GODZILLA 星を喰う者のレビュー・感想・評価
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GODZILLAを冠する映画ならゴジラ映画を作れ………
アニメーションのゴジラ映画、3部作の最終章です。
結論から言いましょう。
「★TU★MA★RA★N★」
■まず一番の不満点その1「ゴジラとギドラの戦い??」
圧倒的に戦闘シーンが足りな過ぎる。足りな過ぎるどころか単調過ぎる。
両者とも、今までのゴジラ映画の中で最大の巨躯を誇るのだから、地球が壊れるぅううううう!!と思うぐらいの大乱闘を繰り広げてよ…。
300mのゴジラすらも豆粒に思えるほどの長い首を異空間から伸ばしてくるギドラ。
時間や空間、肉体という概念すら超越し、別宇宙(別次元)から一方的に攻撃してくる。
ゴジラが開口一番、熱線をギドラに向けて発射!
ギドラは空間を捻じ曲げて熱線を逸らす。曲がった熱線で吹き飛ぶ大地。
ギドラはゴジラに接近するが、ゴジラの物理攻撃(ひっかき)はすり抜ける。
いいよ!圧倒的でカッコいい!今度はギドラの攻撃な!何が出るかな?
でも・・・
設定だけなら超胸熱なのに全然活かされてない。ギドラがやった攻撃はただ巻き付いて噛み付いただけ。引力光線すらも吐かない。
・・・はぁ?あなたはただの光るヘビですか?
宇宙に残っていた人類の宇宙船を破壊した時のような、時間も空間めちゃくちゃにして何が何だかわからないうちにやられる、そんな攻撃をビジュアル化して見せてくれるのをこっちは待っているんだが??
いや、ゴジラを圧倒してるのはわかるよ?
でもビジュアルだけで見れば噛み付いてるだけなんだよね。
何が起こっているかを地上の人間がひたすらベラベラダラダラ解説してくれてるけど
そんな言葉はいらんのですよ。
百聞は一見に如かずじゃないけど、映像として見せてくれよ。いや「魅せて」くれよ。
ゴジラの熱戦が雲も大気も切り裂いて宇宙まで飛んでいく。
ギドラの引力光線が大地が降り注ぎ、地面が抉れ、次元を超えてあらゆる方向から攻撃してくる。
そんな強敵を前に人類との闘いでは見せなかった、全力を出すゴジラ。
ゴジラとギドラのぶつかり合いで地球が悲鳴を上げる。
そんな人類ではどうしようもない怪獣同士の攻防で起きる阿鼻叫喚の地獄絵図を見せてくれよ。
■不満点その2「ゴジラ倒すの無理ぽ。とかここまで来ておいて言うか?」
おい、このゴジラ映画はつまり何が目的だったんだい?
地球に帰ってきたのはなぜなんだい?ゴジラを倒すためじゃないのかい?
3部まで引っ張って、ゴジラは自然そのものだから憎むことなく共存していきましょう、だと?
だったらハルオを主人公なんかにするんじゃねえ。
だったら最初の1部の時から
「ゴジラを倒すなんて無理だ」「人間は自然には勝てない」「人の業に悩む」「軍のやり方に反旗を翻す」「戦いを止めたいと願う」そういう思想を持った主人公を用意しておけよ。
そういう主人公が1部2部でゴジラ打倒を夢見て敗れていく仲間を見送りながらヒューマンストーリーを展開し、3部でゴジラと人類の戦いを止めることができた。という流れなら整合性が取れる。
ハルオは1部「ゴジラ殺す」2部「ゴジラ殺す」3部「無理ぽ、死のう」じゃ、あんまりじゃないか。
いや、一応わかってはいるよ?
憎しみを持ちつつフツワとの交流を通して「勝つとは、命を繋ぐこと。生きること」だと悟り、ハルオは命を次に繋ぐことができた。だから自分はもう役を果たした。自分の命に宿っている憎しみ(ギドラ)を次世代に残さないために、命と共にここで断ち切ろう、と。
■総括「怪獣映画なら怪獣にもっとスポット当てろ」
ゴジラもギドラも怪獣としてのビジュアル、スペックは良いモノ持ってんのに「人間が邪魔過ぎるぅー!!」
プロレスやK-1を見たくてテレビをつけているのに、8割は実況解説者を映してるようなもん。
■その他1「ギドラ・・・でてこぃや!」
引きこもりか!首だけじゃなくて体も出せ!
