「手紙って、そんなに大事なのかな?」劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン スカポンタン・バイクさんの映画レビュー(感想・評価)
手紙って、そんなに大事なのかな?
ネタバレはする。不快な言動も多分ある。なので、自己責任で。
◯視聴時の状態
→テレビシリーズ視聴済み、外伝アニメ未視聴、原作未読。
◯事前のこの作品への考え
そもそもそんなに傑作とも駄作とも思ってはいませんでした。まぁ、自分の倫理観的な所でいうのであれば、悪い印象の方が多い作品ではありましたが。特に、50年の手紙を書く母親というのは、個人的には「母の愛」というよりは「作家の狂気・後世に生きた証を残したいエゴ」に近いものを感じて、子供は気の毒だなぁと思いました。でも、一概に悪いって言うつもりもないといいますか。逆に後世に残るだけの手紙を書いたって事を考えるのであれば、それはきっと価値はあると思うんです。本来このエピソードから受ける感動とは違うとは思いますが。
◯劇場版をザックリ一言
なんでしょう、パッと思いつく事としては「虚無」「長い」「パッチワーク」とかでしょうか。
◯こういう人にオススメ
・京都アニメーションのアニメーションが好きな人。
・テレビシリーズがそんなに好きではない人
>>好きな人の場合、この映画の結論とかに賛否分かれる部分があるので、そんなにオススメはできないです。
・テレビシリーズを懐かしみたい人
>>テレビシリーズを思い起こさせる、というかフラッシュバックするような所が多いので、「あの頃」を思い出したい人にはいいかもしれない...。ただ、ifストーリーぐらいに考えた方がいいかも。
◯星評価
3
映画鑑賞後、ザックリ他の人のレビューを読んだんですが、個人的には否定派の意見の方がスルスルっと入ってきましたね。高評価は、なんか全体にボヤッとしてる所が多く、自己評価を上げるほどの何かはなかったです。ただ、そんな星1!とかにする程かって感じもあって、3.5を平均だとすると、ちょっと期待を外したかなぁぐらいに考えて3です。全然、楽しめる所がないわけではないです(どう楽しんでるかは割愛)。
個人的には正当な見方で幸せになれるのがベストなので、「ここが良いんだよ!」って推しポイントは誰かに聞きたいなぁって思いますね。「お前の感性が鈍いんだよ!」って思う人は、ぜひ私の先生になって優しく良さを教えてほしいですね。
◯良い所
絵は流石と言って良いでしょう。これだけ良質なアニメーションが観れる機会があるという事自体には、喜ばしいものがあります。
あと、キャラクターは魅力的だと思います。ベネディクトの女性的でセクシーな感じとかも素敵だなぁって思いました。現代劇ならね...。
◯詳細な感想
詳細とは書いたんですが、映画のディテールに関しては、言い出すとキリがないんで、そこはあんまり追いません。ツッコミだらけになってしまうんで。
まずは、とにかく話がよく分からないってのが大きいですね。いや、話がないって言った方が近いでしょうか。勿論、この映画の根幹と言えるのは「ヴァイオレットと少佐の関係が完結する」ということでしょう。ただ、それを考えると、病気の子供のエピソードというのは、その根幹にとって何を意味しているのか、機能しているのかが全然分からない。単に個のエピソードであって、この作品全体を通した話として独立し過ぎてるのは如何なものかと思いました。さらには、根幹そのものが全然進まないというか、完結に至るまでのドラマがあまりないので、イマイチ盛り上がりきっていないという印象を受けました。個人的に思ったのは、少佐が生きてる事を割と序盤から見せるというのは「よかったのか?」という事です。個人的には、序盤からそこを割り切ってくれるの自体は、「実は生きていた」系の不快感を割り切りやすくなるんで、良いと思っているんです。ただ、主人公のヴァイオレット自身は、「会いたいなぁ」「もしかして、生きてる?」「生きてたー!」という感情の流れをかなり長い時間でやってしまうため、せっかく割り切って少佐の生存を見せてる所がイマイチ効果が出ていないと感じました。観客が2、30分で知って飲み込んだ事実を、倍以上かけてやるって凄い薄めた感がしました。この辺の尺調整の歪さが、「話のなさ」を感じさせる原因かなぁと思いますね。
