GODZILLA 星を喰う者のレビュー・感想・評価
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人類の「業(カルマ)」を断つ使徒、ゴジラ
本多猪四郎監督のシリーズ第1作『ゴジラ』以来の「人類は文明を発展させ、科学技術の暴走を引き起こした末に滅亡=ゴジラを生み出した」というテーゼを逆転させたのがアニメ版ゴジラの特徴だ。人類の愚かさを嘲うがごとく都市を破壊していたゴジラは、本当は人類がその「普遍的無意識」のうちに待望していた存在だった、ということだ。つまり「滅亡=ゴジラは人類が文明を発展させ、科学技術の暴走を引き起こしたときに現れる『救済』だ」ということ。
ゴジラが地上から人類を一掃した後、別の「何か」が新たな世界をつくる。SFの「ネクスト・ジェネレーション」の発想に近い。新海誠監督『ほしのこえ』では、人類が戦っていた異星人が、実は人類の「進化」に未来を託していることが明らかとなる。
アニメ版のゴジラは、言わば地球の「進化」のために害悪となりさがった人類を消滅させる使徒だ。メトフィエスとハルオの深層意識での対話は、滅亡と新生を受け入れる「老賢人」と、あくまで拒絶する「太母」の葛藤であるかのようだ。
だからハルオは、植物状態となったユウコを連れて、使徒・ゴジラに突撃して散華し、土に還る。また同じ過ちを繰り返そうとする人類に罰を与えるのは、フツア族の「神」なのかもしれない。
ゴジラを応援していた理由
面白かった。オープニングのメトフィエスの語りのところでほぼ面白いことが確定したくらいに期待通りだった。
まあ実を言うと、中盤のメトフィエスがハルオを説き伏せる場面が少々長くてだれたけど前二作と合わせて総合評価で★5にする。
それから、エンドロールのあとにエンディングがあるので観てない人は観たほうがいい。
ギドラが登場しゴジラに噛みついている場面で、マーティンと同じようにゴジラを応援していた自分がいた。「怪獣惑星」ではゴジラとの激闘、「決戦起動増幅都市」でも激闘、そうなればゴジラは倒すべき敵のはずだ。しかし応援していた。そのときはただ不思議だった。
終わったあとに考えてみたら、すごく単純なことだったのに前二作までは気付いていなかっただけだったのだ。
科学技術を誇るビルサルドを象徴する怪獣はメカゴジラ(シティ)で、信仰を大事にするメトフィエスたちを象徴する怪獣はギドラで、スピリチュアルなフツアを象徴する怪獣はモスラだった。
それならば、主人公ハルオを筆頭に私たち観ている者も含めた地球人を象徴する怪獣はなんだ?ゴジラだったんだ。自分たちの代表がゴジラだったのだから応援する気持ちが芽生えるのも当然なのだ。
前二作まで、これは怪獣映画ではないと思っていたけれど、気付いていなかっただけでちゃんと怪獣映画だった。
異人種間の摩擦は形を変えた怪獣バトルで、怪獣同士の戦いは異人種間の代理バトルだった。
神になるために降臨してきたギドラに対して抗う地球人とゴジラ。未来の地球人であるフツアの力を借りて撃退に成功する。
ここでギドラに変わってゴジラが神になるのか?いいや、ならない。
神とは勝者がなるわけではなく、恐れられ讃えられ人々に神と認識されたときになるのだ。
マイナは勝利に固執するハルオに生きることが勝利だと説く、それでもハルオは選択しなければならない。今までの自分を精算するために。
彼の最期の選択は彼の望んだ形ではなかったかもしれないし、ただ負けることを望んだだけかもしれないけれど、地球を自分たちの手に取り返すというハルオの望みは、未来人フツアの価値観を取り込んで結果的には成せたと思う。
そしてギドラでもゴジラでもなく、ゴジラの写し身だったハルオが神になった。
勝利を渇望していたハルオは未来の地球の価値観の中で永遠に『勝ち』続ける。
西洋ゴジラが好きなので刺さらなかったが
もう少し怪獣バトルしてくれよと思いつつ、和製ゴジラっぽい部分もあったので良く作られているとは思った。
超兵器を使って戦うところは今までのゴジラVS人類であるあるだし、最後にナノマシン兵器を残さないために特攻するところは初代ゴジラの芹沢博士そのものでゴジラ作品と言う説得力を感じた。
モスラの巫女も二人だったり、キングギドラもバトル微妙~と思いつつ、宇宙怪獣っぽさは過去作で1番らしい設定だった。
別宇宙からの侵攻で干渉できないとかね。
ただ、もう一回見たいかと言われたらハルオが面倒なので見たくないかなと言うことで個人的には3.0の評価になった(子作りで+0.5加点してる)
やっぱり西洋ゴジラのドンパチしてる方が好きなんだなぁ~。
評価の星は喰われました。
シドニアは何度観ても面白いし、ポリゴンピクチュアズの作風とマッチしていて傑作だと思っている。
シンゴジラの大ヒットに包まれる中公開したアニメ版ゴジラ。
こちらの勉強不足も悪いのだが意味も分からずいきなりぶった斬って終わり唖然とした。
当時は広告もバンバン入れて東宝も力入れていた気がするが続編からトーンダウン。
僕自身も2作目は流石に観る気になれずスルー。
数年後、Netflixでラインナップされた時に観て頭を抱えたのに、またシドニアの満足感の流れで勢いで再視聴。
