GODZILLA 星を喰う者のレビュー・感想・評価
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ゴジラだった
3部作見終えてゴジラ作品としてとても満足のいく出来だったので、この場を借りてレビューしてみようと思います。
このアニメ3部作は、まぎれもなくゴジラ作品でした。ゴジラ映画=怪獣プロレス+添え物人間ドラマ、だと思ってる人にはオススメできる映画3部作ではない、という事を先に言っておきます。
まず、自分の思うゴジラ作品について。
ゴジラは人類の文明がおとした影だと考えています。人類文明の遺産、たとえば「原子力」をリンゴだとします。それを地面に置けば光が当たって影ができますが、その影として輪郭をもって地面に映されたものがゴジラです。原子力だって使い方によっては有益なエネルギーになりえますが、そこにある感情が加わると、破壊兵器となってしまいます。ゴジラを生む地面にたどり着く前の影。それがその感情。恨みです。
発展した文明と、恨みの感情。これが僕にとってゴジラ作品をゴジラ作品たらしめる要素だと、ここで述べておきます。
ここからアニメ3部作のレビューです。
まずアニメ3部作においての、僕にとってのゴジラの要素は以下の通り。
リンゴ=文明≒核兵器
ゴジラ含む怪獣を生んだものはマーティン博士が「星を喰う者」で述べていたように、人類の文明、核兵器です。言うまでもなく人間が恨むからこそ生まれた破壊兵器です。
影=人類の恨み
人類はあっけなく100年ほどでゴジラに滅亡の危機にさらされたのにもかかわらず、なぜ守り神がひきこもりニート状態のフツアは2万年もゴジラと共生できてたんだろうと、「決戦機動増殖都市」視聴後は疑問に思ってました。が、その回答は「星を喰う者」クライマックスで明らかになりました。フツアには"恨み"という概念も言葉も無いんです。人類はゴジラを恨み争ったからこそ滅亡間近となり、絶望の先に諦めたからこそ、宇宙に逃げられたんです。
地面の影=ゴジラ
地面=地球
強大な文明があったから、人類が恨みをもったから、輪郭をもった影は牙をむきます。それが本作におけるゴジラという存在でした。
その地面から影を消す、地球からゴジラを消すためにハルオを筆頭としたワタリガラス達は戦いました。
しかしギドラ戦後、全てはすり替わります。
リンゴ=文明≒ナノメタル
「星を喰う者」の終盤、ヴァルチャーの再起動に成功したマーティン博士は、ナノメタルによって人類の文明を再建できると言います。なんだって作れる、つまり破壊兵器も。
再建発言にハルオが危機感(というかまたゴジラに挑める?感情)を抱いたことから、本作品における最終的なリンゴは、ナノメタル、としました。
影=ハルオの恨み
ハルオはただ一人ゴジラを恨み、地球に戻る要因まで作ったキャラクターです。「星を喰う者」終盤、フツアとともに新たなスタートをきった人類が描かれます。ゴジラという脅威がありながらも、みな笑顔なんです。しかしゴジラへの恨みを捨てきれなかったキャラクターは、その中でも異質に、悲しみを背負う表情で描かれています。ハルオただ一人。つまり、恨みを抱いているのは人類でなく、ハルオただ一人となりました。フツアにとってはミアナが言うように、ゴジラは竜巻や稲妻のような災害のような畏れる対象であり、恨む対象では無いんです。
なので本作における最終的な影は"ハルオの"恨み、としました。
地面の影=ハルオの恨み
地面=ゴジラ≒地球
ギドラ戦を境に、ゴジラの意味は変わります。マーティン博士がギドラ戦でゴジラを応援していたことからわかるように、もう人類でゴジラを恨むものはただ一人を除いて居なくなりました。ハルオです。ハルオの恨みが"ゴジラ"という存在に意味を与えてしまっていたのです。ただの地面に、影が輪郭を与えてしまった。つまり、ハルオ以外の、宇宙服を脱いでフツアと共生することを選んだ人類のキャラクターにとっては地球の一部となってしまったゴジラに、ハルオだけが怪獣という意味を与えてしまっていたんです。
それを踏まえて「怪獣惑星」というタイトルと、ゴジラ・アースの名前に納得しました。
最後のハルオの特攻があったからこそ、自らの恨みと文明の象徴"ナノメタル(ユウコ)"を消すことで、ハルオはゴジラに勝利しました。
"恨み"という概念の存在しないフツアと、
"恨み"を持たない人類を残すことによって。
初代で芹沢博士が晴天の東京湾でオキシジェンデストロイヤーを自らとともに葬った描写が、
晴れやかな地球の空の下、自らの恨みと共に散っていったハルオと重なり、感慨深い作品となりました。
ハルオの最期の表情、眉間からシワが取れ穏やかであったことが、ハルオは人間として、自身が生んだ"怪獣"と決着をつけたんだと、僕は思いました。
地球の化身、ゴジラ・アースは無機質なようで、しかしこころなしか穏やかな表情で、文明の象徴ナノメタルと、ハルオの恨みを破壊し、"怪獣"としてのゴジラという存在を殺します。そしてゴジラという存在は御神木のように、フツアと人類の営みを見届けるのでしょう。これは紛れもなく、ハルオにとっての勝利です。
オイカリ様?について考察。
あれはフツアと人類はゴジラではなく、
ゴジラへの怒りを鎮めるために散ったハルオ含むワタリガラス達を神として信仰しているのだと思います。それこそ、小説で描かれた終末思想の塊であるゴジラ教徒や、終焉の美を魅せたギドラを神としたエクシフ、辺境から合理性を突き詰めた精神を持つビルサルドとは異なる、新しい神や精神の解釈と感じました。
オイカリ様は、ゴジラ、ギドラ、メカゴジラ、そして死の冒涜者(生の賛美者)モスラとも違う、恐怖と怒りを奪う怪獣=神or精神なんだと思います。人類を滅亡に追いやった"怪獣"という概念は、このシーンによって滅んだ事が伝わってきました。
まだ1作目2回、2作目2回、本作1回、小説1,2巻1回ずつしか観てないため、思ったことを書き連ねた拙い考察です。他の方のレビューや動画を観て、勉強してから2回目を観ようと思います。とにかくアニゴジ語りたい!
