愛がなんだのレビュー・感想・評価
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子供たちが喚いているだけ
若者言葉が苦手である。品がなくて遠慮がなくて優しさがない。私見ではあるが、品というのは自立して他者に頼らない様子を言う。遠慮とは相手の存在を尊重することだ。優しさは寛容と親切の意味である。つまり若者言葉というのは、精神的に他者にもたれかかりつつも相手の立場を踏みにじる、不寛容で冷酷な言葉なのである。
しかし若者言葉を全否定しているわけではない。人は成長するに連れて視野を広げていくが、視野が狭いうちは自分本位の精神状態であり、使う言葉も必然的に自分本位だ。赤ん坊は周囲の状況などお構いなしに泣き喚くし、小さな子供は時宜を弁えずにはしゃぎ回る。それが人間関係を経験し、ときに修羅場をくぐっていくうちに、少しずつ若者言葉を卒業していく。それが分かっている人にとっては、赤ん坊が叫んでも子供が喚いても若者が無礼でも、さほど気にすることはない。単なる雑音に過ぎないのだ。
という訳で、本作品は赤ん坊が泣いているような映画だ。世界が狭く、周囲の人間関係に異常に影響されてしまうのは、相当に精神年齢が低いと言わざるを得ない。経済的に自立した生活を始めると、衣食住を確保しなければならない絡みで、人間関係は一気に複雑になる。その部分をバッサリと切った上で類型的な人間を排除し、典型同士の非日常的で危うい人間関係だけに焦点を当てる。
少年少女のような純粋な感情のぶつけ合いを大人同士のドラマで観るのはかなりつらい。子供だからまだ自分なりの価値観はなく、世の中の一般的な価値観に流される。見た目を気にするし、幼稚なプライドもある。うわべだけのものの見方を排して、人の本質に迫ることができれば人間関係も変わるだろうが、いかんせん精神が幼すぎて、何も変わらないままに物語が過ぎていく。だから唯一大人の視点を持つナカハラの存在が浮き上がる。この人を高く評価する人が多いだろうが、他の登場人物が子供すぎるから目立っているだけである。
最初からずっと雑音を聞かされたような、そんな映画であった。役者陣は熱演であったが、世界観が狭すぎて息苦しい。同じように世界が狭い人だけに共感されるだろう。平日の夜の渋谷の映画館は満席で、特に若い女性が多かった。中には泣いている人もいて、なるほどと納得したのである。
人間関係
最初は狂ってはいるがいたって普通だ(矛盾している)。重たくて都合のいい女と体良く利用する男。濃さが若干違うだけで、よくある光景だ、多分。しかしそこから先の展開が難しい。
かつて狗飼恭子の「おしまいの時間」を読んだとき「恋愛とは諦めと妥協である」という台詞を眺めてそこだけ妙に腑に落ちた記憶がある。自分が好きな人が自分の事を好きなんて、確率的におかしいのだ。しかし人間はいい意味で忖度できるから危うい関係が成り立つのだ。
それでいうなら岸井ゆきの演じるテルコは、妥協しているようで妥協できない人間の極致だ。相手を飲み込むような、圧倒的なまでの愛、いや、本人も言うとおりそれは最早執着というか、「相手になってしまいたい」という乗っ取り的な感情。理解しがたいようで本質的に理解させられる恐ろしさ。
成田凌の守は純情とクズ男のバランスで成り立っている分まだ人間くさい。矛盾の象徴のようだ。自分がつらいと感じることを好きな相手にはできてしまう。繊細な癖に機微が分からない。作中随一の鈍感男。
ふたりは根幹の情の濃さが似ているが故に決定的に合わない。これ友だちだったらよかったね...と観ていてつくづく思ったが、多分無理だろう。恋愛という謎めいた執着心を媒介にしか繋がれないふたり。
深川麻衣と若葉竜也が大変よい。友人を叱る強く(見える)女とただ見守る男。だけではないなにかがある関係。若葉竜也演じる仲原がテルコに語るシーン、あそこでどことなく愛の違いが浮き彫りになる。飲み込む愛か、願う愛か。正しさではなく、ただの形の違い。
結果的にさまざまな愛=人間関係を観せられ続け、人間関係が駄目な私は疲弊しつも心が揺れた。揺れる。恋愛映画というだけではない、人間関係の映画。深く脆く面倒くさい。
とても良かった
好きな感じではあるけれど
映画の現実的で日常的な感じや登場人物一人一人の心情にスポットをあてていたり、とにかく雰囲気が全体的にとても好きでした。
色々と考えさせてくれるところもあって、なかなかいい作品だった
と、思うけれど。
無駄なシーンが多い気がします、、
上に日常的な感じがいいと書いておきながら矛盾だとは思うけど、そういうシーンがあまりにも多い、、
そのワンカットいる?その会話必要あった?というような。
もうちょっと抽出してもいいかなと思いました
主人公の様々な行動に軽く引きましたが、
作中で言っていた「好きなものはほんとに好きでそれ以外はどうでもよくなる」
という言葉、なんとなくわかる気がして
なんとも言えない気持ちになりました。
真っ直ぐになりすぎると大切なものや重要なことに気づけない
視点を変えたり、すきなもの1つじゃなくてたくさん増やせたならテルコと守の関係はもしかしたら変わってたのかも?
