斬、のレビュー・感想・評価
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80分でこんなに考えさせられるなんて…
自分はこの映画は現代の日本のメタファーというマクロな視点ではなく漢になりきれない1人の男の物語というミクロな視点で観ていました
というのも劇中にあるてんとう虫は木を上へ上へと登り空に羽ばたくというセリフ
これは最初、浪人たちが京都へと向かい活躍するという意味だと思いましたが後半同じセリフが出た時、それは主人公が人を斬れる漢へと成長しなければならないという意味に取れたからです
また主人公は妄想の中では復讐を遂げているシーンが随所にあり(最後に澤村を斬りつけ血しぶきを被るシーンがフェイントのように入りその直後まだ澤村に剣の先を突きつけられてるシーンに戻る)コンプレックスが如実に現れてるので焦点が主人公の成長一筋に絞られてしまいました
これを考えるともはやゆうの指カプからの首絞めも主人公の妄想なのではないかとも思いました(首締めは愛情表現ではなく復讐表現かと)
とにかく監督は対談で観客に自由に考えてくださいと仰っていたので色々な解釈ができますね
暗喩の意味合いが解らず、小難しい印象の作品でした。
時代劇好きな父親を誘って、ミニシアターの京都シネマで鑑賞。 映画を鑑賞後、作品の意図する意味合いがイマイチよく理解出来なかったので、映画秘宝などでの塚本晋也監督のインタビュー記事を拝読しますと、監督自身の初の時代劇映画という事で、あのレイテ島戦記を描く『野火』と地続きの、今作は「非暴力」を主題にした「人を斬れない武士」である幕末期の浪人・都築杢之進役に池松壮亮さんを主演に迎えての反戦を描いた時代劇作品との事でした。 一般的な、所謂、痛快時代劇とは全く異なる、ある種、時代劇の体裁を衣にした反戦映画なのでしょうが、なにぶんと事前情報を全く容れずに鑑賞に臨んだ事もあり、各配役や映画自体の暗喩の意味合いがイマイチ理解出来ぬまま鑑賞していましたので、途中までは、「暴力の連鎖の無意味さ」を説く主人公の言葉や、その「人を斬れない武士」という存在からも、暗喩の意味合いは、<自衛隊の存在意義>を主題にしているのかと思って鑑賞していましたが、それとは全く真逆な意味合いとして、右傾化しつつある現政権に対して警鐘を鳴らす意味合いを込めた反戦映画の様でした。 開国に揺れる幕府のために有能な武士を探して旅していた澤村次郎左衛門(塚本晋也さん)に、村の若者で、ゆうの弟・市助(前田隆成さん)との木刀を使った稽古中にその腕前を見込まれて、江戸に向かう組の一人として引き入れられた、主人公の浪人・都築杢之進(池松壮亮さん)でしたが、源田瀬左衛門(中村達也さん)率いる無頼派の浪人集団が巣食う洞窟へと仇討ちに向かうまでは格好良かったのですが、いざ戦う段になると真剣を使わずに傍にあった棒っ切れで戦い、徹底した「非暴力」で臨み、恋心を抱く村娘・ゆう(蒼井優さん)さえも彼らに陵辱され性的暴行を受けている状況でもなお、杢之進は何もする事が出来ないのでした。 一般的な時代劇の筋書きの定石では、こういった難しい状況・局面を打破し克服することでドラマチックな展開を生むのですが、時代劇を彩る仇討ちの場面ですら『斬、』では徹底的にこの「非暴力」という状況を貫き通す辺りは、それを克服することが容易であればヒーロー然とするのでしょうが、安易に、それが克服出来ないことを描く事でなお、絶望的にも近い右傾化に向かいつつある今の時代の危険性に警鐘を鳴らしているのかも知れないですね。 そして、また、映画自体は冒頭の刀鍛治のシーンから始まり、日本刀の真剣が鞘から抜かれる際に放つ音など、その重量感溢れる刀の音にこだわる塚本晋也監督だけあってダイナミックな音響や劇伴に呼応するかの様な演出は迫力があって凄かったのですし、剣豪の澤村次郎左衛門を演じるに辺り、あの北辰一刀流に長らく志願して稽古を積んだらしい塚本晋也監督の殺陣の演技も素晴らしかったです。 