ただ、低評価が多かったので、個人的には応援したい映画作品だったため3部作通して☆5評価をしたくて投稿してみました。映画単体としては、
怪獣惑星☆4
決戦機動増殖都市☆4.5
星を喰う者☆4
くらいです。今作は静止画あったのがちょっと…。またNetflixで出たら、静止画演出に意味があるか見直してみます。
気に食わなければ怪文書だと思って無視してください。
これぞ虚淵ゴジラ
とうとう三部作が完結してしまった。
これまで常に期待を裏切り、期待以上の作品を作ってきた虚淵氏が日本の代表的怪獣であるゴジラをどう描くのか、期待を膨らませて映画館に足を運んで鑑賞後には興奮で鼻息を荒くしながら帰ったのが昨日のようだ。
自分のゴジラに持つイメージは「デカイ、ツヨイ、コワイ」だ。
過去の実写作品でも結果として人類が救われることはあっても、それはゴジラにとっても邪魔だっただけであり人類の味方となったわけではない。
今三部作はゴジラ初のアニメでありそして三部作だった訳だが、新しい視点でありながらも先に挙げたゴジラのイメージを踏襲しながらも、予想と期待を大きく上回ってくれた名作だったと感じる。
今作は象徴的な三つの種族「人類」「ビルサルド」「エクシフ」によって、異なる視点からゴジラを捉える事が出来る。
人類は地球を奪われた憎しみや恐怖という心理的視点
ビルサルドは逆に感情を排除した科学的視点
そしてエクシフはどちらとも違う宗教的視点
それぞれ1部では人類がゴジラ・アースによって心を折られ、2部ではメカゴジラシティが、3部では神とされるキングギドラが倒され全ての面で人類側はゴジラに敗北している。
しかし、この映画の「敗北」に関しての解釈は別れるところであり、人類は本当に「敗北」したのだろうか?
人類にとっての勝利条件は「ゴジラを排除し、地球を取り返す」事であり、それに関してはフツアの民が「ゴジラを排除」以外の点では達成している。
ビルサルドの「メカゴジラと同化することによる進化」も結局はまたギドラなどの星自体を破壊する怪獣を産み出す可能性があるため、勝利とは言い難い。
エクシフに関しては破滅ありきなので言わずもがな。
となると、今作のラストはむしろ人類の勝利だったのではないかと思えてしまうのだ。
ハルオは地球に子孫を残し、最後はギドラへ繋がるナノメタルとなったユウコと人類のゴジラへ抱く憎しみと共に安堵とも取れる笑みを浮かべながら最期を迎えた。
これにより2万年前から続く人類の憎しみは消え去り、ゴジラには畏怖だけが向けられ人類との対立はなくなった。
その証拠として、エンドロール後の儀式で「怖いものをお焚き上げ?」する場面で子供達の「怖いもの」のなかにゴジラの名前は出てこなかった。
斯くして地球はフツアとゴジラによる共存によって物語は幕を閉じた。
個人的には、今回の後半でマーティン少佐(人類の科学者)が、ギドラに一方的にやられるゴジラを応援するシーンは興奮で思わず前のめりになりました。
過去作でも「倒すべき相手」であるはずのゴジラを逆に応援してしまいたくなるような事がありましたが、それをこんなに上手く観客にさせてくれるのはきっと虚淵氏の手腕によるものなのでしょう。
ゴジラと言うキャラクターは最初にも述べたとおり「デカイ、ツヨイ、コワイ」であるべきだと思うし、それを三つの種族と三部作と言う尺を使ってここまで見応えのある作品に仕上げた制作スタッフに拍手を送りたい。
星が4なのは、やはりそれでもどこかでハッキリと人類にはゴジラに勝って欲しかったと言うのと、ギドラのウネウネだけでなくキチンとした本体とゴジラの戦いが見たかった、あとモスラの見せ場がががががg、といったところがあったためです。
それでも大満足のゴジラでした!