いろんなことを考えられる映画でした
星4にしたいけど、いらないカメラワークや会話が多くて途中途中退屈してしまうことがあったので、3.5で。
でも、おもしろかったです。
じれったくはあるが嫌いになれない
なんとも複雑だけど現実っぽい
ひとり相撲のブルース
とても丁寧で誠実、リアルな作品だったと思います。
登場人物たちのやりとりはあらゆる場面で濃度が高く、人間の関係性や内面に関心のある私にとってはどこを切っても旨味がありました。おそらくものすごく緻密に作られているのでしょう。セリフをメモる等、より詳細に鑑賞すれば、登場人物の行動がほぼ合理的に説明できると予想します。話題になるのも当然の出来だと思います。
内容は、もののみごとに自己愛の物語。自分の理想像を勝手に相手に投影し、そこから先には進まない。つまり相手の生の部分を無視した恋愛ばかりが描かれていました。基本、どいつもこいつも一人相撲です。
登場人物たちが未熟である、と断じることもできそうですが、正直似たような経験をしてきた、またはまさに真っ最中の人も多いのでは?かく言う私も黒歴史的に思い当たる節があり、チクチクと刺さるものがありました。
さて、5人の登場人物の中で、私が最も興味を惹かれたのはマモルです。主人公テルコに理想を押し付けられる一方、だらしない中年女スミレに自分の理想像を投影する中間的なキャラクター。友だちも少なく、どうも他者とイーブンな関係を築けない。
彼はある時、テルコに自己評価の低さを吐露します。こんな自分を好きになるのはおかしい、と。このシーンにはぐぬぅ…と思わず絶句。まるでかつての自分を見ているような気分!本当に痛いところを付いてくるイヤなガーエーであります(褒め言葉)。
憧れ的な恋愛も超あるあるで、あーイヤだイヤだ(笑)絶対上手くいかないし不毛なのである。やがてイーブンな恋愛ができるようになっても、今度は自分が人を愛する価値はあるのか・愛する事ができるのか問題が浮上しますよ!成長のチャンスをフイにするなど土壇場での弱さも見られるため、マモルは先が長そうです。きっと彼はこれからも苦しさをたっぷりと味わうことになるでしょう…フフフ…頑張れ…
女王さま気質の葉子に片想いを搾取されるオドオドしたカメラマン・ナカハラもかなり好きなキャラです。彼はほぼ唯一成長を見せ、この無意味な自己愛食物連鎖からイチ抜けします。しかも、単に無駄な時間を過ごしたとかではなく、愛する相手・葉子を想っての行動であり、それが独りよがりでなく現実的に説得力のある行動なのがすごい。
なので、このナカハラ✖️葉子の関係は、他のカップリングと違い、ちゃんと意味のある関係だったのではないか、と捉えています。単に愛のスキルがお互い乏しかっただけで。その後の葉子の行動も、成長を感じさせるものでグッときました!ナカハラという男が彼女の中に残っていることを示唆していましたし。
この2人の関係だけは、本作で『有』なんですよね。最終的には互いに生の相手を認識できたように感じました。自分の理想像を投影するだけの関係は空虚で『無』ですから。「幸せになりたいっすね〜」というナカハラのセリフがありますが、君ならば大丈夫だよ、と伝えたくなりました。
あと、地道に自分の仕事をしっかりこなしているのも良いですね。ナカハラは地に足がついている人だなと感じ、だから関係性から有を獲得し、成長できたのだと思いました。
自己愛食物連鎖の頂点に立つ薄汚い下品女スミレは恋をしないので一見無敵ですが、虚しさだだ漏れですね。心身ともに蝕まれている印象。10年後くらいに身体とメンタルがやられそうです。洞察力もあり、頭も良さそうなので、悲しい歴史があるのかな〜なんて想像し、ちょっと切なくなりました。また、クドカン似の不美人なのが説得力ありました。
