「ただひたすらに美しい、純粋でまっすぐな愛の物語。」劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン mary.poppinsさんの映画レビュー(感想・評価)
ただひたすらに美しい、純粋でまっすぐな愛の物語。
そしてこの映画で描かれる「愛」は、恋愛だけにかぎらず、友愛、家族愛、隣人愛、地元愛、…そんなすべての愛をひっくるめた意味での「愛」でした。
絵もアニメーションも音楽も話も、すべてが美しく、画面のすみずみにまで想いをこめられていることが伝わってくる、丁寧に描かれた作品でした。静かで優しい世界につつまれたい時、見るとよい映画ですね。登場人物の名前がみな、色とりどりの花が咲き乱れていて、これもまた綺麗です。
私は昨年あの悲しい事件のニュースを見るまで、京アニの名前すらも知りませんでした。
あの事件をきっかけに、TVシリーズ未見のまま初めて見たのが、昨年公開の映画。これも優しさにあふれた美しい物語でした。その後、TVシリーズで最も人気のあるらしい話を25分だけ見る機会があり。(幼い娘を残して病で死にゆく母が、毎年娘の誕生日に手紙が届くよう一生分の手紙を書くという話)
それだけの知識しかない状態で今作を見ましたが、それでも話のすじは追える映画になっていました。
もっとも、シリーズ全部を見た人なら、もっともっと深く感動できるのでしょうね。
登場人物それぞれの成長や変化も感じられますし。ほんの小さな感情の揺れも、たとえば時折、大切そうにふれるブローチやリボン、ささいな持ち物でも、その物にこめられた大切な想い出や誰かの記憶。初見の人にはわからないけれど、小さなしぐさにも何か感情がこめられていて、知っている人には、心に響くものがあるのでしょう。
手紙が風に飛ばされて、遠く遠くまではこばれてゆく映像、詩的で美しかったです。 現実的に、手紙が破けず地面に落ちずあんな遠くまで飛んで行くの…?なんて考えるのは野暮で、あの映像は「手紙ははこばれ、いつか誰かに想いが届けられる。人が思うよりもずっとはるか遠くまで。」ということを象徴的に表現しているのでしょう。なんとなく、昔みた映画『フォレスト・ガンプ 一期一会』(かなりヒットした洋画)のプロローグ、風にのって白い羽が舞うシーンを思い出しました。これは1人の人生をみつめ、過去から現在までの長い時間を描いた映画でした。
手紙は誰かにむけて差し出され、想いを届けるもの。時には、過去から未来まで時をも越えて、知らない誰かのもとに届き、それが新たな出会いとなって、人はつながり人生はめぐりめぐってつながっていくのでしょう。生まれ育った場所や、今生きる場所の違う人々同士も、離れ離れになった人々や、本来なら知り合うこともなかった人々同士さえも、手紙はつなげてしまうのです。そんなことを感じました。 デイジーは、ひいおばあちゃんからおばあちゃんへの古い手紙を通して、2人の人生にふれ、さらに、本来なら出会うはずもなかった人々と出会うことになります。
のちに郵便局が博物館となった時、見守っていた、かつてここに勤めていたと言うおばあさんは誰なのか、私にはわかりませんが、TVシリーズからずっと見てきた人にはわかるのかな。
島の小さな郵便局のおじさん、にっこりしてGoodのしぐさを見せた時。もしかして彼は、あの少年ユリスの、小さな弟だったシオンなのでは、と思いました。あのしぐさ。幼くして兄と別れ、一緒にすごす時間はあまり無かったかもしれないけれど。あれは兄のよくやるくせのようなしぐさだったかもしれない。幼い弟はそれをまねしたりして楽しい記憶が残っていたのかも、なんて、想像にすぎませんが。
さして目立つこともなく物語の中ですれちがうだけのささやかな登場場面しかない人物たち同士も、こうしてまた新たな出会いが生まれることによって、人生はつながり、いつしか物語はつながってゆくのでしょう。
もちろん、現実的に考えたら、ちょっと気になる演出はあります💦
そんなに雨が強いのに、ドア越しに小さな声が聞こえるわけない…
その年頃の子供達集団って、もっときかんぼうで騒ぎまくるよ(笑)…
登場人物の名前からするとドイツっぽく 景色はパリのエッフェル塔付近っぽく な国だけど、ブーゲンビリアって沖縄など熱帯地域に咲く花だよね、そんな気候なの?
こぼれた真珠のような涙、どんなにふかふかの絨毯の上でも、ずぶぬれの大人2人が入って来たら絨毯もぬれてて、あんなに撥水効果なく 涙の粒は染み込んでいくのでは…?
崖のそばで風が強いのに、かごの中の手紙よく飛ばされないな、ハラハラしたよ…
この時代の花火って白っぽい色ばかりなのは合ってると思う。けどそんなに多種で豪華な花火を連続で打ち上げる技術あったのかな…?
そのドレスで海を泳ぐなんて溺れてしまうよ無理だよ…
指切りの風習って、日本には昔からあったけれど、当時の西洋にもあったの?
など(^_^;)
でもそんなことはどうでもいい、って吹き飛んでしまうくらい、純粋で素敵な映画でしたよ。
枝に結ばれた赤いリボン、何かのしるし?おまじない? 古い映画『幸せの黄色いリボン』、(見たことなくうろ覚えのききかじりですが)戦争か何かに行って犯罪者か何かになってしまった帰らぬ恋人を、ずっと待ち続けているしるしとして、彼が帰ってくる願いをこめて、彼女が家の樹の枝に黄色いリボンを結んでいるんでしたっけ?関係ない?? あの赤いリボン、ヴァイオレットはいつ枝に結んだの?何のために?何十年もずっと色あせず、紫外線や風雨にさらされてもぼろぼろに破れず、そのままなの??? 何か意味がこめられてそうな場面なんだけどな。
ああそれにしても、ヴァイオレットは、出会う人がみな「まあ素敵、本当にお人形さんみたいね!」とみとれてしまうほどの美しい少女なのに、愛する人との再会の時には、ぼろぼろの姿で泣き崩れて。いちばんきれいな姿を見せたいはずの人の前では、いちばんぶざまなひどい姿と表情になってしまい(笑)何ひとつ飾ることなく、ありのままの不器用な感情をぶつけて。真摯で純粋なぶざまさが、なんだかとても可愛らしく、ほほえましささえ感じました。
すべての仕事を終えて郵便局を辞め、島の愛する人のもとへと向かうヴァイオレットの歩く足音が、時計の音とかさなってきこえた時。時を刻む音の響きはまるで、「時はみじかし。命はなおみじかし。思うままに生きよ」と言っているように感じました。(時計仕掛けの心臓の音も連想してしまいますが、機械化は彼女の腕だけなので無関係ですよね)何度も印象的に映る、あの「道」の景色、「道」はまた彼女の歩いていゆく人生そのものをも表しているのでしょう。
最後の指切り、二人は何を約束したのでしょうか。(もしかしたらこれも、シリーズ通して見てきた人ならわかるのかな?) ヴァイオレットが上着を脱ぎ、全身白い服になった姿を見るのは初めて。もしかして、白いドレス…つまり結婚の約束、永遠の愛を誓う指切り。ベッドの上で、それはこれからいつか生まれる新しい命の誕生を暗示しているのでしょう。やっとめぐり会えた二人に幸あれ。そしてすべての人々に優しい物語がつづいていきますように。そんな気持ちになれる映画でした。