「底の浅い世界観の上を言葉だけが上滑りしている」劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

2.0底の浅い世界観の上を言葉だけが上滑りしている

2020年11月20日
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鑑賞方法:映画館

 同じ京都アニメーションの作品でも「聲の形」とは随分世界観が異なる。「聲の形」は差別といじめ、ひいては格差社会の不寛容を描いていて、問題の根深さを浮き彫りにしていた。しかし本作品は家族が大事、友達が大事、愛する人が大事というステレオタイプの世界観で、戦争の不幸を背負って生きるヒロインの悲しみがあまり伝わってこなかった。
 大切な人という言葉には昔から違和感がある。大切な人という言葉の対極には大切でない人、またはどうでもいい人が存在する。世の中の人間を大切な人とそうでない人に分けている訳だ。大切な人の死は悼むが、それ以外の人の死はどうでもいい。
 たしかに日本だけでも毎日3,000人以上、世界では毎日15万人以上が死んでいるから、見ず知らずの人の死を悼む暇はない。しかし理不尽な死は別だ。理不尽な死の最たるものが戦争の惨禍で死ぬことである。国家的規模で多くの人を死に追いやるのは許されるべきことではない。戦争で大切な人が生きていることを願うのは自然なことかもしれないが、多くの人が多くの人にとっての大切な人であるという事実もある。

 戦場の多くの屍体を乗り越え、大怪我を克服したヒロインにしては、トラウマが感じられない。ギルベルト少佐から教育を受けて博愛と平等の精神を身につけたのだろうが、戦場の極限状況は人間から理性を奪い去る。ときに異常な行動を取るシーンは必要だったのではなかろうか。でなければ戦争はストーリーのための設定に過ぎず、少佐と引き裂かれる理不尽な運命の舞台装置という軽い扱いになる。

 劇場は16時からという早めの上映にも関わらず、女性客でいっぱいだった。終盤では両隣の女性客をはじめ、沢山の啜り泣きが聞こえた。評判のいい映画なのであまり悪いことは書きたくないが、本作品には哲学が感じられず、ヒロインの心情にのみ寄り添うようなところがあった。評判の高い文章がどれだけのクオリティなのかに非常に関心があったが、ヒロインが実際に綴った文章が紹介されることは最後までなく、とても評判がいいというだけで済まされてしまった。ほとんどの台詞がステレオタイプで、シーンを鑑賞しつつ、こういう台詞でなければいいなと思った期待はほぼ裏切られた。指まで動かせる義手が誕生するにはAI制御が可能になる時代を待たなければならないはずだが、交通機関や建設方法は古いままなのにそこだけSFめいていることにも整合性のなさを感じた。
 終始、違和感が先行してしまったので、感動することなしに物語が終わってしまった。最終盤の場面でデイジーがひいおばあさんと言うべきところをおばあさんと言ってしまったのは、意図的だったのだろうか。底の浅い世界観の上を言葉だけが上滑りしているような印象の作品だった。

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耶馬英彦