殺陣を美しく魅せるカメラワークは、全体像を撮さないだとかブレがあったりとイマイチ惜しまれる点もあった様な気もしましたが、初の時代劇映画としてはなかなか良かったとは思いました。 ただ、ストーリー展開の上で、あまりにも「非暴力」に対する暗喩にこだわるが故に、山奥への逃避行動という形でのラストへの着地点があまりにも不自然な締め方で尻切れトンボ的な感が否めず、主題たる「非暴力」との肝心の答えを残さぬまま、観客にその答えを委ねて丸投げしたままになっているのが、どうにも勿体なかったですね。 また、所謂、一般的なありきたりなヒーロー然とした勧善懲悪型の痛快時代劇とは一線を画す時代劇であり、主題の「非暴力」を暗喩とした反戦映画である点を知らずして観に行くと、完全に呆気にとられてしまう作品でしたので、全く白紙の状態で観るのではなく、事前に映画のチラシなどで簡単な事前情報を知っておいた方が良い部類の映画かも知れないですね。 私的な評価としましては、 塚本晋也監督による、徹底したメッセージ性の濃い「暴力の連鎖の無意味さ」や「非暴力」といった暗喩が込められた反戦映画であるが故に、一般的な痛快時代劇に観られるようなエンタメ性に乏しい点で、そもそも商業的な娯楽映画としては成り立たない作り。 その上に、肝心要の主題たる「非暴力」という訴求点が、ラストの着地点があまりにも不自然な締め方で尻切れトンボ的にぼやけてしまった感が否めず、確固たる答えを提示しないまま観客にその答えを丸投げしたままになっていた点も非常に勿体なかったでした。 理想としてはラストの着地点としては、やや説教臭くなるかも知れないですが、恋心を抱いていた村娘ゆう(蒼井優さん)と、再度、向き合って「非暴力」の在り方の帰結としての答えを語るシーンが欲しかったですね。 従いまして、私が当初この作品の持つ暗喩の意味合いを全く理解出来なかった事を以て低評価にするつもりは毛頭ありませんが、非常に勿体ない幕切れだったりした点や、あえてなのか訴求点が安易には理解し難い構造の時代劇映画になっていた点などを勘案しまして、五つ星評価的には★3つ半くらいの評価が相応しい作品かと思いました次第です。
刀って重いんだと感じさせる金属大音響
刀を差し剣術にも秀でるが人を斬れない太平の世250年の若い浪人 悶々とした劣情を二度の自慰で表現 蒼井優に指をしゃぶられたら仕方ない 音のでかさが重要なので劇場で観て良かった 蒼井優が叫びすぎ 池松壮亮が人を斬れるようになりたい言い過ぎ 容赦なく人間が斬れる様はさすが野火の監督って感じ ロケは山形県鶴岡市でオープンセットを組んで20日で撮ったとか 金峯神社 出羽三山神社 思たほど中村達也の見せ場がなく役者塚本晋也の見せ場の方が多い 殺陣は池松、塚本共に魅せる 北辰一刀流玄武館のクレジット
斬念・・・
もう少し刀に重きをおいた映画かと思いきや。 蒼井優さんは案外よかったが、池松君は相変わらずの演技?でつまらない・・・・ 音が唐突に大きすぎてと言うか、カメラブレと音で迫力出して隠していたんですね
「私も人を切れる様になりたい」
『野火』の塚本監督のオリジナル時代劇。しかし、台詞等はかなり現代風の口調になっているのは、時代考証を行なった上でのあくまでも創作劇であるため、決して調べなかったことではないとのこと。勿論、ガチガチの時代劇を塚本監督に求める訳もなく、作品に則した台詞回しは当然である。
今作に対するレビューに多くは、やはり“刀”という武器が、所謂現代の“武力行使”へのメタファーであり、その武力の応酬が、どれだけの被害を拡大していくのかという一種哲学的テーマを以て映像化しているという切り口である。
勿論、それを否定するモノではないし、特に折角流れ者と上手く関係を築けそうであったチャンスを、つまらぬ意地(本人は屈辱以上の何物でもないのだが)で、攻撃したことで却って惨事に拍車が掛かる件は、大変考えさせられるプロットである。それこそ、“話せば分る”と、“問答無用”の相克は、幾ら議論を尽くしても歩み寄れない矛盾なのであろう。