※劇中のシルエットは良し
■その他2「モスラ・・・でてこぃや!」
こっちは卵に引きこもりか!はよ生まれろや!
※劇中のシルエットは良し
なんかね、劇中で2体ともシルエットで登場なのよ。
元クリエイターなのでモノ作りの現場知ってる身としては「あぁ、予算がない中なんとか形だけでも出したい」という裏側の苦悩が見えてきていたたまれない気分になったわ。
たぶんギドラが首だけだったり、人間劇場がくっそ長くてダルいのも、全ては予算のせいだわ。
ゴジラが動けば動くほど、大地が削れるように、予算も削れていくから、なるべく動かしたくない。だから人間群像劇長めに。多分90分中でゴジラを動かせるコマ数(予算)が決まってるんだろうな・・・。
ギドラとゴジラが両方大暴れした日にゃ、映像も金も火の車だわな。
ギドラもモスラも全身モデル完成させるだけでも大金が飛ぶ。
だからギドラの頭部と首のパーツだけ作って、首はコピペでどこまでも伸ばせる。
■その他「怪獣映画の美学」
怪獣は何かを壊さなくてはならない。
アニゴジ映画を通して言えることがあるのだが、街がない。
人が作った建物、文化、果てはエゴや感情などを粉砕する美学。
そもそも最初から壊されている大地に300mのゴジラがいても、何も壊れるものがない。破壊する対象がない。それは映像としてつまらない、退屈な原因の一つだと思う。
1部は、ゴジラアースが兵器群を瞬殺する場面が、2部のMGシティが最後に一掃されるシーンが一番面白い。でも3部は、何も破壊されていないのだ。
■次回作は・・・ある・・・のか?
モスラちゃん(お怒り様)が出る日は来るのか?
もし来てゴジラ対モスラになったらハルオはまさに犬死DAZE!
1部〜3部を見て、結局1部が一番面白かったな。
やはり3部作モノというのは1部が一番面白いの法則は健在だったわ。
全体的に酷評されいてもゴジラらしい素晴らしい作品
ゴジラから怪獣プロレスを抜き取ったシンゴジラと同じ初代復古を目指す作品だと思います。監督の誤算があるならば想像以上に初代を忘れている、見てない人が多かったということでしょう。ハルオの特攻の意味がわからないという意見をちらほらと見ます。その意味がわからないと言うことは初代の博士がオキシジェンデストロイヤー抱いて海に沈んだ理由もわからないと言うのでしょうか?その手に抱いていたのがゴジラを完全に殺しうる兵器かゴジラを観念的に殺すイデオロギーかという違いしかありません。ハルオが死んだとき人類の敵としてのゴジラも死んだのだと思います。見事に初代をリスペクトした上で現代風アレンジした作品でした。
戦犯は静野監督
ゴジラや特撮にに全く興味が無い人にゴジラ映画を作らせたらこうなったという最悪の例になってしまった。瀬下監督と虚淵玄だけに作らせるべきだった。
メカゴジラの頭の形をしたメカゴジラシティ、最後には高さ1kmになるメカゴジラの登場。瀬下監督と虚淵玄の冗談だったとはいえ、非常に魅力的に思えるのだが、それをすぐに却下した静野監督には怪獣映画ファンとして反感を抱かざるを得ない。当然第3部のキングギドラとの戦いも違うものになっていただろう。ストーリーはまあこんなものかと思ってたけど、こういう副案があったのであれば、静野監督の意見なんかガン無視して作って欲しかった。というか、二人だけで今から第2部を作り直して欲しい。綺麗にまとまっていたとはいえ、それくらいこの第3部のストーリーや戦闘シーンは拍子抜けだった。
それでも評価が3なのは、映像技術がとても良かったこと、特にキングギドラの表現技術が素晴らしかったのと、それでもやっぱりゴジラはカッコいいと思ったため。
