ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドのレビュー・感想・評価
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予習必須だが おかげで楽しめた
予習しないとわからない という噂を聞き、今回はめちゃくちゃ予習して行った。
隣人であるポランスキー監督と女優シャロンテートとは誰か。彼らが巻き込まれた事件とは何か。その犯人であるチャールズマンソンとはどんな人物か。
ウィキペディア時代の恩恵で、上記くらいのことなら、昼飯食いながらでひと通り読めるってのは、ありがたいよなあ。
予習したおかげで、監督が描きたかったのであろう2つのことはわかった。
ひとつは、「この誰も彼もがクソッタレな、俳優を中心にした “映画に関わる人々” を、監督がどれだけ好きで愛しているか ということ。
もうひとつは、あの実際に起きてしまった事件は、「映画だったら こうなってるはずじゃないか!」という 監督の悲痛な叫び。彼なりのファンタジー。だから「むかしむかし、ハリウッドでは…」というお伽話のタイトルなのか。
両方に共通して底を流れているのは、監督の映画への愛情、ハリウッドに対する故郷感。
この文脈でこの映画を観た時、ブルースリーは決して揶揄されているわけではないことがわかるだろう。彼もまた、クソッタレで愛すべき者たちのひとりだと監督は言っているんだ。それは、事件の被害者であるポランスキーとシャロンテート以外で、本名で出ているのが、ブルースリーとスティーブマックイーンだけだということからもわかる。彼らは、まさに当時の大スターだったということを示している。
俳優が 大衆によって神格化されることを あまり好ましく思ってないのかもしれないね。
しかしマックイーンは似てたな。
予備知識があれば、楽しさ倍増映画です!
これから観られる皆様には、少なくともシャロンテート殺人事件の概要だけはチェックして映画館に行ってください!これがわかってないと、見終わっても???になる映画だからです。
タランティーノによる古き良きハリウッドへの愛をビンビンに感じることが出来る、期待を裏切らない出来になってます。ディカプリオの哀愁、ブラピのアニキっぷり、マーゴットのキュートなミニスカ姿など見どころたくさんです。
最後に一言。
「ストーリーなんてあるようでないよ。だってタランティーノだもん笑」
すごい映画ってこういうものだと思う。。
ディカプリオとブラットピットのやりとりのあるシーンを見逃してなければ、最後の終わりがハッピーエンドだということがわかるはず!!
さすがクエンティンタランティーノ監督。。
キャストもまぁー豪華なこと!!(−_−;)
ディカプリオお得意の怒り狂うシーンもあったし、タランティーノ監督がよく扱う残虐的な演出もしっかりありましたね笑
いろんなエンターテイメントの要素が詰まった質の高い映画だと思いました✋🏻
オモチャ箱ひっくり返したような
家に遊びに来いって言うから遊びに行ったらオモチャ箱をひっくり返してコレクションを見せられてコレで遊ぼう面白いだろ?な?な?な?と延々と帰してもらえないような映画。
豪華キャストの無駄遣い。
幼女がとても良かった。
タランティーノ節全開のエンターテイメント作品
なぜかこの作品のウィキペディアにスリラー映画と書いてあったり、この作品の解説に‘’シャロン・テート殺人事件を元にした映画‘’と書いてあるのもあるが、シャロン・テート殺人事件の要素はありますが、なんと…そもそも殺人事件起きません(これも観ている人をいい意味で裏切ってくれるタランティーノらしい)タランティーノの趣味全開にしたエンターテイメント作品です。他のタランティーノ作品と同様に元ネタが分からないと楽しめない部分もあるが、60年代の雰囲気やその時代に活躍した役者が出てくる世界観がたまらなくいい。ブルース・リーの作品や、スティーブ・マックイーンの‘’大脱走‘’は観ておいた方が楽しめると思う(というか大脱走のネタは観てないと全く分からない)エンドロールでタランティーノの世界観全開の小ネタがあるのでお見逃しなく(今回タランティーノ本人は出てこなかったな?と思っていたが、エンドロールのCMを撮ってるのがタランティーノ?)
