ブレッドウィナーのレビュー・感想・評価
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美しくも壮大な作品
子供が苦しむ映画を見るたびに、子供を作らなければいいと思ってしまう。それは間違った考えだろうか。
地球の人口は増え続けている。マルサスの人口論はひとつの極論として有名で、つまり人口は等比級数的に増加するのに対して、食料は等差級数的にしか増加しない。だから必ず食糧危機が訪れる。そこで少子化を進めるために晩婚を奨励するというのが主張のひとつであった。
第二次世界大戦後の急激な人口増加は人口爆発と呼ばれ、多くの問題を引き起こした。富める国と貧しい国、富める人と貧しい人。富める国の富める人と貧しい国の貧しい人を比べると、その格差は月とスッポンどころではない。かつて日本でもベビーブームがあり、経済成長と相俟って一億総中流などと言われた時代もあったが、小泉改革で日本がぶっ壊れて格差が増大した。
そして日本では、マルサスの主張を実行するかのように子供を作らない世の中になって、ベビーブーマーが高齢者となったタイミングとピッタリ合って、歴史的に類を見ない超高齢化社会となった。
やはり共同体のバランスとしては、年齢のグラフが逆ピラミッドではなくピラミッド型のほうが生活レベルを維持しやすいのは確かだ。結婚に対する考え方の変化や、介護の苦難の情報が行き渡ったことで、日本人は子供を作らない傾向になった。共同体にとってはひとつの危機だが、個人にとっては悪いことではない。先進国からそういった傾向にあり、途上国はまだまだ人口爆発の状態である。
生活必需品やインフラが整っている共同体で子供が減り、インフラも食料さえも不足している共同体で子供が増えているのが世界の不幸な状況だ。
本作品の舞台アフガニスタンは、まさに不幸の極北のような場所であり、生きることは耐えることに等しい。絶望と虚無主義に陥らないためには、宗教にすがりつく以外にない。しかしそんな苦しい状況でも、自由な心を持つことはできる。タリバンのパラダイムが支配する社会でも、人間の優しさを失わない人たちがいるのだ。本作品はそういう人たちが何を大切にして、どのように希望を持って生きているのかを描く。
映画の進行に並行して登場人物が語る物語が、千夜一夜物語のようにウィットに富んでいて、底辺に独特のヒューマニズムがあって、この苦しい作品を観ている観客にとっては砂漠のオアシスのように感じられる。そしてその二重構造が作品に奥行きをもたらしている。それは登場人物たちの精神の奥行きでもある。貧しくても心は豊かなのだ。
アフガニスタンといえば、ペシャワール会の現地代表でもあった中村哲さんが亡くなった国である。多くのアフガニスタン人がその死を悼んだことが報道されている。大統領は棺を担ぎさえした。
タリバンの宗教警察の弾圧、その組織に威を借りた少年の暴力、そしてその少年も実は死が怖くてたまらないこと、主人公の少女の勇気、母の嘆きと勇気など、数々のテーマが盛り沢山に詰め込まれていて、人類はどこから来てどこに行くのかという壮大な質問さえ心に浮かぶ。
アフガニスタンはたくさんの不幸に見舞われているにも関わらず人口が増え続けていて、タリバンが支配した1996年には1840万人だったのに現在では3000万人を超えている。貧しい人ほど子沢山の傾向がある。原因は日本の逆だろう。アフガニスタンの子供たちは悲惨な状況に苦しんでいる。日本の子供も苦しんでいる子はいるだろうが、苦しみの質とレベルが違う。下手をすると餓死をしたり地雷で吹き飛ばされたりする日常なのだ。
何故そんな状況で子供を作るのか。考えてもわからない。それが人類というものだと言えばそれまでかもしれない。しかし坂は登りだけではない。日本が現在進行形で辿っている人口減少の道が世界的な傾向となっていくだろう。そしていつか人類は絶滅する。
映画はアフガニスタンの一地方都市を舞台にしているが、少女が見上げる空を何機も飛んでいく戦闘機が、人類を蔽う暗雲を示している。想像力は現在過去未来の三世の時空間にどこまでも広がる、美しくも壮大な作品である。
異国の違すぎる現実は、やはり遠い
男尊女卑で子供が虐げられるという辛すぎる現実を見せつけられ、決して楽しいアニメではない。
これがアフガンの現実だということは理解できるけれど、細かなやりとりや展開に違和感を覚えたし、どうしても非現実的にしか思えなかった。
アニメーションそのものは素晴らしい。ストップモーション、3D、ドローイング、あらゆる手法が見事に融合していて、見た目の完成度は高いように思う。
あらゆる要因で、この悲しい現実をリアリティをもって捉えることができなかった。それを意図したことなのかどうか・・・察するのは難しい。
現地へ行って生で体感しなければ分かりようがないとは思うけれど、いまも続いている悲しい出来事・ニュースに響いてくるような作品ではなかったなぁという印象。
人間の尊厳の存在しない世界
数十年前、タリバン政権下のアフガニスタンを舞台にしたアニメーション作品。
タリバンは、イスラム教義の極端な解釈により、女性の権利や行動を厳しく制限し、逆らう者を激しく弾圧した。
教師であった父親がタリバンに拉致され、家族に男性は幼い弟のみ。
女だけでは、仕事も、食料の調達も、ただ外を出歩く事さえできない。
追い詰められた家族を救う為、年若い少女パーヴァナは、髪を切り、少年のふりをして仕事や買い物に出始める。
平行して、パーヴァナが語る少年の冒険物語が、現実世界の苦難を重ね合わせ、望みを託すように、影絵のような幻想的な色彩で綴られていく。