駄文をここまで読んでくださった皆さまありがとうございます。
3度目の(又は『も』)正直
第一作、今後に期待した。第二作、より期待した。第三作・本作、・「願い」は叶うとは限らなかった。
他の方も書かれていますが、難解だ。アレを結末というのか?チョイ出しのモスラはどうなった?、本作のスピンアウトでモスラでもやろうと思っているのか?
ゴジラ・シリーズは好きだ。だが、期待した分悲しかった。より期待した分、もっと悲しかった。最後で???。
立川シネマシティaスタの音は最高だった。音で救われた。画も綺麗だった。そうそう、採点の2点は音響とスクリーン分。
が、しかし、平日最終回だから不利ではあるが劇場386人収容のトコロで10数人観覧。数は正直だ。
人類の行き着く先に待つものとは?
ゴジラ・シリーズ通算第32作(アニゴジ三部作第3部)。
通常スクリーンで鑑賞。
「怪獣惑星」ではあまり動かないゴジラ(でもアニメならではの戦闘描写はとても良かった)、「決戦機動増殖都市」ではメカゴジラ詐欺(でもヴァルチャーはカッコ良かった)と、ファンとして賛否両論だったものの、最後まで観届けようと思っていました。だってゴジラを愛して止まないから。
ついについに、この時がやって参りました。待ちに待った怪獣対決です。ファンならずとも興奮必至であろう(と勝手に思っている)その対戦カードとは、ゴジラとギドラ。ポスター・ビジュアルからして「ゴジラVSキングギドラ」のオマージュであり、期待値が否応無しに膨れ上がっていきました。
人知を超えたゴジラを打倒するには、自らも人ならざるものにならなければならない。前作で提示された考えに対し、人として成すべきことがあるのではないかと苦悩するハルオ。
事態は風雲急を告げ、ビルサルドが神と崇める高次元怪獣ギドラが金色に輝く姿を現し、ゴジラとの対決になだれ込んでいきました。ハルオとメトフィエスも正面から激突!
黄金の終焉を前に、絶望的な滅びへ加速度的に事態が悪化していく中、全てに決着をつけるための壮絶な概念・思想闘争が繰り広げられました。まるでエヴァのように…
これまで幾度となくゴジラと激闘を繰り広げたキングギドラが予想だにしないアレンジを加えられて再登場しました。
このギドラ、史上最強と言っても過言では無い。「ウルトラセブン」のナースの紛いものかよ…なんて侮っていました。
ところがどっこい。私たちの知っている物理法則が通用しないのだから始末に負えません。エネルギー保存則完全無視。
視覚・聴覚では存在を認識することが出来ますが、センサーでは観測不可能。ゴジラの熱戦も通じず、触れることすら叶わないと云う幻影のような曖昧な存在で、まさに虚無。
しかし、ギドラからは対象に自由に触れることが出来ると云うチートな無双状態。なんたるもどかしさ。重力場を自在に操り、時間や空間を捻じ曲げてしまう。最強かよ!
3つの首で喰らいつき、超重量級のゴジラを軽々と持ち上げる。絶望しかなかったです。そもそもまともに戦えない。だからと言って怪獣王が負けるはずが無いと手に汗握りました。
とは言っても、メインは怪獣対決ではなく、人間とはいったいなんなのか、文明の行きつく先にあるものとは何か、と云う哲学的なテーマに終着をもたらすことでした。
宗教的な概念、哲学的な会話が渾然一体となり、壮大なテーマが浮き彫りになり引き込まれました。これまでのゴジラ映画でここまでの思索が試みられたことはありません。
過ちを犯すたびに反省し二度とするものかと一旦固く決意するものの、文明の発展と共にのど元過ぎればでさらなる高みを目指そうとするのが変えようとしても変えられぬ人間の性。
自らの首を絞め、自滅するのは時間の問題ではないのか。そんな「定められた運命」に身を委ねたのがエクシフの文明であり、メトフィエスたちの宗教の教義の根幹でした。
運命に抗おうとするハルオの決断に希望を見出すことが出来た気がしました。そんなラスト・シーンは衝撃的で、息を呑みました。概念的にゴジラを駆逐するなんて斬新過ぎる。
第1章や第2章のレビューでは「なんだかなぁ…」とか「微妙だなぁ…」みたいな感想ばかり書いていましたが、本作を観終わって本三部作全体の見方が180度変わりました。
斬新で柔軟な発想で料理してもらって、これからもシリーズをさらなる高みへどんどん押し上げていっていただきたいものです。但し、損なってはいけない部分は大事にしつつ。
[以降の鑑賞記録]