要するに、ジャズなんだと思う。ジョン・コルトレーンのやったフリージ...
要するに、ジャズなんだと思う。ジョン・コルトレーンのやったフリージャズみたいな感じ。
自分の好きなものを好きなだけ詰め込んで、好きな方向に好きなだけ飛ばしてる感じ。
おとぎ話にして、めでたしめでたし、にして良かったとも思う。
見様によっては、支離滅裂なツギハギ話。
でも、見様によっては、すごく尖った切れのいい、それでいてノスタルジックな
いかしたジャズみたいな映画
後半、タランティーノ色たっぷり。
落ち目のハリウッド俳優と専属のスタントマンの友情がテーマ。
落ち目とはいえ、多少のオファーはあり、その日常が淡々と進んでいく。
後半まではそれだけと言えばそれだけなのに、なぜか見入ってしまう。
スタントマンがヒッチハイクしていた女子を乗せていった先は怪しげな集団生活をしている元牧場。持ち主は盲目になっていてほぼ廃人状態。
スタントマンが帰ろうとしたら、集団の1人がタイヤをパンクさせていて、殴る。その復讐ともとれる行動として、深夜その中の3人が俳優宅に乗り込んでくるものの、スタントマンの飼い犬が警察犬並みに訓練されていて、2人を噛み殺し、もう1人は俳優の経験で使用した火炎放射器で殺される。
スタントマンだけに乱闘はお手の物だし、犬の訓練もしっかりしているという用意周到さと、俳優の我関せずの状況と隣人宅に飲みに行くというシュールさを持ち合わせたクライマックスはいろんな感情が生まれてくる。
TVドラマは「アイ・ラブ・ルーシー」以外はみんな殺人を扱ってる!?
『キル・ビル』の長尺エンドロールで腰を痛めた経験のある者からすれば、極端にエンドロールが短い!いつものタランティーノらしくないといえばらしくない。逆にそれほどまでハリウッド映画を愛していていたんだと伝わってくる内容だ。
扱っている事件が“チャールズ・マンソン事件”なだけに血生臭いものを想像していたのに、肩透かしを食らった観客も多いのだろう。終盤にそのクライマックスを持って行って阿鼻叫喚の地獄絵図をも覚悟していたのに、意外にも・・・といった感じです。
軽くでもいいし、wikiでシャロン・テートやチャールズ・マンソンのことを調べてから鑑賞すると、映画愛でほっこりして帰宅できること間違いなし。もし暇があればシャロン・テートの作品を観ておくと、彼女の美しさにうっとりできるのです。といいつつ『吸血鬼』(1967)しか観たことないかも。
西部劇への愛もマカロニ・ウェスタンの愛もたっぷりだったし、ブルース・リーの扱いもちょっとではあるけど面白かった。エンドロールの最後にはTV版のバットマンのナレーションが流れるので、ここでもブルース・リー演ずるケイトーと関連付けてたんですねぇ。
もう一つ面白いのが女優達の足(の裏)。シャロン役マーゴット・ロビーは映画館で前の背もたれにドーンと素足を乗っけるし、腋毛も魅力だったプッシーキャット役のマーガレット・クアリーも車のダッシュボードに素足を投げ出しフロントガラスには足の裏が映る(けっこう汚い)。さらにダコタ・ファニングに至っては投げ出すどころか足の指で方向を指すという、親が見たら怒り出すような仕草をこなすのだ。ちなみに子役のトルーディ役のジュリア・バターズもブーツを履いていたが足を投げ出していた。ディカプリオだってプールで・・・(もういいか)
一貫したストーリーよりも小ネタを満載して宝箱に入れたかのような映画でもありました。好きなシーンはパンクさせられた相手にブラピが取った行動とか、『大脱走』のオーディション映像が細切れで挿入されてたシーン。誰でもマックイーンになれた可能性があるんですね!
サントラ欲しいわぁ🎵
興奮が止まらないっ!!
1969年ハリウッドから
2019年JAPANにまだまだ、戻れねぇ~💧
お恥ずかしながら係りの方に声を掛けられるまで腰が上がらなかったぁ😅
タランティーノに殺られたぜ!