女というだけで服従を強いられ、殴られ、未来を奪われる。厳しい男尊女卑が描写の中心となるが、不条理はそれに止まらない。少年は暴力に洗脳され、人々はそこここに埋まる地雷で愛する人を亡くし、恐怖に怯えて良心を押し潰す。戦闘機が空を飛び交い、容易に銃が人に向けられ、いつ命が奪われてもおかしくない。
何処にも逃げ道が見出だせない状況に胸が詰まる。
少年の冒険は終わりを告げるが、現実は何も変わらない。お伽噺のような救いは訪れない。家族はバラバラに、先も見えず、助けてくれた男の命の保証も無く、街は空襲で焼かれたかも知れない。
その中で、パーヴァナは祈るように物語を口にする。何時でも物語が心の支えであったから、そして物語の少年は、言葉で怪物に立ち向かったからだ。
「怒りではなく言葉を伝えて。花は雷てなく、雨で育つから」
異常な結末
やっと日本語版が見られるようになったのは喜ばしい。
しかし、傑作である原作の「生きのびるために」と比べると、残念な出来栄えだ。
原作の素晴らしさは、作者デボラ・エリスの豊富な取材に基づき、
・リアルを追求している
・11歳の少女の目線で描かれる
ところにある。
しかし本作品では、パヴァーナは、少し大人びた女の子のイメージで描かれ、“少女らしい心の動き”を感じ取ることができない。
山がそびえる土地の斜面に住んでいる様子や、相次ぐ戦争で荒廃し切ったカブールの風景は、繊細に描かれており素晴らしい。
しかし原作では、爆撃で半分ぶっ壊れた建物に住んだり、人骨を掘り起こして金を稼いだりと、もっとすさまじい光景が描写されている。
ストーリーは省略され、原作が持つリアルな味わいが損なわれているが、ある程度はやむを得ない。
しかし、ストーリーの改変が後半になるほど目立ってきて、特にラストは“異常”だった。
パヴァーナと父、母と姉と弟(と原作では妹も)の、2つに家族が離ればなれになるのは、原作と同じだ。
しかし、空爆の中で刑務所から父を強奪したり、弟が人さらいのように連れて行かれるなど、原作とは無関係の別の物語になっている。
何のために、このような緊迫感のある、不自然な展開にする必要があったのだろうか?
また、亡くなった兄の名前をもつ少年が、「種」を取り返しに行くという“英雄伝説”が挿入され、現実の話と同時並行的に進む。
原作にはない伝説だが、ここで「カートゥーン・サルーン」らしい、美しいアニメーションを見ることができる。
しかし、自分には結末がよく分からず、何のための挿話なのか意味不明だった。
なぜ、兄の“爆死”の事実を認めて向き合うことが、「ゾウ」をなだめることになるのか?
「ゾウ」は一体、何を象徴しているのか?
現実の展開と空想の英雄伝説が、奇妙に相互作用し合う、自分には理解不能な“異常な結末”だった。
地続きの世界
2001年頃のタリバン支配下のアフガニスタンが舞台。
遠い国のことで無関係と思うなかれ。
今、我々の住むこの世界と地続きで、実際に今も人権を認められない女性たちがいる、そんな国があるという事実に心を痛めます。
作中、主人公の語り聞かせる創作した物語の中で、
「怒りではなく対話を」
「種は雷でなく水で育つ」
というセリフが出てきました。
戦争や暴力は何ももたらさない、対話と優しさで解決したいという訴えがありました。
そして、同じスタジオの作った『ソング・オブ・ザ・シー』と同様に、豊かなアニメーションとしての表現と彩色。
実写では残酷で観ていられないほどの差別と迫害を、中和すると同時に強調していて、引き込まれました。
おすすめです。
現実を打ち出したアニメ作品
不幸や悲劇がアニメーションで描かれることの意味を感じた作品だった。日本でも「この世界の片隅に」が話題となったが、暗い現実をアニメ化すると、どうも物悲しさが増す。
アニメで描かれることで、あの彩りや、子供の笑顔、小さな主人公をすごく大切なものと思えるようになる。守らなければならない存在としての在り方が強くなっているように思う。
絶対に誰も奪ってはいけない、汚してはいけないもののように思えてくるのだ。
自分の性を失わなきゃ生きていけない社会なんてあってはならないよね。本当に。
この映画のラストが何とも言えない。勝ちでも負けでもなく、晴れでも雨でもなく、ただ諭すように我々に紛争の醜さを知らしめてくれた作品だった。
『ソング・オブ・ザ・シー』のカートゥーン・サルーンによる『生きのび...
『ソング・オブ・ザ・シー』のカートゥーン・サルーンによる『生きのびるために(劇場公開タイトル:ブレッドウィナー)』鑑賞。
幻想的な過去作と違いタリバン占領下のアフガニスタンで生きる家族の過酷な日常が描かれた本作は観てて胸が詰まる。戦時下でお伽話を空想するのは『パンズ・ラビリンス』に似てるがその物語は自分を鼓舞するためでもあったりする。
実際はもっと悲惨な事があったんだろうと容易に想像出来る。
世界には理由もなく弱き者が迫害され女性が権限を奪われる地もあるのだと日本人も知らなくてはならない。アニメだから伝わる事もあれば伝えられない事もあるかもしれない。ただそれでも『ブレッドウィナー』は観ておくべき映画だと思う。
『ブレッドウィナー』の劇中にはこういうセリフがある。
「花は雷ではなく雨で育つ」
争いや怒りではなく慈しみややさしさで砂漠の地に平和の花を咲かせようと言うメッセージだろう。こういう素晴らしい作品を生み出し観せてくれたカートゥーン・サルーンに感謝。
哀しいお話、けれど観て良かった。
知識と教養の大切さ
Brave
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