今度は理解でき…る訳もなく…
ただ見返して思ったのは、相変わらず落合だなと。
そしてギドラとの死闘を期待する思いは見事に打ち砕かれ、エンドロールの後のイカロス特攻等のダラダラ続くおまけ映像に閉口。
カタルシスが皆無のまま、相変わらず技術力は凄いのに空回り。
OVAとしてはこれで正解かも知れないが、もっとマスターゲットを狙い、ゴジラというコンテンツを使うのならもっと違う着地点があったはず。
そう思えて、全ての星が喰われて消滅しました。
うーん。
何を観たんだ…
ギドラはよかった
ギドラはよかった。
今回のギドラも出オチ感満載かつとんでも設定で、期待を裏切らなかった。ビームくらい、出してもいいんだぞ、ギドラよ。
最後の主人公の特攻だけはクソだ。
ナノメタルを使えば文明を再構築できるが、それはギドラによる滅びへと進むことを意味する。
主人公は特攻し、文明を封印することで、ギドラの思い通りにはさせないようにした。
↑主人公の特攻について、私はこう解釈しました。でも、この主人公、(この考えで特攻したとしたら)頭悪いんすよ。
文明は遅かれ早かれ再構築されるんだから、今壊しても先送りにしかならねぇだろ。
ナノメタルで文明を復元すれば、ゴジラを倒せる新しい可能性は生まれるだろ。ゴジラどうすんだよ……。
メトフィエスとマーティン博士が言っていたように、ゴジラが文明の帰結なのだとしたら、ギドラまでの道のりは
原始時代→文明→ゴジラ→ギドラ
でしょうが。ゴジラを倒さないと根本的解決にならんでしょうが。
やるなら、文明を再構築して、ゴジラを倒した上で文明を封印しろよ。
手前のやってることは中途半端なんだよ。女一人孕ませといて何やってんだ。
以上、最後はクソな三部作でした。
製作者の頑張り過ぎで、とても勿体ない3部作になりました。
ゴジラを退治出来ずに宇宙に逃げ出した人間が、放浪の末、改めてゴジラに戦いを挑む物語。
3部作の最終話ですね。
一言で言えば、製作者の自己満足の作品です。
「哲学」「宗教」「人生観」。小難しい話を交えて高尚な映画にしたかったのかもしれませんが、ゴジラ映画にそれを詰め込まれても困ります。
また、ラストも二つの意味で納得が出来ません。
一つ目は主人公の決断。「愛する人・愛してくれる人」「信じてくれる仲間」を見捨てるような決断は、何の共感も覚えません。不愉快に感じるだけです。
また、主人公が特攻してゴジラを退治出来てしまっては、今までの人類の存亡を賭ける設定が台無しになります。
私は怪獣大戦争を観たかったわけではありませんが、それでもギドラやモスラの扱いも中途半端で拍子抜け。
人類が実質的に滅亡する展開は、映画の中とはいえ不愉快さが残ります。
唯一、原住民との共生による存続を描いてくれていれば、良い余韻にも浸れたのでしょうが、バカな主人公の突撃でそれもなし。
3部鑑賞して、ラストがこれでは、寂しさを禁じ得ませんでした。
当然、評価もかなり低めです。
概念としての怪獣
WOWOWにて前情報なしに前二作から続けて鑑賞。
数年でたまーに観直したい。
行き過ぎた文明は破滅をもたらす、などは他の作品でも扱われるテーマだが、本作品においては文明の発展そのものが怪獣=ゴジラを生むための過程にしか過ぎず予定調和であった、という解釈はおもしろい。手塚治虫の『火の鳥』のエピソードとしてありそう。
結局ゴジラも、より高次な存在により喰われてしまうのだが、現代を生きる人類は発展・進歩を常に求めている。文明の発展が結果として滅びに繋がるのであれば、エクシフの教義も理解できなくはない。が、納得はできない。
個人的には、現代社会へのアンチテーゼとして受け取った。
怪獣を怪獣たらしめているのは、人が怪獣を恐れ憎むからであり、憎む人がいなくなれば怪獣は怪獣でなくなる。
ゴジラは災害と同じであって、憎悪の対象ではない、と作中だは言っている。しかし東日本震災や新型コロナが猛威を奮っている世の中、憎んでもどうしようも無いことを憎んでしまう人もいる。
そう簡単に憎悪を忘れることはできないのが人の性だと思うが、本作品でハルオはゴジラへの憎悪から解放されたのは救いでもあり、ゴジラへの勝利にもなっている。
オイカリ様をたてることで恐怖から怒りに変わることを避け、人類はwithゴジラの時代に命を繋いでいく。
かなり賛否両論分かれているようだが、設定や伝えたいであろうことは好みの作品である。
SFとしてみると非常におもしろい。
アニメ映画としてみると、動きが少ないので紙芝居っぽく感じてしまう点が惜しい。
ゴジラとしては、ゴジラ映画の要素は一応満たしているものの、若干の物足りなさを感じる。
あとはメトフィエスが破滅を完全なるものにするために、なぜハルオである必要があったのか、がいまいち分からなかった。ラストではゴジラへの憎しみを持った最後の人間だからハルオなのだろうが、それ以前だとゴジラ憎しの人類はたくさんいそうに感じるが…。
以下、印象的なセリフ。(うろ覚え)
「怪獣を怪獣たらしめているものは何か」
「勝ちとは生き残ること、命をつなぐこと」
「本艦の生命反応はゼロです!」
種族の代表が怪獣だったのか?