次に思うのは「手紙」についてですね。この作品において、手紙というのは何なのでしょうか?1つには、ヴァイオレットが人の思いに触れて知っていくためのツールでしょう。それについては、テレビシリーズがやっていましたし、劇場版でも(それが上手く機能してるかは置いといて)やっていました。2つには、手紙というのは「すぐに会えない遠方の人、直接伝えるのが憚られる人に想いを伝える」という所だと思います。ここがこの作品では疑問なんです。映画だと、病気の子供のエピソードが分かりやすいと思います。彼が最期、危篤状態になった中で仲違いしていた「友達」と「電話(重要)」でやりとりするシーンです。友達は別に走って駆けつければ良かったんじゃないでしょうか?結構遠方だと思われるのに、ベネディクトとかはデカイ電話持って走って行くわけじゃないですか。それ、全然できましたよね?じゃあ、何故しなかったのか?手紙が要らなくなってしまうからです。挙げ句の果て、彼らが和解するために使われるのは「電話(重要)」なので、やっぱり手紙は要らなくなっているんです。
さらに言うと、このアニメは「代筆」というのが描かれるわけですが、その魅力を伝える話としては一貫してないって弱点もあります。それは、テレビ第5話の姫の文通が顕著で、あのやり取りに代筆は全然関与していないんです。つまり、このアニメは感動の作品として成功してるのかもしれないですが、「代筆」「手紙」の良さを伝えるという意味では失敗してるんじゃないか、と思っています。特に、映画を観て「手紙って良いなぁ」ってなるかというと、「直接会えるなら、会っておけ。これが最期かもしれないんだぞ」という思いが強すぎて、手紙の事は消えてしまいました。
◯最後に
ここまで、読んでくださりありがとうございました。私自身、文章を綺麗にまとめるというのが得意でなく、それで苦労してる人間なので、それでも誰かがこれを読んで何かを思ってくれたなら幸いです。だから、私はこのアニメではテレビ第5話だけは大好きなんですよね。代筆はともかく、手紙で精一杯思いを不器用に伝え合う2人に凄くロマンを感じます。オススメです。では、また。
◯余談(気になった事)
カマキリのなくなった前脚。どうしてないんだろう...。
minagippu様
コメントありがとうございます。
(返信ってできたらいいんですけど、できなそうなので、ひとまずコメントを置いておきます。読んでもらえれば幸いです。)
『「今の姿を見られたくない」という点に矛盾が起こらないように電話でのやり取りにした。』という視点は興味深かったです。それで納得ができたかというと、残念ながらそこまでにはならなかったのですが、キャラクターの台詞がその後の展開の裏付けになってるという見方は確かにある種一貫した繋がりがあるなぁと思いました。
ただ、なんで納得がいかなかったかというと、やはり「今しかないんだ!」っていう感情からの行動とはどうしても思えないからだと思います。結局、友達が電話するに至るまでに一番頑張ったのは、友達自身じゃなくて、代筆屋一行なんですよね。これは、まぁ代筆屋のメインキャラたちの活躍の場を持たせるため、とかだと思ってるんですが、それによってこの話のメインキャラである病気の子供とその友達がアクションを起こす機会を奪ってしまっているのは、どうなのだろうか?と思ってしまうんですよね。
ただ、うーん。
これ、もし友達が走って直接会いに行くってアクションをやっちゃうと、その後の少佐が走り出すって、完全に再放送になっちゃいますよね。wそうなるよりは良かったと言うべきなのか、映画に入れるエピソードがそもそも適切でなかったということなのか。もっと手紙が活きるエピソードの方が。レビューでも書いちゃいましたが、活きてるの電話ですからね。代筆屋の話とは何なのか。
意外と根が深い問題なのかもしれないですね。
子供の友人が駆けつけてくれば~の下りですが、ここはヴァイオレットが手紙を書きに行った際に子供本人が「自分の今の姿を見られたくない」と言っていたので矛盾が起きないよう電話にしたのではないか?と思います。