「原作との比較で、この映画の素晴らしさがより深まります。」愛がなんだ 琥珀さんの映画レビュー(感想・評価)
原作との比較で、この映画の素晴らしさがより深まります。
今年の日本映画の中で珠玉の作品を選べと言われたら、真っ先に挙げるであろう、なんだか抱きしめたくなるような愛おしさを覚える良作でした。
脚本と構成に隙がないので、どんな原作をどのように脚色したのだろう、と興味が湧き、テアトル新宿の帰りに紀伊国屋書店で角川文庫版を買って帰りました。
どちらも素晴らしい‼️の一言です。
冒頭、マモちゃんの呼び出し電話のとき、原作では会社で残業のフリをして居残ってるのですが、映画では、帰宅したばかりの設定にすることで、テルコが嘘をつきながらもそれがバレないように何気なさを装っているのが、瞬間的に伝わってくる。
動物園のシーン。
原作では、「33歳以降の未来には、私も含まれているのだと、なぜかその日は強く思った。何もかもが完璧すぎて、泣き出しそうなのをこらえなければならなかった。」とあるが、映画では岸井ゆきのさんに本当に泣かせてます。ナレーションでもカバーできるところなので、もしかしたら、演技に感情が入って想定外の落涙だったのかもしれないですね。
大晦日のテルコと葉子母とナカハラさんの食卓。
原作の葉子母は、「垂れたしょう油じみのあたりを見つめてふとつぶやく」のだが、映画ではこびりついて落ちないのが分かっているのに同じ場所を何回も布巾でこすっている。
葉子と葉子母との長い年月とその間のすれ違いが印象的に伝わってきました。
次のセリフはほぼ原作通りでした。
「いい仕事が見つかって男運が反比例で減ったら困るもん。」
「言いたかないけど、テルちゃんて、ときどきぞっとするほど頭悪いこと言うね。」
「おれさあ、山田さんのそういうとこ、ちょっと苦手」
「五周くらい先回りしてへんに気、つかうとこっていうか。逆自意識過剰っていうか」
映画の理解がより深まるであろう箇所を原作の中から引用します。
『幼稚園の先生になりたいという作文を書いていた十歳の私に「十八年後のあんたは無職で、しかも、仕事ではなく、男に費やす時間が得られやすいアルバイトを捜しているんだよ」と教えてあげたら、彼女はどんな顔をするんだろう。そうして男に費やす時間を作っても、彼が連絡をよこさなくなれば、私のしているいっさいに意味もなくなる。
そんなことを考えて、自分の中に、自尊心らしきものが未だにきちんと存在することに驚いた。そして、その自尊心すら不必要だと思おうとしていることに、さらに驚いた。』
『そうして、私とマモちゃんの関係は言葉にならない。私はただ、マモちゃんの平穏を祈りながら、しかしずっとそばにはりついていたいのだ。だったら、どこにもサンプルのない関係を私がつくっていくしかない。』
というわけで、マモちゃんの友達とお付き合いすることにしたのです。
原作も、一般の人が感じるもどかしさや愛おしさやさまざまな複雑な感情が、さり気なく的確に表現されていて、この映画と同様、若い世代には共感を、年配の方には懐かしさを、味わわせてくれますので、おススメです。
原作との比較。興味深く拝読致しました。私、原作アリの映像化の場合、映像が先と言うのがいいのではないかと常日頃思っています。
先に読んでしまうとどうしても自分の頑固頭の映像を譲る事ができないのです。
角田光代作品は数年前までは比較的読んでいましたが最近はご無沙汰です。人間の心理の灰汁(あく)のような部分に疲れてしまう事が多くて。
なのでこのように比較していただくととても興味深いです。成功の鍵はナレーションの多用かなあとも思っていましたが
こちらこそ返信ありがとうございました。たしかにこの監督は原作のイメージを膨らませるのがうまいと感じました。アイネクライネナハトムジークも同じ監督なんですね。ポスターに興味を惹かれていたのでこちらも楽しみに待とうと思います