2019/05/30:Blu-ray
2020/05/02:WOWOWシネマ
※修正(2023/11/02)
「観念」vs「ゴジラ」の決戦、「憎しみ」vs「想い」の終章
覚悟の上での結末だと、ボクは映画を受け止めました。
ハルオ・サカキが戦い抜いて、気付いてしまった「己」のことや、胸中の「心残り」、2章のガルグの「とある台詞」…特撮でこそ輝くゴジラをアニメーションという無謀(?)で置き換えた作品は、個人的な見解ですが、ちゃんと立派なゴジラですよ。まあファンってわけじゃないので、異論が来ちゃうとアレなんですが(笑)
というかこの作品は一度で咀嚼ができない映画。キャラクターの旅路の果てには、きっと意見が割れるだろうし、“あのシーンはどういう意味!?”と掴み切れないところもある。ただそういう「相容れなさ」を共有できる物語って、今は少なくなっているから、スゴく貴重なことだと思う。まあアダムの退場パートは、さすがに雑だと思いましたが(自分なりに解釈したけど、それでもやっぱり、ねえ)w
なので咀嚼の手掛かりを見つけることがオススメです。自分は『ゴジラ ファイナル・ウォーズ』(2004)と「翠星のガルガンティア」(2013)。この二つを想起しました。一応理由もちゃんとあります。
前者はゴジラがギドラから、人がX星人から、星と命を守るためにリンクしていく最終決戦。ファンの間じゃ相当評価が低いとどこかで聞きましたが、ボクは嫌いじゃないですよ。ラストも悪くなかったです(あそこでゴジラと人類は“通ずるもの”を見た気がするし)。本作においてもそれはゴジラvsギドラ戦や、ハルオvsメトフィエスにしっかりと感じられて、滅ぶことでの解放か、未来の為に生きる道か?非常に難しいテーマを、逃げずに模索してました。
一方の後者においては、コインの「表」と「裏」でした。少年レドが地球に迷って、人類を知る展開と、地球の過去を忘れられずに地球へ戻って来たハルオ。一見異なるように見えて、少し似ているところもある。でも根本はまるで違って、二人の未来も真逆の道。それこそボクが序文で述べた、ハルオが気付いてしまった“己”、ガルグの“台詞”が露わにさせた、“ある結論”に繋がっていて、何というかやるせなくて、スゴく哀しくなりました。レドはエイミーがいたからこそ、過去をこれから未来へ紡げる。ハルオもマイナと歩くことで、フツアの側とも人の側とも異なる、別の未来というか、第三の道というのを、一緒に探していけたはず(それだと流石にハッピーエンド過ぎるかなあ?どうだろ)…それゆえのもどかしさが、あの最後に宿っていました。
悲劇とも取れるラストをどう見るかは人それぞれ。ですが一番大嫌いな“特攻賛美エンド”ではなく、間接的に“負け”を認めたラストシーンは…ボクは好きです。ハルオのあの決断を、マイナはどう思ったのかな?それもいつか小説とかで、触れてみたいので、楽しみです。
追記:ネタバレしちゃいましたが、メインヒロインはマイナです。読んだ方々、この作品でマイナにハートを盗られてください(笑)とにかくメチャクチャ可愛いです!これはユウコ、完敗ですわ(泣)
ゴジラ映画史上クソ映画
ようやく、アニメ3部作の完結編が、観たけど、はっきり言って、クソ映画No.1
これを、ゴジラ?って言いたくなるほどの、つまらなさ。
予告編観て、これは期待出来るかなぁって、観たけど、な~にこの酷さ。
わざわざ、3部作製作する必要性ないと言うか、はっきり言ってアニメゴジラを製作する事態論外。
ギドラも、単なる首がながーい龍だし。
それも、同じのが、3体。
だったら、マンダでも、良いじゃん。
モスラも、出たのは出たけど、空気扱いだし。
だったら、双子?の女の子も、必要無くね。
完全に、ゴジラを侮辱しとるぞ。
今回製作担当した監督のクズ。
アニメだから、多めに見ようかなぁって、
思ってたけど、イライラと酷さとゴジラの登場シーンの少なさで、それどころじゃないよね。
人間の中心のお話だったら、わざわざ、ゴジラのタイトル必要有りますか?
絶対、必要無いやろ。
今回のクソアニメを機に東宝さんには、
今後ゴジラをアニメとして製作を絶対にしないで欲しい。
そもそも、公開日が、遅すぎ。
第1章が、去年の11月
第2章、今年の5月
最終章が、今年の11月
って、どんだけ遅いんや。
まぁ、1ヶ月たったら、動画配信してる見たいだけど。
それだったら、最初からネット配信で良くねって、ならないか?
