
世界の京都アニメーションです。
あの時、世界中の人々からメッセージが届いたのを
誰しもが覚えています。
こうして劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデンを完成させ、世に出してくれた事に心から感謝します。
本当にありがとうございました。
このヴァイオレット・エヴァーガーデンと言う作品は一生の宝物です。