しかし、主人公テルコは無理だった!あそこまでダークサイドに落ちると、ちょっとついていけないですね。人相がどんどん悪くなるのも異常にリアルです。覚醒後のナカハラとのやり取りは、そうなるとは解っていながらも引きました。
本作の序盤、後輩とのやり取りで「恋をすると相手以外どうでもよくなる」と述べており、後輩に「自分自身も?」と突っ込まれていましたが、ホントにその通りだから怖すぎです。
本来、恋は異界からの侵犯であり、そのパワーに抗えずにアッチの世界に行ってしまう人も多いです。しかし、テルコほどきれいにさらっていかれる人は珍しいと思います。やはり、恋に溺れて仕事を辞めるのはヤバすぎ。インナーチャイルドを無視したあたりから、この人はこの世にいながらあの世に逝っちまったなぁ、と遠い目になりました。いつの日か現世に戻ってきてほしいと願います。
本作はこのようにヘヴィな物語ですが、本質はブラックなコメディだと思います。とにかく、気まずいギャグがかなり多く、かなり笑えました。中目黒のクラブとか、バーベキューとか、無神経女スミレが登場してから妙なメンツで遊ぶ場面が増えて、居心地の悪いシーンも多くなりめちゃくちゃ面白かったです。さすがにゲラゲラという雰囲気ではないですが、グフフと密かに笑ってました。終盤はサイコホラーなギャグ満載です。
演者について。テルコ役の岸井ゆきのは達者ですね!特に顔芸が最高です。フリースタイルのdisは面白かった。葉子役の方は品のある美女で今後も見たいと思いました。
そしてナカハラ役の若葉竜也ね。あの大傑作地獄ガーエー『葛城事件』の無差別殺人犯を演じていたので、葛城事件思い出したらイヤだなぁと思ってましたが、杞憂でしたね。かなり凄腕、説得力ある俳優という印象です。
良かった!!
愛がなんだ、だから友達も居ないんだ
くそあんどくそ
物語の流れや内容がいいだけにこれを作った映画製作者はくそだなと思いました。
それぞれのキャラクターや設定はしっかりしていて、役者の方も個性があってすごくよかった。
ただ無駄に長い台詞回しや意味のない場面が多すぎてただただ長い映画。
きゅっと詰めれば2時間以内にまとまってる。
特に台詞はなんでこれいれたのって物ばかり。
小説の台詞をそのまま持ってきたんだろうなってくらい無駄なものが多い。
一番大切な愛について、好きってどんなことってことを役者に言わせている。
その時点で映画作品ではない。映像で観せてね。
ストーリーがいいだけにナニコレって感じの作品でモヤモヤしました。
ついでにいうとポスターのショットは一切なし。
詐欺レベルの予告編とポスターに騙されました。
役者さんは好きだったので1.5です。
愛がなんだ
評判につられて、騙されたと思って観に行きました。騙されました。超つまらない映画でした。1時間半我慢して観ましたがたまらず途中退場しました。原作を読んでいないので読んでいたら多少入り込めたのかもしれません。しかし、映画を見る限り、登場人物たちに感情移入できる部分は一ミリもありません。
主人公がまもちゃんのクソ行動に傷つくシーンは理解できるように描かれていますが、なぜそれでも思い続けるのかはさっぱりわかりません。題名どおり「愛がなんだ」というのがテーマなのでしょうか?「愛」は映画の重要なテーマですがこの映画には何も描かれていません。「痛い」登場人物たちのクソ行動を延々と見せられるだけ!