3部作見終わって、はっきり言うけど、
こりゃ、レンタルで良いやって内容になるよ。
わざわざ、映画館でやる必要性は、まったく無いわ。
子供の頃から、ゴジラ観て好きになった1人ですが、このアニメゴジラは、はっきり言って、クソ映画の1つです。
えげつないつまらなさ
ゴジラ、モスラ、キドラって題材ありながらよくぞここまでつまらなく作ったなー。
お、やっと怪獣同士の戦いはじまった
↓
人間の専門用語だらけの分析
↓
お、戦い再開した
↓
人間のドラマパート
の繰り返し。戦いなんてほとんど無い。前半ずっとお休み中のゴジラ。後半ギドラに噛まれて痛がって鳴くだけのゴジラ。
ゴジラってか人間ドラマメインのアニメにちょっとゴジラも出てきますよーって感じ。
もう二度とアニメ化なんてしないでほしい
モスラ「ハルオ俺は蛾だぞ」
とにかく映像を通して、作品を通して伝えたい事をセリフに乗せて説明しすぎるとめっっっちゃくちゃ萎えるので、説明台詞ばっかりの作品は映画でもアニメでもドラマでもガッカリする。
孕ませられた挙句メカゴジラ女と無理心中されちゃうし、鱗粉娘本当可哀想。
噛まれて浮いて落ちて数回ビーム撃って終わるゴジラさんほんと暇そうだった。
言いたいこと、伝えたいこと、描きたいことは良くわかったけどそれは脚本や台詞だけに載せるのではなくて映画全体で伝わってくるような作り方が美しくなると思います。それができれば余計な説明台詞は要らなくなります。
SF作品として、怪獣映画として面白く興奮する演出がちょくちょく見られてそこは良かったです。
おいていかれた気分
3部作全部映画館で見ました。
1部を見たときは結構続き楽しみだったんだけどな…
2部はモスラ持ってきた!とか、そーかそーか、こういうメカゴジラという概念ね、うわーここでギドラ出しちゃう!
みたいな次々におもちゃ見せびらかされる感じで、それなりにどう終わらせるのかなぁという期待感はあった。
3部はね、なんだろう…もうすっごい置いてかれちゃうんですよ。終始( ゚д゚)ポカーンという感じで過ぎていきました。
作中で博士がギドラをみて、
目と耳でしか認識してないだと!?実態がないというのか!?
みたいな台詞言ってましたけど、この映画がまさにそれなんじゃないかと。
映画館でみてます。
確かにゴジラキシャーって叫んでます。
でもなにもないんです。終わったあと何も残らないんです。
この映画を作った人は何を伝えたかったんだろう。何を残したかったんだろう。
解釈を見た側に投げるのも悪くはないけど、投げっぱなしは良くないと思うの。
この映画をどうこう言っていい権利があるのは映画館で全部ちゃんと見た人だと思うのでちょっとぶーたれましたが、
それでも形としては終わらせたのでエヴァよりはまだマシかなぁとか思っちゃいます。
エヴァは好きですよ。
見事なとどめ!(観客に対して)
三部作全部見ました!
【良かったところ】
宇宙船が破壊する直前のオペレーターの「すでにブリッジの生命反応がない!?」的なことを言った瞬間ちょっと面白かったです。
最後にハルオが散るところで思わずガッツポーズをしたので自分もストレスが溜まってたんだなと思いました。
ハルオは劇中の人間も、今回の映画をかすかに期待してた観客もことごとく不幸にしているあたりダークヒーローっぽいなと思いました。(褒めてはいない)
【悪かったところ】
1,2、3部作合わせて全部フツアの里に迷惑かけっぱなしなところに一貫性がありましたね。(まったく良くはない)
ハルオはどうせどっちかわからないなら妹も姉も両方手を出せばよかったと思います。どうせ観客からの好感度地の底なんだし。
冷静に考えるとこの作品では人間に対して希望が持てないんだなと思いました。
ハルオみたいな怒りを持った人間がいる限り同じようなことが繰り返される可能性があるって時点で人間たちはフツアの里で土着しちゃあかんでしょって思います。(フツアの里のひと優しいから拒否なんかしないだろうし)
あと、最後で幼馴染ちゃん荷物のようにバルチャーに持ってって特攻するシーンで少しフフッてなりました。心臓動いてるとか脳死とか期待持たせるところで生存ルートのシナリオもあったけど、今回のシナリオに決まってどうしようもなくなってハルオと一緒に処分したんだろうなぁと製作陣の舞台裏みたいなところを想像できるあたり、学園祭の模擬店みたいな感じがありました。
ハルオの名前の由来の「春」のシーンもゴジラがいても復活していたって最後のほうでわかったところで「やっぱ1、2部で思っていた通り時間をかけて調査したほうがよかったやんけ・・・」としか思いませんでした。ゴジラがいなくなって春が戻ってくるならまだしも、最初から春がありましたってどんなコントだよって思います。
今回みたいな作品を見せられるならやっぱり2部作のラストでビルサルドの邪魔する必要はなかったと思いました。
ゴジラを退治したあとメカゴジラのナノマシンに支配された星だろうと人間が幸せに暮らせるならもうええやんって気がします。
あとエンディングで双子ちゃんのお姉ちゃんの腹が大きくなったところを見たところで「未成年、妊娠、逮捕」とか思いましたが警察がいない世界だから結果オーライなんだなと思いました。
パンフレットでハルオが特攻するだけだとやけっぱちに思われるから双子ちゃんの姉とくっつけましたとか書いてありましたけど、どうよく見せようとやけっぱちにしか見えないので双子ちゃんの姉とくっつける必要はなかったと思います(むしろくっつけたことで地味に傷ついている観客のほうが多いんじゃ?)