国産アニゴジ最終章
全体的にアクション少なめ、背景多すぎ。
平成ゴジラで育った身としては物足りなさが目立った。
異種族も多いし怪獣は各種族に使役されてるもの。
人知の及ばないものでは無いのが残念。
結論として、ゴジラを憎むただ1人の生き残りとなったハルオ
彼は憎しみの連鎖と根源となったナノメタルと共にゴジラに挑み果てることになった。
効率に特化した工学の「ビルサルド」
ギドラを神としより大きな存在へとの同化を図る「エクシフ」
意思がありながらもその真は弱い「ヒト」
その特徴に溢れる三種族が織り成している種族間軋轢的な印象
君臨
ゴジラとしては、かなり分かりやすく解説されてたように思う。
傲り高ぶる人間への鉄槌。
確かそんな事が第1作目のメッセージだったように思う。
それから時に神となり守護者となり、味方になりHEROになり、破壊神と称され破滅を司る獣であったり、地球の代弁者であったり、自然とか地球とか。
そんなシリーズを通して語られる様々な側面を全部体現したかのようなゴジラ像だった。
観終わって思うのは「上手くまとめたなぁ」だ。
祝福としての滅亡だとか、死すら通過点としその先にこそ幸せがあるはずとか…まぁ、小難しい話を聞かせてくれる。
文明に関しても過ぎたる叡智は争いに向かうだとか、それを繰り返すのか人類としての性だとか、人の感情こそが人に与えられた呪いなのだとか、うんたらかんたらと…。
まぁ、全てはギドラへの布石なんだけども。
で、どんな攻防を見せてくれるのかと思いきや…まぁ動かない。
この辺りにフラストレーションが溜まる。なんていうか…もうちょいアグレッシブでも、ゴジラの威圧感もギドラの異物感も損なわれなかったんじゃないの、とは思う。
総じて、意味ありげな終末歓迎論を聞かされただけだった。またこれが良く出来てて…言いたい事は分かるけど、と思ってしまう。
結局のところ、物質世界の最先端のメカゴジラも、精神世界の神であるギドラをも凌駕する完全無敵な絶対王者ゴジラであった。
ラストの特攻である自滅なのか自戒なのかはさておき、それすらも躊躇なく滅するゴジラは嫌いではない。
死は全てにおいて平等であり、安寧を約束してくれる。
それは何故か。
その先を誰も知らないからだ!
つまりは、それは真実ではなくイメージなのである。無、つまりは「0」に何を掛け算しても「0」のままって事で変化はない。
変化がない=安定=安寧なんて事から連想されると思うのだけど、ぶっちゃけ大きなお世話だ。
…なんて事をぶちまけるとメトフィーゼだったかの背の高い兄ちゃんから「あなたは神と会話すら出来ない低次元のテクノロジーからしか発想できない未熟者だからだよ」とかなんとかのお叱りを受ける事になると思う。
でもたぶん、ハナクソほじりながら聞いてると思う。
ただ、メッセージ性はすこぶる強く…それはきっとゴジラであるから出来る事なのだと思う。アニメとしての表現力は凄く好き。
メカゴジラの解釈もトンチが効いてたし、ギドラの解釈も結構好きだ。モスラの存在もいい感じだった。
過去のゴジラとは少し違うものの
一作目は人間対ゴジラのバチバチの対戦物ですが二作目からは人間の思想や哲学などが、入ってき始めて、最終章は人間の内面的な部分の話が色濃く出て、どちらかと言えばゴジラはそれの補佐するぐらいの役割となり、本来の怪獣が暴れ回る感じが殆ど無い事からかなりの批評が出る作品だとは思いました。
特に今回の最終章はギドラ自体が人の思想や犠牲から生まれた産物で、干渉を受けずにゴジラに攻撃をする場面はギドラそのものが昨今の神の様な象徴であり、動きの起伏があるゴジラは人間の立場で言う人の心の憎悪と言うか負の部分の象徴のような立場みたいな描写が、とても印象的でした。神にすがる人もいれば、自らの足で立ち向かう人もいて、最先端の技術を網羅して打ち勝とうとする人もいると言うのが今回の人種の違いで描かれていたのだと思います。最後に自我が強いとされる主人公が新人類に別れを告げてゴジラに単騎で自爆さながらの特攻も、やはり自分は人間なんだと言わんばかりの終わり方でとても人間臭い感じが出ていて良かったと思います。ゴジラが結果どうなったのかの曖昧さがさらに、人間は自分の負の部分に打ち勝てたのか、新人類にとっても又、カルマの如く心の負の象徴となるのかを自ら考えさせる構成となっていてる部分が後を引く作品となっていると思います。
残念なデキのゴジラアニメ最終章。
ゴジラアニメの最終章。アニメでしかできない表現をするって所は一定の評価ができるものの、総じて微妙でした。小難しかろうが、宗教について語ろうが面白ければ作品の評価は上がるもんです。極一部の人にしかウケてないのは、やっぱ単純に面白くない作品だったんだろうなっと思います。
発想はまだ面白いと思うんですよね。キングギドラが別次元の宇宙からやって来てるとか。母船が壊されるシーンはとても良かったと思います。ただそこがMAXでした。まぁ、登場シーンだけがカッコいいってのは、特撮でのいつものキングギドラのパターンを踏襲しているっちゃあしてるんですけどね。
しかし人間側のキャラクターに致命的に魅力がない。魅力がないのに長い。ここが作品を面白くなくしてるポイントではないでしょうか?最後のハルオ君の特攻も女孕ませておいてそりゃないわっと思って半ばドン引きしながら見えました。初代ゴジラの芹沢博士は少なくとも劇中描写では独り身でしたしね。ハルオ君責任感無さすぎです。色々理屈付けてるのが余計駄目男感を増していましたね。この最後の特攻で決定的にハルオが嫌いになったので、基本的にゴジラ擁護派な自分でも作品自体の評価は下がるってもんです。