こんな映画を観て、共感したり慰められる人々がいるのかと思うと暗い気持ちになります。
平行線を進む男女
交わりえない気持ちを抱きながら、小さいコミュニティの中でお互いの気持ちを知り合っている登場人物たち。
変に気を遣いながらある一定の距離を保ち、友人知人関係を続けていくものだから、ずっと交わることがない。
主人公の女の子・テルコが、曖昧な関係の友人たちに、その関係を非難してその2人の平行線が屈曲しはじめる。けれど、テルコ自身は・・・人のことをいえる関係性を、自身が好きな相手と築けていないし、一方的な盲目の恋をしている。
テルコと似た境遇の男の子が"幸せになりたいっすねー"と話すのだけれど、そうすると道は2つ。
ちゃんとした関係性を築くか、それが無理なら諦めるか。
けれどテルコは曖昧な関係のまま、付かず離れずの距離を守ろうとする。好きじゃないと言ってまで、側にいれる関係性を保とうとする。
相手がに彼女ができたら諦められるのか、結婚したら諦められるのか、それともずっとその人を陰ながら想い続けるのか・・・
ハッピーエンドでもバッドエンドでもない、愛なのかエゴなのかも分からない、でも好きっていう気持ちは痛いほど理解できた。
幸せってのはなかなか易くは手に入らないのか・・・
配役とそのアンサンブルがいい
なかなかないタイプの映画で、単純明快ではない、掴めない恋愛の深み、脱却できない人間関係の何かをテーマに、日本にもこういうのに適した俳優がしっかりいるじゃん、という具合に脚本と配役がマッチしている、のではないか。言って見ればどーでもいいことがテーマでもある。わかっちゃいるけどやめられない、的な。
ただ、この映画がヒットしてるのは、そんな中身と関係なく(なくはないのだろうが)、岸井ゆきのや若葉竜也に共感、というよりは、おそらく宣伝ツールからみる旬なキャストがイチャイチャしているところにある、と思う。
人脈的には『南瓜とマヨネーズ』だけどビジュアル的にも『人のセックスを笑うな』を思い出す。が、アクションやカメラ的な興奮ではなく、会話、ディスカッション、という意味ではフランス映画的なのかな。
別荘、湖畔、辺りでもっと映画的な興奮があるのかと思ったらそうでもない。
好きなのだ 愛とか恋とかでなく
おそらくはアベンジャーズのロバート・ダウニー・Jr.のギャラより低い制作費であろうと推察されるのだが、映画とはそういうことでは無い。先週のエンドゲームがどうしても頭に残っていてそんな当たり前のことを再認識してしまうくらいいい映画だったのだ。この一方通行の愛というのは若い頃に作っていた8mm映画のテーマだったことを思い出した。付き合っていた相手にフラれても「それでも私は好き」ということが当然ながらある。愛でも恋でも無い「私はあなたになりたいのだ」という視点というか感じ方が新鮮で。さっさと忘れて次行こうという人間ばかりでは無いんだよと。脚本が良くて役者が良くておそらくは監督が良くて、ほぼ会話の2ショット(切り返しのカット割りはありながら)長回しなのだがいつまで見ていても飽きない。誰もがこのタイトルをつぶやいて発泡酒を飲みたくなる夜があるのだ。
皆好きな人には尽くすタイプ
こんな恋愛映画が好きだ
隙間のある、鋭い映画。
映像に夢中になっているにもかかわらず、自分のことを考えて、照らし合わせている時間がたくさんあった。
テルコ→マモちゃん→すみれ→テルコ
このサークルが繊細で、不気味で、リアルだった。すみれはテルコに、昔の自分を重ねていたんだと思う。寂しい気持ちは、実はすみれがずば抜けて感じていたような気もする。
相手のためを思ってする行動は、本当はすべて自分ためになってしまう。そして、そのことに気づかない人が、この世の中には大勢いる。観ていて自分もその大勢の中の1人だと思い知った。
ナカハラはそのことに気づいた唯一の登場人物かもしれない。(葉子の母と銭湯のテルコの上司は除く。) 気づいてからの彼はかっこよかった。なによりナカハラ役の彼は、素晴らしかった。
描かれてはいなかったけど、葉子だって、雑誌の編集長や、仕事で関わる人に自己愛を振りまいていたはず。ナカハラが思うほど強い人間ではなくて。もしかしたら、テルコやマモちゃん、ナカハラよりも寂しさを感じる人なんだろうな。
唯一わからなかったのは、好きすぎてもはやあなたになりたい、という感覚。自分がまだ未熟者なのだろうが、それは恋や愛を超えた感情なのだろうか。
でも、もしそうなのだとしたら、やはりテルコはいつまでたっても自分しか幸せにならない選択をして生きていくんだろうな。良いか悪いかは別として。
等身大の映画
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