しかし、自分的には今作品の注目は、やはり浪人都築杢之進の見事な剣術捌きと裏腹の、未熟な精神構造を表現した演出であろうと思う。この辺りも、彼を“日本”というメタファーで捉えているのは良く理解出来る。しかし別に自虐的に考えずとも、そもそも泰平の時代であった江戸後期において、人を斬るという行為がイレギュラー化している状況では当然かと思う。頭でっかちであり、志しばかり高いが精神力の弱い人間に、江戸への参戦にスカウトした武士も、結局目の前にいるこの都築こそが、武士の世界を壊した張本人であるという、倒幕派の具現化した人間であると気付いたからこそ、クライマックスへの不必要且つ執拗な戦いへと駆り立てたのだろうと思う。そして、あくまでもそれを第三者的に見届ける“慟哭”担当である蒼井優の、スピンが掛かった演技力は、益々エモーショナルにターボがかかる迫力である。
舞台は農村であり、そして結局だれもそこから離れることはない、この狭いエリアだけで完結してしまう“蛸壺”のような酷い現状は、果たして人間の思考を次のステージに登る為の産みの苦しみなのか、それとも滅びへの序章なのか・・・
余りにもだらしなく、そして純粋で、優しい、その主人公の苦しみに伝播された観後感である。
サービスとしての蒼井優の“指フ○ラ”は、天才肌を垣間見た気分だがw
その慟哭を体感せよ! そして・・命の重みを知る。
とにかく鉄を描かせたら、右に出るものはいないんじゃないか?ってくらいに・・鉄の重みをずしんと感じる作品でしたし・・
他の時代劇にはない凶器としての「日本刀」の重みを感じました。
大好きな「るろうに剣心」のなかでも
刀は凶器、剣術は殺人術ってセリフが出てくるのですけど
どうしても、今までの時代劇の中では「刀」が軽く感じられてきましたが・・
SE・・というかサウンドデザインが凄くて
「鉄」が映像だけではなくて音で語ってくれます。
しかも、日本刀はめちゃくちゃ切れるという部分のリアルさが半端ないので・・
殺陣のシーンがめちゃめちゃ緊張します。
この切り合いのシーンですが
「バガボンド」を彷彿とさせてくれたので監督にサインを貰って握手する時に「バガボンド」を思い起こされました!って言ったら・・まだ、読んだことないので読んでみたいと思いますと言ってましたが・・
命のやり取りをしてるんだ・・
人が人を切るという事。
剣術は殺人術。
カタナは凶器。
そこが、純粋にこれほどまでに重くのしかかる作品はなかったですね。
そこに、漂う・・なんとも言えないエロス感も相まって
全体的に、説得力のある
圧倒的な力で、その中へと引きづりこまれてく
そんな映画でした。
「悪い奴らにしか悪いことはしない」
全体的には若き侍・都築杢之進(池松壮亮)の武士としてのあり方の葛藤を通して、非暴力を貫けるかどうかというテーマが重くのしかかってくる作品でした。それを後押しするかのように、塚本監督らしい重厚な音楽によって観客に疑問符を投げかけてきた。塚本監督初の時代劇ではあるが、普通ならば主人公が仇討ちシーンで大活躍するところを、人を斬ることができないでいるアンチヒロイズムを描いているのだ。
21世紀になってから、藤沢周平原作の映画が時代劇の主流とさえ思えてくるのですが、テレビ時代劇と違って、滅多に人を斬ることはなかったというのが平穏な江戸時代の常識となってきている。もしかすると、杢之進のように実際に人を斬るのが怖かった武士も少なくなかったのではないかと想像できます。
平和そのものの村での出来事。「悪い奴らにしか悪いことをしない」というのがモットーである浪人集団が村のはずれに居座っていた。見た目が怖いだけだから大丈夫だと杢之進は伝えるが、ちょっとした小競り合いで、ゆう(蒼井優)の弟・市助(前田隆成)が泥まみれになってしまい、村人たちは退治してほしいと懇願する。動乱に参加することに意欲的な澤村(塚本晋也)が一人を残して全員切り殺してしまい、その生き残りの源田(中村達也)が復讐に燃え、新たな仲間を引き連れて、ある村人一家を惨殺してしまうのだ。