この脚本家の人、有名みたいなのですが、自己犠牲カッケーという所で発想が止まってるんではなかろうかと思われます。せっかく新しい事やろうとしてるのに、作り手に新しさがないとつまらない作品にしかなれないよ。
価値観の交錯
GODZILLA三部作をすべて拝見しました。一番面白かったのが、私にとってはこの三作目になります。難しい内容もあったので、レビューを書いて頭を整理し、映画の後味を楽しんでみたいと思います。
三作のなかでは、地球人類、ビルサルド、フツア、エクシフという4つの立場が出てきましたが、それぞれがゴジラへの向き合い方に関して、異なる価値観(あるいは常識)を抱いていたように思います。『決戦機動増殖都市』でもそうでしたが、『星を喰う者』ではハルオの視点を中心に、これら4つの価値観が交錯していました。
[地球人類(ハルオ)の価値観]
ハルオは「諦めたらそこで終わりだろ!」と、『怪獣惑星』の冒頭、移住船に乗り込んだお爺さんに訴えかけていました。ゴジラに故郷を追われ、孤独にゴジラ打倒の研究し続けてきたハルオにとって、ゴジラ打倒とは、22年に及ぶ漂流生活という状況のなかで失われた「人間性の誇り」、「人としての尊厳」を回復するための手段でした。だからこそ、生きることやゴジラ打倒への諦めは、「尊厳」の放棄であり屈辱を意味しました。ゴジラ打倒に対して地球人類は一枚岩だったわけではありませんが(リーランドは当初「名誉」のためにゴジラに挑んでいました)、ゴジラ打倒に対するハルオの価値観(「人間性の誇り」や「尊厳」を回復しなければならないということ)は、地球人類のそれを代表するものでしょう。
[ビルサルド(ガルグ)の価値観]
ゴジラ打倒に関して地球人類とともに積極的だったのはビルサルドでした。三作目における中央委員会の会議で、ドルドが「我々は共通の敵と戦っていたのではなかったのか!?」と叫んでいたように、地球上での人類種の生存圏域の回復という点で、両者は目的を共有していました。
しかし、ビルサルド(の代表者ガルグ)にとって、ゴジラとは「地球文明の偉業」であり、それを制御できなかったことが地球人類の失敗でした。「怪獣とは人の手で倒せないから怪獣」なのであって、ゴジラを倒すためには「非効率的なもの」(怒りや悲しみという感情、身体)を捨て、人ならざるものにならねばならない。人としての尊厳を回復したいという地球人類(ハルオ)と、人を超えねばならないというビルサルド(ガルグ)の間で、価値観の決定的な食い違いが土壇場で起こり、結果、『星を喰う者』まで尾を引くことになりました。
(それにしても、22年もの間、共同生活をしていながら、このような基本的な文化的交流すらなかったのはどうしてなのか、少し疑問です)。
[フツア(マイナ、ミアナ)の価値観]
ヴァルチャーによる体当たりでゴジラを倒せていたかもしれないのに、「人間性」への固執のためにその手段(機械との融合、ビルサルドの価値観を受け容れること)を選べず、そして、自分の決断(の遅さ?)のせいで自分自身ではなくタニ曹長を失い、「脱走扱い」となって「身の置き場もない」、そんなハルオに触れたのが、フツア(マイナ)の価値観でした。「私達は勝ってここに居る。勝ちとは生き残ること、命をつなぐこと。負けとは死ぬこと、消え去ること、ゴジラに挑むこと」。
「ゴジラは怖い」とミアナは言いましたが、ゴジラへの怖れとは、ちょうど竜巻や稲妻のように、適切な方法で以ってやり過ごすことのできる自然現象への怖れと同じでした。故にフツアにとってのゴジラとは、地球上で共存することが可能な存在であり、それ以外の何ものでもありませんでした。
映画では直接描かれていなかったので、ここからはあくまで私見ですが、この価値観がハルオに与えた衝撃はどれほどのものだったでしょうか。地球は2万年の間に、植物も動物もゴジラとの間に類縁関係をもち、すべての生物は「ゴジラに奉仕する(ゴジラの生存に都合のよい環境を整える?)」という生態系が出来上がっていました。宇宙に逃げのび、22年の間故郷を追われた惨めさに堪え続けた地球人類からみれば、2万年もの間、地球において生き延びた地球人類(≒フツア)は、なんと不幸な人々でしょうか。同じように文明を失った被害者であり、ゴジラの生きる厳しい環境で生きざるを得ない奴隷的状況を生きていたはずでした。
ところが実際には、フツアは奴隷としての惨めさとゴジラへの憎しみに燃えるルサンチマンではありませんでした。むしろ逆に、畏怖(畏敬の念)を以ってゴジラとの適切な緊張関係を保ち、ただ単に「生き残り、命を繋」ぐことを善しとしてきました。高度な文明の残り香を漂わせた人型種族から見れば、「そのような原始的生活は知性をもった人類としては下等であり、動物的ですらある」とか、「フツアのような生き方はゴジラからの逃避であって、人間の尊厳の放棄に他ならない」と見えたかもしれません(ビルサルドは言わずもがな、一作目のハルオもこのように考えたかもしれません)。確かにフツアは原始的であり、ゴジラから逃避しているのですが、だからと言って不自由なのではない。ゴジラの干渉を受けない程度の文明を保ち、奴隷的でもなく、まして地上の君主たろうとゴジラに対抗しようとしているのでもありませんでした。