夏休みは終わった!!
タランティーノがこしらえた最高、最強の「大人様ムービー」体験してみて下さいな!!
評価分かれるだろうなぁ~
テレビ俳優として人気のピークを過ぎ、映画スターへの転身を目指すリック・ダルトンと、リックを支える付き人でスタントマンのクリス・ブースを中心にシャロン・テート愛をタランティーノ流に描いた作品。
69年は私はまだ9歳なので、ハリウッドの華やかさも知らないし、タランティーノが描きたかった良き時代やシャロン・テートが良くわからないで鑑賞しました。
「ヘイトフル・エイト」「ジャンゴ 繋がれざる者」が好きだった私には、物足りなかったですが、2時間半が長いとは感じなかったのは映画好きの心がそう思わせたのかも?
いずれにせよ、大きく評価が2分する作品と思いますので、私は☆半分で。
タランティーノ流HIPHOP
TBSラジオ、アトロクでも宇多丸氏が評論していたように、確かにHIPHOPでの手法としての過去の偉大な楽曲を改めてリミックス、リアレンジしながら、一つの曲に集約、又は積算していくような内容であった。一見すると喩えが悪いが『歴史修正』の言葉が浮かぶのだが、いわゆる『もしも~だったら』というシリーズの引き出しにいれてしまいがちになってしまうところ、今作はラストのオチのところのみ並行世界、否、そもそも主人公二人自体が実在じゃないのだから、世界観だけは同一で主軸が創作という、二次創作モノといったジャンルであろう。そして、確かにどのサイトのレビューにでもあるマンソンファミリーの事件を知ってると知っていないとでは丸っきりこの作品の見方が180度変わってくることを体現した。タランティーノ自体は、知識が無くても面白く作ったつもりと答えてはいたが、アメリカ以外の国、ましてやアジア圏の国ではこの事件やその背景等をそれなりに深く考察していないと、単なる60~70年代の映画ビジネスの世界を紹介しただけの、後は監督流のハチャメチャ演出でクライマックスという別段何の引っかかりもない内容なのでないだろうか。勿論、随所にあの時代の音楽や映画、テレビやそれを含めたアメリカ文化というものを研究発表するという意味合いも存在はするのだが、それはオリジナルを知っていて初めてそのリミックスの妙に関心を抱くもので、原本が分らなければ本作を何処まで愉しめるか難しい。レオ様も、ブラピも確かに存在だけでオーラが目映いばかりのスター俳優であり、この共演そのものが奇跡と言ってしまえばその価値だけで作品なのであろう。でもならば、監督がタランティーノでなくても他に充分スター映画を撮る監督はいる筈。この二人の役どころそのものが映画文化の一つの歴史であり、光と影をお互い入れ替わりながら表現してみせている演出なのであろう。この二人は人間であって人間ではなく、その時代の“空気”そのものである。それを観客に容易に知らしめる為に、あのスター俳優を起用したのだろうと思う。圧倒的人気者だからこそ発するその雰囲気がそもそもカルフォルニアの太陽そのものなのである。バディものとしての出来も充分“ブロマンス”を表現していて良い。
で、本作そのものの本題は殆どラスト位でしか描かれない。そのラストの一点の為にだけ、後半までの話は冗長とも思える抑揚の少ないというか、琴線の引っかからない内容に始終するのである。多分、ここを丁寧に、やもするとしつこい位に説明しないとフリとして機能が劣ることになる筈と思ったからであろう。保険を掛けまくった訳だ。特にブラピがスパーン映画牧場へ乗り込むシーンは、ブラピの目を通しての観客へのイメージの刷り込みとして充分に演出されている。ベトナム戦争帰りの男の目から視るヒッピーのあの狂乱とキチガイじみた退廃は、自分の存在そのものの否定を頭に過ぎらせる程であるが、しかしだからといって自分の過去を否定しない力強さも又、アメリカの一つの顔でもある。