復讐の連鎖。憎しみは連鎖して永遠に繰り返される。待ってましたと言わんばかりの澤村は杢之進に源田たちを斬らせようとするのだが、杢之進は真剣を抜くことができない。想いをよせるゆうがレイプされる現場を目の当たりにしても斬れないのだ・・・。怒りは常に持っていたのだろうけど、タガが外れると、殺人鬼になってしまいそうな自分が怖い(想像だけど)。
『野火』のときに感じた、塚本晋也の思い。平和な世の中になぜだか不穏な空気があること。また、武士道の美学をカッコよく描くのではなく、無様にリアリズム満載で描き、人間の本質まで追求しているようだった。自慰や指フェラで満足するのもリアル。村で暮らさなくてはならないのも忠義心が欠如した証左だ。澤村が「公儀のお役に」と言ってたことも、杢之進と対照的に描かれていて、忠誠心があるがために暴力をもいとわないという構図が見事に描かれていた。
人を斬れない侍の苦悩
侍として生まれ 腕を奮うことなく 農村でバイト
いざ本業の人斬りの仕事に出かけることになると
いやいや、人なんて斬れないよ!って駄々こねる話
めちゃシンプルな話でした。
今からお国の為に戦争行って銃で人を撃ってこい!言われても僕はできひんもん。斬るなんてもっとできない。
長く泰平が続いてた幕末やし、そりゃ疑問持つよな。
低予算ながらなかなか良い映画でした。
ただちょっと農村の娘がヒステリック過ぎたかな
平和維持のための武力は本当に必要か
ズシリと重厚感のある映画だった 江戸時代末期 時代が変わろうとしている時 武士としてのあり方に葛藤する若い浪人と、その周りの人々の思いを描く この映画で問われるのは 「正義のために暴力は必要かどうか」である ちょっとした小競り合いで殴られた仕返しに人を斬り 「もう手出しはしてこないだろう」と思っていたら、相手は、さらに多くの人数を送り込み、さらに凶暴になっていく それは、近年の「テロで国民が犠牲になったから」と言って、その報復のために 「テロリストが潜伏しているであろう」と思われる国へ戦争を仕掛ける構図とよく似ている もう手出しをさせないために、強さを見せつけるように彼らはテロ支援国家に爆弾を落とす しかし、その結果、本当にテロが減るかと言えば、そうではないことを世界中の人たちが知っている その「武力が平和を生み出すのか」という問題の中で、この映画では、 池松壮亮演じる浪人 杢之進が「人を斬れない」ことで葛藤する 武士として人を斬れないなんて致命的だ しかし、本当に人を斬る必要なんてあるのだろうか そうして、映画は、 暴力か、非暴力かを観客に問いかける そこで私が思ったのは、 これまでの時代劇は たとえ武士という職業だったとしても「人を斬る」という行為をあまりにも軽く考えていたんじゃないかということ 杢之進のように、葛藤して、悩んで自分を見失ってしまうぐらいが リアルに人間らしい姿ではないのかということ そもそも、ならず者たちは斬るべき者たちだったのか 本当に愚かな人間とは、人の命よりもプライドや面目に重きを置く者ではないのか 報復に次ぐ報復を繰り返していては、世界に平和はやってこない それこそが、塚本晋也監督の思いではないかと思う
斬!念!
野火は観てないが 鉄男 そして、スコセッシュの沈黙を経ての塚本晋也の時代劇
期待しない方が難しい
三人の精神が追い詰めれてく様を描いているが、どれもじわじわと心の変化の様が描けていないので 役者が熱演しているだけに思えてしまう
セリフも現代の標準語 あえてなのだろうが、蒼井優に至っては百姓の娘ではなく
蒼井優が百姓の格好をしているようにしか見えない。芝居もしょっぱい。
腕の立つ若侍は何故人を斬れないのか?
単に太平の世が続いただけ?
沢村は…自分で演じてしまう?演じたかったのか、それとも、誰もいなかったのか 予算のせいか? 誰が良かったのだろう?
革命なのか 幕府の志士側なのか?
この映画に全く斬られる事なく、不満に頬を膨らませ 席を立つ。残念!
