「「私はもう何年も喪に服していた」」ビューティフル・ボーイ いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
「私はもう何年も喪に服していた」
先日観た『ベン イズ バック』の辛口バージョンといった内容である。まるでギリシャ神話から抜け出たような絵に描いた美少年のティモシー・シャラメのビジュアル一発で持ってゆく、彼の或る意味プロモーション作品といっても良い位の作りである。確かに日本に於いてはこれ位の役回りをジャニーズ系のアイドルが出来る訳もなく、そういう意味では役者としての覚悟みたいなモノは強く感じさせられた。俳優という立場では柳楽優弥や菅田将暉ではもうこれ位はできるポジションだろうから、これからの邦画界を背負う注目株がここまで演じられれば嬉しいけどね。
今作品の特徴の一つであり、これがキモなのだろうが、とにかく“しつこい”程、何度も何度も麻薬中毒からの脱却失敗を繰り返す構成なのである。発覚して施設に入り、治ったかなと思いきや又元の木阿弥というシークエンスを幾度となくウンザリするほど繰り返す展開である。勿論映画なので実際の時系列ではないから、本来ならばもっとその繰り返しが4~5年のスパンだから物語中の登場人物達の想いみたいなものはもっと深いと推察するが、しかし鑑賞している身分とすると、まるで二、三日置きに起きている出来事のように勘違いしてしまうので益々共感性が薄れていってしまい、どんどん気持が離れてしまうのだ。多分それが今作品の風味であり、意図なのであろう。ヤサグレ感と従順感をまるでカメレオンのように演じ分ける様は時間がされているだけにより顕著に大袈裟に誇張されているのも狙いなのだと感じる。
今作品に於いての薬物依存の明確なきっかけは示されていない。実際の現場でも多分そうであろう。遠因は沢山示される。そもそもが退廃的且つ狂気に憧れる思想。思考能力が高度ならばそういうダークファンタジーに憧れを抱くのも無理はない。裕福な家庭、理解力のある父親、しかし親は離婚し別の女性と再婚という複雑な環境。しかしその総ては明確にトリガーを示していない。導き出される想像は、“成功体験”成長期特有の心の穴を埋めるものがたまたま薬物であり、体質が偶然にも親和性を持ち得ていた不幸。そして薬物が脳の意志決定に多大な影響を及ぼし始め、依存度を高めてしまう。理性を司る部位を弱らせ、立派な中毒患者が出来上がる。そしてその麻薬の“A代表”が覚醒剤と言う訳だ。日本では“ヒロポン”という名前で知れ渡っている“メタンフェタミン”は世界中に“aka”を冠しながら蝕み進んでいる。劇中でも示されているとおり、蔓延の原因は近しい人からの誘惑。元々“類友”なのだからあっという間に感染だ。そのどうしようもない負の連鎖を執拗に今作品は描いている。もう誰が悪くて誰が間違っているかは分らなくなり、結局は今作品にはカタルシスは一切描かれない。あくまでも現時点では留まっているという“過程”でしかなく、死期が一寸だけ先送りしたとも取れるラストだ。幸か不幸か体質が麻薬に殺される手前で“生きる”方に棒が倒れる偶然性。そして諦めた筈の父親はしかし又息子を救う、どうにも未来を感じられない事実。物語の名を借りたノンフィクションがそこには垣間見える、現実を真っ正面に直視した激辛の作品であった。この悪魔を創り出した人間こそ“サタン”そのものであることを考えざるを得ない暗澹が支配してしまう“感傷”であった。
いぱねまさんへ
コメントありがとう御座いました!
鑑賞から、かなり時間が経って居るので、すっとぼけた回答になってるかも知れませんが、「更生出来たかどうかはわからないが、更生への意欲に変化はあった」と思います。