「「感動」の陽光に晒されたのっぺらぼうのアニメーション」劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン 徒然草枕さんの映画レビュー(感想・評価)
「感動」の陽光に晒されたのっぺらぼうのアニメーション
1)アニメーション映像について
アニメーションの技術にはとんと素人の小生でも、京都アニメーションのきらびやかで豪奢な映像という特徴くらいはわかる。確かに、静止画、ポスターなどで見たら、さぞや惹きつけられることだろう。
ところが、2時間以上の映画の始めから終わりまで、あの調子でやられたらどうなるか。その見本が本作である。
空は澄み切った深い青でなければならず、夕焼けは地平線に沈む太陽が棚引く雲を赤赤と染めなければならず、逆光のシーンはレンズのフレアやゴーストで煌めいていなければならず、少女はスリムで足が長く瞳が大きくなければならず…
こういう画一的な表現は、映像が豊かというのではない。単調で退屈で貧弱というべきではなかろうか。
2)ストーリーについて
第一次世界大戦前後のヨーロッパを舞台にしてはいるようだが、基本的におとぎ話だからつまらないツッコミはやめておこう。ろくな判断力もない、コミュニケーション能力に疑問符のつく少女がなぜ兵士になり、なおかつ有能なのか、などとは聞くまい。
だが、上官の少佐が何故、この少女を愛したのか、少女は何故、この少佐を愛したのかという理由になると話は別である。そこには見る側の共感を呼ぶ感情のリアルがなければならず、それが「感動」を生むからだ。
ところが、ここにはそのような共感を呼ぶものがカケラもない。少女は機械のような応答をするばかりで、いっこうに面白くも可愛くも美しくもないし、少佐にも別に魅力というほどの特徴もない。
サブストーリーで重い病の少年と家族、友人との関係だって、そこらによく転がっているお涙頂戴もののありふれたお話だ。
元・兵士で現・代筆屋の両手が義手の少女という設定は面白いのだが、変わっているのはそこだけで、あとは映像と同様、内容も画一的だ。ここには人間関係の機微、感情の濃淡、抑揚がまるでなく、あるのは丸出しの愛情、思いやり、善意アピールだけ。
登場人物は皆、外からは理由もわからないまま、「愛してる」等と言い続ける人形なのである。
3)BGMについて
冒頭からエンディングまで大仰な感動的BGMが流れる映画は久しぶりだ。始まってからすぐに、等唐突に感動を誘うかのような音楽が流れ、全数十巻の大河恋愛小説が、ここでいきなり最終章の大団円を迎えたかのような印象を受ける。
これは滑稽以外の何物でもないのだが、まさか映画全編にわたってこの大団円が続くとは、誰も予想できないに違いないw
4)陰翳、抑制の美の欠如
以上のように、映像も音楽もストーリーも抑揚がなく、全部「感動」の陽光に晒されたのっぺらぼうのアニメーションが本作である。陰翳とか抑制の要素がまったく欠けていて、作品が「感動」とか「愛情」を叫べば叫ぶほど、何やら白白した空虚なものが漂う。まさに「残念でした」の一言である。