ゴジラが近場に出現した場合、フツアは穴倉に息を殺してこもらざるを得ないのかもしれません。そのとき、フツアの民はいわば外出する自由や生存への自由を制限されていると言えるでしょう。しかし、私達が台風や洪水に見舞われて家に籠る、ないし避難するとき、自然災害によって私たちの自由は制限を受けるのですが、決して侵害されているわけではありません。もし侵害されているというのなら、台風や洪水を罰する法律を文明の中で生きる人間は整備しなければならなくなるでしょう。したがって、台風や洪水を法律の許に従属せしめねばならない。しかし、自然現象には人間のような人格(理性、個としての意識)はおそらくありませんから、人間の法律で罰することなどできませんし、まして、自然現象を支配し尽くす方法を人間は持ち得ません(おそらくそのはずです)。フツアにとってゴジラはいわば自然災害と同じであって、支配と従属、自由と侵害という文明的な言葉で説明するのは適当ではありません。単純な感想になりますが、フツアは、文明の楔から解放されて、あるがままを生きているように私には見えます(もちろん、その代償もあるでしょうが)。22年の間、ゴジラへの怨恨にただ燃え続けていたハルオが、この2万年の価値観に触れられた時の衝撃はどれほどだったか、推し量るに余りあるでしょう。
[エクシフ(メトフィエス)の価値観]
メトフィエスは、これまでと打って変わって表立って行動していました。彼にとってゴジラとは、端的に「飽くなき繁栄を求める傲慢への罰」でした。ところでメトフィエスによれば、人類の歴史的展開は「自らの滅び(ゴジラ)と向き合うための巡礼(準備期間?)だった」と言われます。このような歴史観が生まれる背景には、エクシフの宗教的(数学的?)洞察があります。つまり、「永遠は存在しない、宇宙は有限、全ては滅び消えていく。命とは恐怖の連続、恐怖からの解放と永久の安息は理性の宿願」というものです。
メトフィエスはさらにスープの比喩を用いて、「理性の宿願」を叶える方法とは「献身」(偉大なものとの一体化)と言います。人間は思考し、自ら献身の相手を選べる。個としての執着を捨て去り、自ら選んだ(実際には教導者によって選ばされている)相手と一体化することが唯一の「祝福」(救済)である、というのがエクシフの教義でした。
メトフィエスはハルオに入れ込んでいましたが、結局ゴジラをゴジラたらしめるものとはハルオ(地球人類の歴史全体を背負い総括する英雄)の憎しみであって、その憎しみの虜となっているハルオをギドラへ帰依させる(祈らせる)ことが出来れば、地球人類全体を救済することが出来るという狙いだったのでしょう。(このあたりになると、少々話についていくのが難しくなってきました。なぜハルオの憎しみがゴジラの本質なのか、なぜハルオが人類全体を代表する「英雄」と見立てられているのか、よく分かりませんでした。)
エクシフの教義は、一見理に適って見えます。理性をもつものは絶え間ない恐怖に苛まれる以上、恐怖を克服するのは、自分以上の存在と一体化することである。これは魅力的な教義に見えますが、しかし、その教義を生み出す前提の宗教的洞察には、矛盾が隠れています。永遠は存在せず、宇宙は有限で、全ては滅びゆくというのならば、どうして「滅びのさらにその果てに安息と栄光を見出すしかない」と言えるのでしょうか。滅んでしまえばそれで終わりなのですから、「さらにその果て」などというものは存在し得ず、「安息を求める」主体(魂、意識、理性)などというものも存在し得ません。メトフィエスの言う「祝福」「安息」とは、結局、生命を破壊し理性の苦しみを強制的に止めればいいだけであって、わざわざ形而上的な神(ギドラ)が必要とされる必然など、全くありません。さらに、ゴジラもギドラも、実際にやっていることは同じく、爛熟した文明の破壊であり、「祝福」や「滅亡」とは人間が勝手に拵えた事情であって、怪獣たちには何ら関係ありません。劇中に出てきたゲマトリア演算とはどういうものかは分かりませんが、メトフィエスは、魂の不死と永遠について、数学的帰結に頼らず、もっと哲学的に思索するべきでした。教義全体の徹底さが欠けていたために、なぜギドラを頑なに「祝福」と言うのか私には理解できず、鑑賞中に混乱してしまいました。
結局、ハルオは自分の名前(存在?)の由来(春:命のよみがえる季節)の記憶にたどり着き、メトフィエスが齎そうとしている「祝福」と詐称しただけの単なる滅亡(冬)を脱し、「俺たちの過ちに慰めなんかない!」として、メトフィエスを退けます。メトフィエスは「悲しみも苦しみも、生きとし生けるものすべてに課せられる呪いだ。故に、その命ある限り、ギドラはお前を見ているぞ」という言葉を最期に残して、息絶えます。
[価値観の逆転、もしくは変容]
さて、ハルオ(地球人類)の命ある限りハルオを見ているギドラという存在とは、一体何なのでしょうか。マーティン博士は、タニ曹長の身体からナノメタルのサンプルを回収し、それを材料にヴァルチャーを修理してしまいます。ビルサルドのようにナノメタルを制御できれば、人類はまた地上に繁栄できる。高度な技術文明の可能性が開けたとき、「そうとも、繁栄を求める飽くなき向上は人の性。そしてまた、収穫(破滅)の時は必ず来る」というメトフィエスの声が、ハルオの存在へと語りかけます。ここでギドラは、別の宇宙に住む単なる怪獣ではなく、虚ろで不確かな、しかし影のように確かに人間の傍に居る存在、人間のあり方の(宿命的な?)可能性へとシフトしています。劇中の言葉では、象徴的に「虚空の王」と呼ばれていましたが、何らかの点でニヒリズムと関連するのでしょう。私にはこれ以上のことは分かりません。