幼い女性に手を出して子供作って後は頼んだ!って現代の価値観で考えてもなかなかのクズっぷりが際立ちましたね。そしてヒーロー面するからますますクズに磨きがかかっていす気がします。
【まとめ】
前作の感想も書いたのですが、その時にフツアの里と双子ちゃんが無事ならオッケーと書いたのですが、双子ちゃんの姉がハルオに手を出されてしまうあたり、「ああ、この作品ってほんと観客に優しくねえな」と思いました。
最後になりますが、同時期に上映しているボヘミアンラプソディはとっても面白かったです。(パンフレット品切れ悲しかった)
オイカリ様
エンドロール後のエピローグはあんなシメで良いのかどうかは、解釈自体が難しいのではっきりと評価はできないが、総じて完結編としてはグズグズっと終わった感じである。確かに、或る意味壮大な哲学的思考を大風呂敷で拡げて置いて、結局最期は、全てを乗っけてゴジラに突っ込むという自殺行為をすることに意味を見出せるとは思えないし、かといってでは別の何かがあるのかと言えば、やはり“モスラ”の孵化を待つしかないということしかない。まぁあの科学者が何かしらの知能を用いてモスラに何か施すことくらいかな。
あの特攻でも多分ゴジラは死なないだろうから、本当の神を待つしかないのかもしれない・・・なんて、何ともやりきれない話だ。
科学の結晶でもあるメカゴジラ、人智以上の超能力によるギドラ、その両方とも結局人間は拒絶するという選択はまぁフィクションとは言え、そうしないとストーリー展開が拡がらないから仕方がないのだけど・・・ でもなんだろう、このなし崩し的な帰結は・・・。
多分、これをきちんと解釈出来るキーは、小説なのだろうね。そこでの利益も考えての構成ならば、大したものだし、それこそ人間の汚い部分を作品を通じて観客に訴えてるようなものだが(苦笑
宗教のメカニズムを優しく教えてくれたことは知識として興味深かったが、哲学的にここまで作り込んだプロットなのだから、もう少し新しい方向制を示してくれると嬉しかった。“勝つこと=生き残ること“、”人間は前座“、”E = mc2“等のパンチラインが並んでいるのだから期待は否が応でも上がったんだけどね。思念の中の闘いは、もっと幻魔大戦的でも良かったのではないのかな?
まぁ、色々とケチはつけてしまうのだが、だが、大人が耐えうるアニメを制作する事自体は止めないで欲しいと願うばかりである。
昭和親父のもしや!?虚しく今回もスカされた。
1作目で、おや!?
2作目で、ありゃりゃ!?
今回も・・・な予感ですが、この黄金の龍見ると昭和な親父は、見なしゃ〜ない。
*勿論ポイント無料鑑賞です(笑)
前回のメカゴジラは、イメージしてた対ゴジラ用のロボット怪獣ではなく都市
今回のキングギドラもあのお馴染みのシルエットは一瞬映るも金色の龍が3匹ウネウネ・・・
ポスターの写真の感じで、見えててもギドラは、同空間には実在してないので、ゴジラの反撃は全てスカされる。
そんなゴジラの窮地に現れるのは、主人公の妄想の中であのシルエット!(◎_◎;)
原住民孕ませて、脳死してる元カノ?部下連れて・・・@@::::
双子の原住民とは心の対話のみでのラストの方が綺麗だった気はする。
要所要所に、昭和の親父のもしや!?を思わせるもスカされる3部作でした。
非常に台詞量も多くお子様向けでもないゴジラですが、人気声優推しで観る人には、名作なのかも知れない!?
☆1.6
なんとか一本つくれました感
1 ゴジラをアニメ化してやる!メラメラ
2 CGゴリゴリに使ってカッチョいい映像つくろうぜ
3 3部作って言っちゃったどうしよう解放されたい
という作り手の気持ちがハルオそのものだったのではと思うと作品づくりって楽しそうだけど大変だなーと。
ギドラの召喚と宇宙船破壊まではワクワクしたけどその後はクライマックスを待ってたら来なかったので、話はまとまったけどエンタメとしては期待はずれでした。
ゴジラ ギドラ かっこいい!!ハルオ=!!
ゴジラ大好き人間です♪
3部作の完結編でワクワクして観に行きました
脚本がニトロプラスの虚淵玄ですので
2部もかなり心にずしりと来ましたが
今回もかなり重かったです
後半 ハルオの葛藤が重くて苦しかったですが
自分もハルオになったように苦しくもがきました
ハルオ!負けるな!と心の中で叫びながら
異星人のメトフィエスが本性を現すのですが
まどかまぎかのキューベーと重なってしまいました
後半はハルオVSメトフィエスの心の中での戦いと
ギドラVSゴジラの対決が
見どころです
ハルオの戦いは観ていて苦しかった
ゴジラもギドラに苦戦しますので これもまた
観ていて苦しい
しかし ゴジラギドラの戦いは迫力ありました
ゴジラはかっこいい!!
ギドラの鳴き声も健在で泣き声をきいただけで
心が躍りました
しかし ラストはああなるとは・・・
思わずゴジラ第1作目と重なりました
焼肉屋に行ったら・・・
三部作の最終章は眠気との戦いでした。
メカゴジラ、モスラ、キングギドラがそこに居るのに出てこない・・・
焼肉屋に行ったら良い匂いがするのに肉が無いみたいな感じかな?