80分
中村達也好きですね〜
CD探して
ブランキー聴かなきゃだ‼︎
池松君
出発前にフラフラ倒れては起き上がってくるとこ
顔が幼く見えて
可愛かった‼︎
塚本晋也って
なんであんなに迫力あるんだろう
普通のおじさん顔なのに
妙に怖い
塚本さん映画にしては
サッパリしてましたね
関係無いけど
悪夢探偵もっかい見よ
キャスティングが良い
キャスティングが良い。塚本監督も風格があって格好いい。 ゆうをもっと若い女優の方がという人もいるけど、それでは森埜進と澤村の話になってしまわないか?蒼井優がやるから良かったと思うのだが。 森埜進が苦悩するのは思想がないからだと思う。まあ、それが今の日本ということなのだろけど、あるのは囃し立てる世間だけ。 最後は本能的に斬ることを選ぶが、それはもっとも危険な選択だと思う。
つまらなくはない
ストーリーはシンプル。 ただ、よくわからなかった。 殺陣の見せ方ももうひとつ。 設定も、どこの話?なぜ池松さんと塚本さんは焦ってる?血が出過ぎ… オナニーの意味… 蒼井優の年齢の設定は(若い男の子のお姉ちゃん役だが、実際お母さんでは若いし、兄弟としては離れすぎてる) でも池松さんはかっこよかった。 追記)現在の社会、政治に対する思いが出発点だそう。そう言われてみると…
モヤるもパワーある逸品
いやー、なかなかパンチのある映画でした。
ハンディカメラで画面が揺れたり、音がギラギラしていてなかなか観心地は良くないですが、それが迫力につながっているようにも感じました。
時代劇ですが、割と『怒りは怒りを来す』系の作品です。無意味な武力衝突によって、我々国民は尊厳などなく振り回され、大事なものを失っていくのだ、戦争反対!みたいなことを言いたいのかなぁ〜、なんて感じました。
あと、殺し合い始めると、明らかに何かがイカれてくる様子も描写されていて、なかなかコクがありました。
池松壮亮演じる主人公・都築は割と複雑なキャラクターというか、多重的な見方ができる存在ですね。
斬ることができず、悶々とマスをかき続ける都築は、大人になるためのイニシエーションを突破できない未成熟な若者という側面があります。だから蒼井優ともセクロスできません。
しかし、この『(親を・子ども時代の自分を)斬って大人になる』というのはあくまでもイメージの話で、本作はガチで斬る・斬らないの話なので複雑です。本当に斬ったら修羅道に堕ちるわけですし、でも斬らないと大人になれない。そして、本当に他人を斬って大人になるというのも、マチズモな価値観に染まっていくだけなので、なんとも悶々としますね。あれじゃあ、焦燥感に駆られてマスかくしかねぇな〜、なんて思いました。なんというか、都築という男と侍という身分の相性が悪すぎますねぇ。
なので、どの道を選んでも出口なしの都築さん。だから、江戸に出立する直前に病に倒れるのですよ。
前半はかなりテンションを煽ってくる作品ですが、後半は無力感や絶望感が迫ってきて、こちらも疲れてきました。
そんな中、長い黒髪を下ろした蒼井優がセクシーでした。和服に下ろした髪って、妙にエロく感じます。終盤の蒼井優は実に鬼気迫る雰囲気なのですが、一方で色っぽく感じました。これまで蒼井優に対して凄みは感じてましたが、セクシーは感じたことがなかったので新鮮な体験でした。
いろいろな角度から語れる作品だと思います。やや拡散している、と言えなくもないですが、作品に渦巻くパワーが勝っている印象です。
とはいえ、どこか無力で心が乾く作品だと思いました。
後味がモヤる作品だったせいか、鑑賞後に何故かブラフマン(しかも超克以後の作品)を聴きたくなり、ガンガン聴きながら帰りました。
なんか、まるで論拠はないのですが、直観的にブラフマンが本作へのアンサーなのではないか、と感じています。
幕が開くとは終わりが来ることだ
一度きりの意味をお前が問う番だ
80分の作品なのに寝落ちしそう。
途中何度か寝落ちしそうになる度に、蒼井優の絶叫演技でびっくりして目が覚めました。(ファンの人、すいません…) 監督自身が演じる古強者の浪人の佇まいや、刀を抜く時の効果音なんかはリアルでいいんだけど、時代劇の魅力である殺陣は手ブレ映像で何が映ってるかよく分からず、主人公たちも何がしたいのか不明瞭。何かのメタファーなら時代劇じゃなくてもよくない?