タニ曹長と共にヴァルチャーへ乗りこんだハルオは、おそらく過去の人類と同じ轍をフツアの民に踏ませないために、ヴァルチャーごとゴジラへと突っ込み、文明の痕跡(ヴァルチャ―とタニ曹長の身体)をゴジラに破壊し尽くさせます。ハルオはゴジラへの憎しみに燃えたまま突撃するのですが、フツワにとって自殺は「負け」を意味しますので、ミアナはハルオを止めようとします。すると、「ただ勝ち続けるだけの命なら、獣と一緒だ。でも俺たちは、いざとなったら負け戦だって選ぶこともできる」と言います。これまでハルオにとって「勝ち」こそ、人類の尊厳の回復でした。ですが最後には、ハルオの価値観は逆転しています。ここでは「負け」こそが人類の尊厳の回復なのです。なぜこうした価値観の逆転は起こったのでしょうか。仮に逆転でないとしても、ゴジラを憎みつつも、ゴジラに文明が滅ぼされても構わない、否、滅ぼされねばならないという変容をハルオに齎したものは、一体何だったのでしょうか。この点についても、これ以上のことは分かりません。
分からないところは若干残りますが、大変、面白い映画でした。
賛否両論
従来のゴジラの様に破壊描写やヒューマンドラマという点においてこのGODZILLA 星を喰らう者は少し難解過ぎて賛否が分かれると思う。いや、難解というのは少し正しくなくどちらかと言うと要素を詰め込み過ぎている気がする。監督の感想など一切知らないが初見では人類の盛者必衰や在り方などを表したかったのだと思う。しかしそれ故の急展開(一応伏線はあった)、前作のビルザルドやエクシフ然り力を手に入れた時からの豹変ぶりは失笑ものだっだ。この豹変を人の愚かさとして表しているのならまだ許容できそうではある。そして一番の問題は戦闘シーンである。私的にはここが古株のファンが受け入れないところなのでは無いかと感じた。一作目のゴジラを倒したところでもう一体が出てくる時の絶望感はなかなか良かったが3作目は少しゴジラへのリスペクトが足りなかったのでは無いかと思う。それに相手のギドラはギドラと言うにはあまりにも……。肝心の戦闘シーンはギドラがゴジラに巻きつくだけで残念ではあったが、ギドラ降臨の不可解さは嫌いでは無かった。ここばかりはゴジラ キングオブモンスターに期待するばかりである。それ故に3部作全部で見れば評価は2〜3.5といったところが妥当だと感じた。終着点は人を選ぶ形なのでもう少し心が救われる終わり方ならば評価は上がったのかも知れない。しかし、監督の表現したかったものが一貫して存在しているであろうという点では面白い作品だったと思う。
二大怪獣 地球最大の“イミフ”決戦
鳴り物入りで始まった“アニゴジ”。
3部作の最終章。
何だか作られる度に厳しい声が増えていき、今作は殊更。
見てみて、納得。だって…
もはや怪獣映画ではない。
前作前々作はまだゴジラと闘うハードSFアニメの類いであったものの、それでもない。
こりゃただの宗教映画。
ゴジラ・アースに敗れ、生き残った人々は神にすがり、メトフィエスは“神”を降臨させようとする。
ゴジラを倒せるのは、神だけ。おお、神よ!神よ!
これ、何かの勧誘…?
主人公ハルオもすっかり目的を見失っている。
絶望の淵に立たされた人々のドラマとしてはアリかもしれないが、最後の最後に描きたかったのは、これ…?
登場人物の名や関係図も話もほとんど忘れ、それ所か興味すら薄れ…。
う~ん…。不満や文句しか出ない。
まあそれでも、劇中の神にすがるって訳ではないが、その神が遂に姿を現してから、少~しだけ見れるようになった。
絶対的な破滅、畏怖の名、王なる者、黄金の終焉、
ギドラ!
今作のギドラは、これまで登場したどのギドラでもない。
姿形は見えているのに、機器などでその存在を捉える事は出来ない。
ゴジラに喰らい付いているのに、不思議な事に実態が無いかのようにゴジラは掴む事すら出来ない。
別次元から来た、幻か悪夢か。
ゴジラにとっても、人類や地球にとっても、最大の危機。最大の脅威。
…それはいいのだが、またもや期待すると、肩透かし。
ただギドラはゴジラに喰らい付くだけ。
ファンが見たいがっぷり四つに組んだ大迫力の“ゴジラvsギドラ”は描かれず。
まあ確かに、実態ある者と虚空の存在とじゃそうなるわな…。
一応今作のギドラもある人物に操られ、そして懐かしのあの“声”と“音”!
そこら辺はニヤリとさせられたが、それ以外は…。
ちゅーか、今作のギドラ、すでに多くの方が指摘してる通り、『ウ○○ラセ○ン』のナ○スやん!
それから、あの守護神巨大蛾も登場するも…
精神(?)の中に、シルエットだけ…。
ラストも何だか…。
ハルオのよく分からん精神面が延々描かれる。
メトフィエスの哲学台詞も延々と。
何とかギドラを倒す。ゴジラこそ破滅と救いの“神”のようではあるが…、
ゴジラと人類、人類にとってゴジラとは?…などももっとはっきりと描いて欲しかった。
♪春が来た~ 春が来た~…と、ハルオが自分を取り戻す。
絶望の中にも希望が…みたいな流れになってそう終わるのかと思いきや、突然ハルオは自滅的に再びゴジラに挑む。
言動、心情もイミフ。
作品そのものが迷走、イミフ。
本作は単品の映画としてもビミョーだった。
自分でレビュー書いててもやっぱりよく分からん!
虚淵脚本で期待した“アニゴジ”だったが、3部作全て見て思うと、
結局まあまあ良かったのは最初だけ。どんどんコレジャナイ…いや、コンナハズジャナイ感が。
せっかくアニメでゴジラを作るという斬新で野心的なプロジェクトの筈だったのに、つまりは何をやりたかったの…?
本当に“ゴジラ”である必要あったの…??
この失望感…。
是非ともこれを、『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』で払拭してくれ!