前述した“マンソンファミリー事件”の件は、事実を知れば知るほどその時代の闇をつぶさに垣間見せる。白眉はその主導者たるチャーリーマンソンはワンシーンしか出演していないこと。そしてそのワンシーンの意味が既知でなければ、何の意味もないことも又然りである。何故にシャロン・テートをポランスキー越しに確認したのか。そしてチャーリーはファミリーに殺害指示を出した先であるロマンポランスキー邸であるのに(本作であるように実際は以前の家主に文句があって訪問したのに引っ越してしまっていたのだが、映画音楽産業の連中自体に逆恨みを抱いていた事実)、実行犯達は間違えて隣の家に侵入したのか、それとも以前の牧場でのブラピへの復讐、又は安易にレオ様へのターゲット変更だったのか、その辺りの解釈の幅を持たせつつの世界の分かれ道を巧く作り上げた監督の高い狡猾さである。そしてそこからの圧巻の返り討ちのクライマックス、最後の火炎放射器は正にタランティーノ節の面目躍如であろう。かくしてシャロン・テートは殺されず、これからの映画産業に貢献する程の大女優になる可能性が残り、そして二人の主役も又、浮かばれるかもしれない。『日本が戦争に勝っていたら』的な話の流れではなく、ラストに分かれ道を設置する形はそのまま制作者達の一つの“愛”そのものであり、その表現方法として充分観客に伝わる方法であることを証明してみせた作品であろう。ファミリーの足の裏、シャロンの足の裏、両方とも汚れてはいるし、お互いは偏見のみで相手を理解しようとしない。そんな今の時代にも警報を鳴らすメッセージ性もさりげなく入れている部分も又ニクい演出である。ちなみに腋毛は個人的にはワイルドさをアピールしていて面白い演出だったけどねw
シャロン・テート事件といえばコメディドラマ「SOAP]
シャロン・テート事件で思い出すのは、
コメディドラマ『SOAP』、
テート家で次々に起こる事件を笑い飛ばす。
カルト宗教、悪魔の子懐妊、UFOとの遭遇、祖父は認知症で四六時中軍服着用で紛争地の最前線にいるつもり、空気を読まない腹話術の人形、全てを冷笑する執事(『ミスター・ベンソン』はこの執事のスピンオフシリーズ)等書き切れない。
オーソン・ウェルズ劇場の傑作TVシリーズと共に、再放送もDVD化も望めない。
VHS、βでもいいのでお持ちの方、お宝買います。
さて本作、
♩We haven’t had that spirit here
Since nineteen sixty-nine(1969年)♩
イーグルスがホテルカリフォルニアで
ロック(や生きる為)の魂(スピリット)なんて1969年に置いてきたよ。
と嘆いた1969年に、
タランティーノは何を仕掛けてくるのか楽しみだった。
予想通りといえば予想通り。
タランティーノ好き、映画好きにとっは大満足!
でも、しっかりとしたストーリーは無い!
といっても言い過ぎではありません。
「ニューシネマパラダイス」のラストのラブシーンばかり繋いだシークエンス、あれの映画マニア版ぐらいの受け取り方です私にとっては。
これが観れただけでも満足です。
ブルース・ダーン、ジェームズ・レマーが元気そうでなによりです。
大人な映画
強い個性と巨匠然としたクオリティの両立。
オタク的に追求再現した当時の空気。
奇をてらわず基本に忠実な撮影技術。
これを商業映画でやれる監督は中々いないし、何より時代が許さないだろう。
上映前に流れる邦画の予告を見てしまうと尚更「嗚呼、映画産業の中心はやはりアメリカなんだ!」「なんて大人な映画なんだろう!」と、こちらが赤面してしまうくらい、素晴らしい映画だった。
物語は大半が二大スター(本作では落目)の出演作を観る形式だが(名作への合成?もあったかな)、途中途中で描かれる二人の関係や日常、映画業界の裏側、当時のアメリカ、そしてテートの私生活を並行する形で入れ込みながら、ラストの祭りへ(笑)という流れ。
あらすじを読んで行った私は、衝撃のラストに唖然としながらも、何だか心が温ったかい気持ちで映画館を後にしました。
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