面白くない
人間ドラマは冗長。
ゴジラ出てくる意味は?
モスラ戦わないの?
ギドラ噛みつくだけ?
前半はギドラ教、後半は虚淵トンデモ科学読本って感じで、オカルト映画でした。
虚淵特有のトンデモ科学解説がケレンミたっぷりに語られる中、ちょろっと原爆投下シーンが出てきたりして安直な感じ。文明がどうのこうの謂う割に安っぽい。
結局最後なのにゴジラとはまともに戦わず不戦敗。
カタルシスがある訳でなければ、考えさせられるほど深い話でもない。
観てる人は何を感じれば良いのかな?
そして積もり積もった疑問。
ハルオ脱走した……のかな?誰も気付いてないよね……。
ギドラ召喚にハルオいらないよね?皆で祈ったら召喚出来ちゃったけど。
モスラ姉妹の一人拉致した理由は?結局爆風に巻き込まれたけど元気だったしね。
どうしてゴジラの攻撃がギドラに通るようになったの?干渉できなくなるなら、寧ろギドラの攻撃が効かなくなるだけでは。
きっと大抵ちゃんと答えがある疑問だと期待するけれど、別に其を確認するためにもう一度見る気しないなぁ。
何よりゴジラの造形がカッコ悪いよ。
次のゴジラは面白くありますよーに。
インパクトを評価!
・満足点
キングギドラ登場から、ゴジラを圧倒するまでのなんという神々しさ!「人知を越えた存在」というのを視覚的にも情報としてもしっかりと感じられた。とくに母船が襲撃されているときは圧巻だった。モスラの糸攻撃とゴジラのしっぽ綱引きで撃退されてた頃からは想像できない進化だなあ(笑)
・不満点
キングギドラが実体化したあと、てっきりここからキングギドラが全身を現してゴジラと怪獣プロレスを展開するのかと身構えたら帰っていっちゃった点。結局首だけかよ・・・ あとエピローグの特攻。うーん、個人的に特攻が正当化されるような描写は好かない。てっきり博士に利用されないようにヒロインを埋葬したりするのかと。
・総評
ゴジラだから見続けた3部作。一作目はこれじゃない感を感じながらもゴジラ・アースの登場には素直に痺れ、二作目はメカゴジラこそ出ないものの展開も良くて案外面白く、最終作ではキングギドラの規格外の強さがしっかりと描かれてたから満足できた。前日譚の小説も読んでみようかしら?
ところで今作ラストで小美人の片方の妊娠姿が映るんですが、なんだろう、凄く罪悪感を感じました(汗)
ゴジラとしてはSFすぎ、SFとしては温い...かな
見た感想は題の通り、SF好きとしてはギドラの設定等好きな展開でした。
一方で、分かりやすくスッキリ終わったので少し物足りない気もしました。
イメージとしては神林長平作品を分かりやすくした感じです。
特撮系は初心者なのでなんとも言えませんが、2部と同様に特撮好きの方はそっち方面で物足りなさを感じたのではないでしょうか。
今後もこの様なジャンルを越えた作品には期待しています。
GODZILLAを冠する映画ならゴジラ映画を作れ………
アニメーションのゴジラ映画、3部作の最終章です。
結論から言いましょう。
「★TU★MA★RA★N★」
■まず一番の不満点その1「ゴジラとギドラの戦い??」
圧倒的に戦闘シーンが足りな過ぎる。足りな過ぎるどころか単調過ぎる。
両者とも、今までのゴジラ映画の中で最大の巨躯を誇るのだから、地球が壊れるぅううううう!!と思うぐらいの大乱闘を繰り広げてよ…。
300mのゴジラすらも豆粒に思えるほどの長い首を異空間から伸ばしてくるギドラ。
時間や空間、肉体という概念すら超越し、別宇宙(別次元)から一方的に攻撃してくる。
ゴジラが開口一番、熱線をギドラに向けて発射!
ギドラは空間を捻じ曲げて熱線を逸らす。曲がった熱線で吹き飛ぶ大地。
ギドラはゴジラに接近するが、ゴジラの物理攻撃(ひっかき)はすり抜ける。
いいよ!圧倒的でカッコいい!今度はギドラの攻撃な!何が出るかな?
でも・・・
設定だけなら超胸熱なのに全然活かされてない。ギドラがやった攻撃はただ巻き付いて噛み付いただけ。引力光線すらも吐かない。
・・・はぁ?あなたはただの光るヘビですか?
宇宙に残っていた人類の宇宙船を破壊した時のような、時間も空間めちゃくちゃにして何が何だかわからないうちにやられる、そんな攻撃をビジュアル化して見せてくれるのをこっちは待っているんだが??
いや、ゴジラを圧倒してるのはわかるよ?