脚本家の自己満足満開バッドエンド
最初にはっきり言うが、見る価値なし。
全体のストーリーを端的に言うならばただのよくあるディストピアものに過ぎず、これをゴジラの名前を使って修飾しただけのしょうもない映画。ゴジラって何ですか?怪獣映画って何ですか?そしてそれをアニメでやるってどういう意味があるんですか?ということを、真剣に考えるのが馬鹿馬鹿しくなるようなお粗末な内容。脚本家の自慰行為にゴジラというコンテンツが浪費されただけじゃないかという、強い憤りさえ感じる。
一作目はまだマシ、二作目以降は本当にひどい。人物描写もブレ過ぎてて、登場人物に感情移入がまったくできない(むしろ自分はビルサルドに感情移入した)。
圧倒的な力に抗うことのできない人類の悲壮感や虚無感を強調したいがゆえの無駄なシーンが多すぎて、途中で飽きてしまう。
よくありがちな「人類の驕りが自然の怒りを買った。文明は滅びるべき。人類は原始の生活に戻るべき」みたいな、一体何年前の価値観なんだよそれは、という余りにレベルの低い脚本が延々と続く。
そして挙句の果てに不必要な大虐殺と主人公の死。しかも、きっちり子種を残してるあたりが浅ましくて気持ち悪い。
全てに納得できるストーリーがない。
全てのシーンが不連続で無駄ばかり。
脚本家は反省して欲しい。
バッドエンド!
私の持論からすると、主人公死亡はバッドエンドだと思うんだが。
しかも、死に様も酷い。
どんなに壮大な事を言って、どんなご託を並べて、どんな信念を持っていたとしても!
手を出した少女(?)を懐妊させ、もうすぐ生まれる命があるのも関わらず、一人身勝手に幼馴染みとともに散りに行くことに格好良さをみるのは大間違いじゃないかな。
最後の憎しみを消す為にというが、最後まで自分の思いをコントロールもできない子供だっただけで、他のことを考えきれてない残念感しかのこりませんでした。
自分の意思に殉ずることで死にに行くのは、ハルオのメタさんに反して人類が生きることを選びとった行動からも、矛盾してるように感じました。
結局、メタさんの手のひらだったのかな・・・。
虚淵氏はハッピーエンドを書きたくないのな。
俺は挿入歌が流れた時、ゴジラと共生エンドでも良かったと思うのさ。
ところで、皆さんはパンフ読みましたか?
作り手の思いもあるでしょうが、演じた方のコメントに「ただ、生きてほしい」という一文にとても共感を覚えました。
ほか、音楽と音、映像とともにとても素晴らしいものだった。
一ヶ所、観客殺しにきた音がありましたが、ギドラの半端なさを表すイイ音でした。
ドラマCDの様な映画!!
前作(2作目)は熱い展開で高揚感があって好きでした。前半から最後まで屁理屈ばかりでキツく、ラストなのに怪獣バトルもごまかした感じです。全部台詞で済まそうとするので、台詞に絵が付いただけの映画になっています。メトフィエスはネタキャラなので仕方ないですが、ハルオは一応指揮官なのに、J-RPGの主人公のような子供みたいで邪魔です。ギドラのデザインは黄金のウロボロスと言う感じで格好良かったです(が、それはポスターを見れば分かります)。ギドラ強すぎる!!ゴジラ頑張れ!!と応援する事もなく、疲れたのか時間が来たら都合良く退場してしまい、サブタイトル負けで残念です。ギドラ登場で、「あんなものを!!ふざけるな!!」とか何かしらビルサルドのリアクションが欲しかったです。日常生活に支障をきたすレベルで何でも概念で捉えようとするので共感できませんし、東宝本社は諦めたのか、別にゴジラじゃなくても良くなってしまっていると思います。前作を観てモスラを含め三つ巴の超バトルを期待しましたが、期待を大きく下回る内容で、1作目よりバトルが無く3部作なのに完結していない産廃でした。
人間の過ちの罰としての側面が強いゴジラ
この映画を鑑賞後正直理解が出来ない部分多々があって、しかしなんとも後を引きづられたので2回視聴しました。
2回目の方が頭の中を整理しながら見ることができたので理解が進み楽しめましたし、物語としては非常に上手く纏まっていると感じました。
今作は好き嫌いは別れる映画というのは間違いないですし、例えば最近でいうヴェノムのような見応えある画面やアクション、エンターテイメント性を求めている人にはまず合わない映画です。
一般的な怪獣映画とも大分雰囲気が違いますし、ギドラの恐ろしさは怪獣の迫力というよりも(不穏な這い寄ってくるようなBGMも相まって)不気味なホラー感のある怖さです。
しかし哲学的なテーマや考察が好きな人、哀愁の残るビターエンドが好みの人であれば恐らく楽しめるタイプの映画ではないでしょうか、自分は相性が良かったらしく満足できました。
最後の結末は自分は好きです、一章からゴジラへの復讐の念を強調していたハルオの結末としてはこれ以上は無いと思っています。
劇中でもゴジラをゴジラという怪獣足らしめるのは人の強い憎しみと呪いであると説明されていますがこれがこの物語の重要なポイントになっており(フツア達にとっては恐怖の対象であれど自然災害のようなものとして共存している)、共に戦ってきた仲間の死を背負ってゴジラを呪う最後の人間として挑み散ることで怪獣としてのゴジラは消え去ったのだと解釈しました。
人のあり方を問う怪獣がゴジラ
繁栄と開拓を求め、あらゆる犠牲を払いながら文明を押し進める人の営み、それが臨界点に達した時にゴジラは現れ人の人たる自由意志やフロンティア精神は終わりを迎える。
人の営みは自らとあらゆる他の生を巻き込んで、全てを終わらせてしまう自殺的行為でしかないのか?
