「身につまされる」スマホを落としただけなのに(2018) 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
身につまされる
友人、知人、親戚、家族、勤務先、取引先で、スマホを持っていない人を知らない。電車に乗ればかなりの割合の人が一心不乱にスマホを操作している。どんな満員電車でもお構いなしだ。もちろん当方も他人のことは言えない。行き先の駅周辺の地図を確認したり、昼食の店を探したり、知らない言葉の意味を調べたりする。映画やコンサート、レストランの予約もすれば、買い物もする。
この映画を見る前日に「Searching」を観て、失踪した娘を探す父親のリテラシーの高さ、マシンスペックの高さ、通信速度の速さに感心した。パソコンでもスマホでもあれほどの速さがあれば、もう少し楽ちんなのにと思った。同時にSNSが必ずしもその人の本当の姿ではないという見方を示していることにも感心した。
本作品はスマホが持ち主の分身みたいになってしまっている現実に警鐘を鳴らすかのようで、SNSやログ履歴、端末やクラウドにアップした画像や動画などから、本来は隠しておかなければならない情報が、悪意のある、リテラシーの高い人間によって悪用される様子を描いている。大げさな台詞や極端な場面が少なく、とてもリアルである。
ラストシーンは評価の分かれるところだが、スマホを落としたことで招いたピンチを、最後はスマホが救ってくれるというストーリーはよく出来ていて、面白く鑑賞できたと思う。
考えてみれば、スマホに依存しているつもりはなくても、例えば覚えている電話番号がひとつもなかったり、名刺は全部クラウドにアップしていたりして、スマホがないと仕事ができない場面はいくつも考えつく。ある意味で身につまされる映画でもあった。
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