「ロジカルな脚本だが、惜しい」ヘレディタリー 継承 しろくまさんの映画レビュー(感想・評価)
ロジカルな脚本だが、惜しい
冒頭のシーン。ドールハウスが並ぶ部屋。1つのドールハウスにクローズアップ。と思いきや、父が息子を起こすシーンとなる。
観終わって判る。
これは、主人公たち家族を、まるでドールハウスのように観ている「何か」がいる、ということだ。つまり、人間を超越した存在からの視線なのである。
それは、地獄の王ペイモンである。
なぜ、娘チャーリーは、男の子のような名前なのか。
映画の冒頭で亡くなるチャーリーの祖母エレンは、なぜ、彼女に「男の子だったらよかったのに」と言ったのか。
エレンの娘(=チャーリーの母)アニーが語る、エレンの生い立ち。
夫を精神疾患の上、早くに亡くす。死因は餓死!
息子(アニーの兄)は、「母(エレン)が自分の中に何かを招き入れようとした」と言い遺し、自殺。
エレンの夫は地獄の王ペイモンだった。いや、ペイモンが取り憑いた者、というほうが正しいだろう。
エレンの夫は、この恐ろしい「継承」を絶つために自殺した。
エレンは諦めず、自分の息子にペイモンを継承させようとした。しかし、その息子も自死を選ぶ。
やがてエレンの娘、アニーは男の子ピーターを産んだ。
ペイモンは男性に宿る。エレンは当然、ピーターに目を付けただろう。
しかし、アニーは、彼女の夫スティーブともども、母エレンに何か異常なものを感じた。アニーはピーターを、エレンに近づけずに育てた。
次に産まれたのが、女の子のチャーリー。アニーは、チャーリーはエレンに“与える”。エレンはチャーリーを可愛がる。しかし、いかんせん女の子だ。だから、エレンはチャーリーに「お前が男の子だったら」と言ったのだ。
エレンは一旦はペイモンをチャーリーに託する(舌打ちの音はペイモンの徴しである)。
しかし、エレンの死により、その状態を保てなくなる。なぜなら、本来ペイモンは男性に宿ることになっているからだ。かくして、ペイモンがピーターに“移る”王位継承の儀式が始まる。
まずは、チャーリーを殺す必要がある。チャーリーが鳩の首を切り落とすのが合図だった。チャーリーは事故によって、首をもがれて死ぬ。
チャーリーを“殺した”電柱にはペイモンのマーク。それはエレンのネックレスと同じデザイン。チャーリーは殺されたのだ(アニーもそう表現するシーンがある)。
こうして始まった王位継承の儀式。エレンの同志(同じ教団員なのだろう)ジェーンはアニーに近づき、アニーの隠れた本性である「ペイモンの王女」を引き出し、彼女が「最後の生贄」として自ら首を切るまで誘導する。
まあ、こう書くと、脚本は極めてロジカル。不穏というか、禍々しい空気感の描写も見事だ。そして役者たちの演技も素晴らしい。
なんだけど、いまひとつ“乗れない”。
端的に言えば、本作は悪魔崇拝を背景に置いたオカルトものだ。
その点での完成度は上記の通り、悪くない。
では、どこが引っかかっているのか。
それは途中まで、家族モノ映画になりそうな感じがしていたからだと思う。
つまり、エレンとアニーという、母と娘の争い。そして、アニーとピーターという母と息子の物語。
そういうストーリーのほうが面白かったんじゃないかな、と思う自分がいる。
本作は、冒頭に登場したドールハウスそのままに、精巧でよく出来ている。だが、「悪魔は恐ろしい」という結末は、実は平凡だと思う。そこに、もうひとひねり出来なかったか。惜しい。