グレンラガンがこれと同じテーマを下敷きにしていたと思う。
良質なゴジラ映画はゴジラという超存在の立ち位置をどう設定し、それに、翻弄される人間をどう描くかがほぼ全てと思う。
最近ではシン・ゴジラ。ギャレゴジもごりごりの米映画でありながら、水爆の力を否定した点で評価したい。
全ての祖である初代ゴジラは人間の業を忘れ浮かれる戦後間もない日本を蹂躙した。かつて日本を地獄にした水爆による怨念を忘れさせない崇高な存在だ。
しかし、その神も芹沢博士が開発するオキシジェンデストロイヤーによってあっけなく滅ぼされてしまう。
そんな人の業そのものである芹沢博士自身も自死する事で初代ゴジラ映画は幕を閉じている。
それはハルオも同じで、自分というファクターが人類には不必要な業そのものなのだと悟り、玉砕する。
どこまでも利他的な虚淵脚本らしい主人公だ。
そんな、ゴジラという存在理念に徹底して向き合った良質なシリーズだった。
怪獣のプロレスが必要なのであれば、それはランペイジでもいいわけでゴジラにはより崇高な役割が…といいつつも、怪獣の大暴れがもたらす興奮が皆無なので星は3.5。
時間が短い
結構長い感想になってしまったので、あしからず。
まず、この映画に対しては短い尺の中でよく広く深い内容にしたなと賞賛したいです。昨今によくありがちなド派手なアクション映画は、映像美だけで中身が薄い脳筋な内容になることが多いですし、逆に登場人物の心理面を丁寧に描いたヒューマンドラマは、物事のスケールが小さすぎてどうでもいいと思ってしまうことが多い。その点、この映画は、どちらもスケールと心理、そのどちらも満足させてくれるものでは無いかと思います。
そのストーリーの中で、ゴジラ要素はあくまで観客を退屈させないシンボル的な役割というか、既知のキャラクターが出るというスパイスでしょうか。これが全く別の名前を持った怪獣でも十分話は成り立つと思いますが、複雑で飛躍した世界観を理解し続けなければならない観客にとって、知ってる内容が少しでも出ることによる期待と安心のような効果があったのではないかと。ただ、そこは観客の期待の拠り所だったと思いますので外したときのガッカリ感はどうしようもないですね。メカゴジラはメカゴジラではなかったですし、ギドラはキングギドラとはかなり違っていたことに少し物足りなさを感じました。予想していた怪獣バトルも作中には無いに等しい感じでしたし。そこら辺の期待ハズレ感も演出として狙っているのかどうかは分かりませんが(笑)そのため従来のゴジラにあるような爽快感や力の入るバトルを期待している人にはオススメできない内容になるかなあと感じます。
最後のギドラという超常現象は、まさにアニメゴジラのラスボスにふさわしかったと感じます。2作目で人類はビルサルドの技術によって、物理的にゴジラを倒す直前までいけた訳ですし、ゴジラよりさらに物理的に強い怪獣が出てきても、また技術レベルを上げればいいだけの話になってしまいますからね。ビルサルドが正しくてメカゴジラバンザイという単純な話になりかねない訳です。しかし、トコトンまで技術レベルが高まった近未来風な世界のラストに、全く科学が通用しない摩訶不思議が立ちはだかるというのは、まさに絶対に勝てないラスボス登場といったところでしょうか。マーティン博士が同じ脅威だったとしてもゴジラの方を自然と応援してしまうのも分かります。全く理解出来ない脅威を、少しは理解出来る脅威に打倒して欲しいとするのも一つの人間心理ですね。ゴジラの打倒をギドラに願った人達と全く逆の思考をしたことでしょう。それが感じ取れる素晴らしい世界観と演出だったと思います。
個人的に善し悪しが迷うところは双子の子とイチャイチャし始める所でしょうか。作品の死生観を顕著にするための必要な演出であったり、アニメという娯楽の性質上そういった要素が求められることもあるでしょう。ただ、アニメに限らず昨今の映画によくありがちな陳腐なサービスシーンと捉えられかねない唐突さがあったので、壮大なスケールの世界観を楽しんでいた自分としては、少しばかり残念感がありました。これは好みが別れるところだと思います。
惜しむべくは、映画の時間が短かったせいかなあ。と思う点が最後の方に見られました。
まず、メトフィエスの精神世界において、ハルオの結論のだし方がすごく短かった。メトフィエスの考えをエクシフの代表とするならば、圧倒的な数と時間によって構築された思想であるはずなので、ハルオ個人の人生観ではそう簡単に太刀打ちできるものでは無いはず。そのため、人類としてのハルオが結論にたどり着き、精神世界を打ち破るまでにもう一捻り欲しかった。人の話を聞かないワガママ坊やが駄々をこねたくらいの突破の仕方はもったいなかったと。メトフィエスをぐうの音が出ないほど論破する必要は全くないですが、せめて少しはわかってもらえるくらいの思想があってもよかったのではいかなあと思います。
それと、ギドラに逆転するための決定打が、一つのツールを割るというのもお手軽だったかなあと。あそこまで非科学的な超常現象を起こしていたのですから、それに関する色々な物はもっと不思議であって欲しかったです。人力で割って機能停止するほど繊細なのだとしたら、メトフィエスのこれまでの扱い方もかなり雑でしたしね(笑)
まあ尺の都合がありますから、これらはあくまで個人的な願望です。あと全体的に難解で、かつ満点のハッピーエンドでは無い点も昨今の観客には受けが悪いかもしれませんね。
自分としては、いい映画を見たという気持ちがある一方、消化不良感も結構あったので、人に勧めるか迷う作品でした。
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