一度好きになった監督を嫌いになるのは難しい
監督の「鉄男」からファンになった身としては、年々パワーダウンしていく作品群に (あくまで自分の主観です)少々寂しさを感じてしまう。 自身の思想や主題も人間生きてりゃ本人も気付かぬうちに変わって行くものだろうが、やはり「TOKYO FIST」迄がピークだったように思う。 本作も音響や音楽に塚本晋也監督らしいこだわりは感じられ、それがまた格好よく「海獣シアター作品観てるぜえ」と云う感じにさせてくれるが、満足感はそこ迄だった。 前作「野火」も流石に市川崑監督のオリジナルには及ばない感じだったし、何故あの作品を塚本監督がリメイクしたのか謎だった。 やはり、監督の中に色々な変化が有ったのだろう。「鉄男Ⅱ」を観たらこの監督が将来反戦映画を撮るとは思えないもんなあ。 それでも、塚本監督が時代劇を撮るとなれば観に行かないわけにいかないのは、一度ファンなってしまった性か。そしていい加減監督出演止めた方がいいんじゃね?と思うのも毎作品の事か。 もう塚本晋也作品から初期の頃のようなパワーやスピードを感じる事は無いのかねえ。 しっかし公開館数が少ない。これがジャニタレ使わない時代劇の実情か。
矛盾だらけの時代劇
何と恐ろしい映画だろうか。冒頭の木刀での激しい稽古と勇ましいまでの音楽に一抹の高揚感を覚えてしまったのであれば最後。映画が終わる頃には切られた腕から流れ出る血のように、その高揚感はドボドボと音を立てて流れ落ちるに違いない。何故ならこの作品、時代劇の最大の見せ場であろうチャンバラシーンさえもいとも容易く斬りつけるからである。 矛盾しているように聞こえるだろうか。いや、事実本作は矛盾だらけだ。人を斬るために稽古をする。しかし人を斬ることはできない。人を守るために剣を抜く。しかし人を守ることなどできない。では何のために稽古をするのか?何のために刀を持つのか? 尽きぬ恨み、晴らせぬ思い、やがてそれらが報復の連鎖となって身に降りかかる。自分にだけではない、家族、愛する人、村の人々、果てには己の精神さえもその刃は斬りつけていく。その怖さ、その恐ろしさは何たるものか。ラストシーンは決して後味の良いものではない。しかし、血に染まってしまったその手を洗うことなどできない。たとえそれが自分が斬った相手の血であろうと、斬られて流れた己の血であろうと…。 深い森の中を彷徨う主人公のように、私もこの作品に溢れる矛盾だらけの疑問の答をまだ見つけられていない。
斬って終わりのチャンバラではないからタイトルに読点がある
なるほど。斬って終わりのチャンバラではなく、人を斬るという暴力行為の意味、その行く末をも描く作品だからタイトルが読点で終わるのか(ってことで合ってます?)。変則的ではあるけど、和製『シェーン』『マッドマックス 』『許されざる者』とでも称されるべき暴力映画の新たな傑作 オープニングの鉄を打つ音から音への拘りをビンビンに感じる、この拘りは終始貫かれている。「斬」という時の一画目の刀身を想起させるタイポグラフィにも感心した。死を描くなら、生も然り。池松壮亮のオナニー、蒼井優との戯れも抜かりなく描く。やけにエロい。やっぱり映画はエロくないとな 和製『シェーン』と言ったが、本作のラストで彼もまた去っていく。しかし、彼女は『シェーン』のように「カムバック」と言うことはなく(日本映画だから当然だ)、声にならない声を絞り出すのみ。暴力が全てを変えてしまった。彼は彼岸に行ってしまった(常人ではなくなってしまった)。此岸から「カムバック」と言ったところで届かない 俺が愛して止まないNWRの『ドライヴ』のようでもあって『斬、』マジで素晴らしいよ
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