でもビジュアルだけで見れば噛み付いてるだけなんだよね。
何が起こっているかを地上の人間がひたすらベラベラダラダラ解説してくれてるけど
そんな言葉はいらんのですよ。
百聞は一見に如かずじゃないけど、映像として見せてくれよ。いや「魅せて」くれよ。
ゴジラの熱戦が雲も大気も切り裂いて宇宙まで飛んでいく。
ギドラの引力光線が大地が降り注ぎ、地面が抉れ、次元を超えてあらゆる方向から攻撃してくる。
そんな強敵を前に人類との闘いでは見せなかった、全力を出すゴジラ。
ゴジラとギドラのぶつかり合いで地球が悲鳴を上げる。
そんな人類ではどうしようもない怪獣同士の攻防で起きる阿鼻叫喚の地獄絵図を見せてくれよ。
■不満点その2「ゴジラ倒すの無理ぽ。とかここまで来ておいて言うか?」
おい、このゴジラ映画はつまり何が目的だったんだい?
地球に帰ってきたのはなぜなんだい?ゴジラを倒すためじゃないのかい?
3部まで引っ張って、ゴジラは自然そのものだから憎むことなく共存していきましょう、だと?
だったらハルオを主人公なんかにするんじゃねえ。
だったら最初の1部の時から
「ゴジラを倒すなんて無理だ」「人間は自然には勝てない」「人の業に悩む」「軍のやり方に反旗を翻す」「戦いを止めたいと願う」そういう思想を持った主人公を用意しておけよ。
そういう主人公が1部2部でゴジラ打倒を夢見て敗れていく仲間を見送りながらヒューマンストーリーを展開し、3部でゴジラと人類の戦いを止めることができた。という流れなら整合性が取れる。
ハルオは1部「ゴジラ殺す」2部「ゴジラ殺す」3部「無理ぽ、死のう」じゃ、あんまりじゃないか。
いや、一応わかってはいるよ?
憎しみを持ちつつフツワとの交流を通して「勝つとは、命を繋ぐこと。生きること」だと悟り、ハルオは命を次に繋ぐことができた。だから自分はもう役を果たした。自分の命に宿っている憎しみ(ギドラ)を次世代に残さないために、命と共にここで断ち切ろう、と。
■総括「怪獣映画なら怪獣にもっとスポット当てろ」
ゴジラもギドラも怪獣としてのビジュアル、スペックは良いモノ持ってんのに「人間が邪魔過ぎるぅー!!」
プロレスやK-1を見たくてテレビをつけているのに、8割は実況解説者を映してるようなもん。
■その他1「ギドラ・・・でてこぃや!」
引きこもりか!首だけじゃなくて体も出せ!
※劇中のシルエットは良し
■その他2「モスラ・・・でてこぃや!」
こっちは卵に引きこもりか!はよ生まれろや!
※劇中のシルエットは良し
なんかね、劇中で2体ともシルエットで登場なのよ。
元クリエイターなのでモノ作りの現場知ってる身としては「あぁ、予算がない中なんとか形だけでも出したい」という裏側の苦悩が見えてきていたたまれない気分になったわ。
たぶんギドラが首だけだったり、人間劇場がくっそ長くてダルいのも、全ては予算のせいだわ。
ゴジラが動けば動くほど、大地が削れるように、予算も削れていくから、なるべく動かしたくない。だから人間群像劇長めに。多分90分中でゴジラを動かせるコマ数(予算)が決まってるんだろうな・・・。
ギドラとゴジラが両方大暴れした日にゃ、映像も金も火の車だわな。
ギドラもモスラも全身モデル完成させるだけでも大金が飛ぶ。
だからギドラの頭部と首のパーツだけ作って、首はコピペでどこまでも伸ばせる。
■その他「怪獣映画の美学」
怪獣は何かを壊さなくてはならない。
アニゴジ映画を通して言えることがあるのだが、街がない。
人が作った建物、文化、果てはエゴや感情などを粉砕する美学。
そもそも最初から壊されている大地に300mのゴジラがいても、何も壊れるものがない。破壊する対象がない。それは映像としてつまらない、退屈な原因の一つだと思う。
1部は、ゴジラアースが兵器群を瞬殺する場面が、2部のMGシティが最後に一掃されるシーンが一番面白い。でも3部は、何も破壊されていないのだ。
■次回作は・・・ある・・・のか?
モスラちゃん(お怒り様)が出る日は来るのか?
もし来てゴジラ対モスラになったらハルオはまさに犬死DAZE!
1部〜3部を見て、結局1部が一番面白かったな。
やはり3部作モノというのは1部が一番面白いの法則は健在だったわ。
全体的に酷評されいてもゴジラらしい素晴らしい作品
ゴジラから怪獣プロレスを抜き取ったシンゴジラと同じ初代復古を目指す作品だと思います。監督の誤算があるならば想像以上に初代を忘れている、見てない人が多かったということでしょう。ハルオの特攻の意味がわからないという意見をちらほらと見ます。その意味がわからないと言うことは初代の博士がオキシジェンデストロイヤー抱いて海に沈んだ理由もわからないと言うのでしょうか?その手に抱いていたのがゴジラを完全に殺しうる兵器かゴジラを観念的に殺すイデオロギーかという違いしかありません。ハルオが死んだとき人類の敵としてのゴジラも死んだのだと思います。見事に初代をリスペクトした上で現代風アレンジした作品でした。
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