この映画の中で一番感動したシーンは本編ではなく、予告にあった来年5月上映のモンスターバースの新作。前から何度も観ている予告編が映画館でより高画質で観れたのは非常に嬉しかった。ゴジラxギドラxラドンxモスラの戦いにはとても期待している。
せめて動かせ
脚本も監督もゴジラに興味がなく、あくまでも仕事として関わったから仕事として付き合いました。仕事として完成させました。特に愛着はありません。全編通してそんな心の声が聞こえてくるような作品だった。
それでも内容が面白ければいいのだが、中身は思想的で哲学的なものに終始しており 、それが何かの説得力のあるものや感情に訴えかけてくるものならまだ救いがあったが、やっぱり脚本のひとり語りのようなもので入り込めない。そんなものに付き合わされて楽しいわけがない。
それでもそれでも、怪獣がかっこよければいいじゃない!と思ったのだが、ゴジラもギドラも動かない。何してたって、突っ立って噛みついてビーム撃っただけ。
流石に、は?ってなった。ネタバレもくそもない。本当にそれだけしかしてないからネタバレも書けない。
結局、これは取り敢えずアニメ化の企画が出たんで形にだけはしましたよって、それだけの作品でしかなく、そこに愛も何もない。Netflixが金だしているとはいえ東宝はブランド意識をもっと高くもって企画してほしい。
ひーとみーをとーじてー
セーリフーをきーくよー
そーれだけーでーいーい↑ー
ハイ
今作は目を瞑ってても理解できる、たいへん親切な解説のついたドラマCDです
とにかく動かざること山のごとし
ギドラ登場シーンは滾ったけど、それ以降はゴジラを空中に張り付けておくただのクリップと化しています
あのー、これアニメ化する必要ありました?
怪獣プロレスにしないでほしいとか、人間ドラマをメインにしてほしいとか、東宝から要望があったそうですけど、おもしろくないことへの言い訳にしないで欲しい
その肝心の人間ドラマにしても、人間は愚かであるという、何千何万回と繰り返されてきたSEKKYOUの焼き直しに過ぎません
それに対してハルオが「俺たちに許しは要らない!」と突っぱねるシーンは良かったのですが、そのあとの自決ENDですべて無に帰しました
行きすぎた文明、怒りや憎しみという感情がギドラを呼び寄せるから、それらの要素を排除したというのはわかるんですが、それらを抱えつつ打開していくのが人間というものなのではないでしょうか
臭いものに蓋理論で決着したのは如何なものか…
というかハルオさんただ命を繋ぐだけというのは獣と変わらん言いましたやんか
そこは折れずに不屈の精神を見せてほしかった
あらゆる負の要素を抱えながらも生きていく、人間を舐めるなを地で行ったシンゴジラと真逆な結末に…
でもハルオ達がフツアの民と接触した時点で、結局怒りや憎しみといった概念の種は蒔かれたと個人的には思いますね
最後のおいかりさまのシーンとか
あと、マチアソビで散々モスラと煽っておきながら、モスラは精神世界でしか現れないとかふざけてんの?
ただ、ライブビューイングで設定とか語られると普通におもしろかったので、やはり今作は小説で楽しむべきだとつくづく感じました
実際小説が12月ぐらいに出るらしいので、そっちは楽しみたいと思います
あ、こんだけ酷評しておきながら星3なのはマイナとミアナが可愛かったからです
おっぱいは正義
ハルオ
ハルオがゴジラを救い、ゴジラが地球を守った。
この作品の結末に地球の絶対神ゴジラのあり方が見えた気がした。
「恨み」「執念」を利用されたハルオが選んだ選択に納得は出来た。
しかしフツアのようにゴジラを恐れながらも、敵とはせず強大な力を受け入れ、攻撃せず共に永らえて行く道もあったわけだが、ハルオは自らけじめを付けた。
もうこれ以上ゴジラによって絶たれる命がないように。
だがハルオはゴジラに負けた訳ではない。
あくまでもゴジラに立ち向かい、人類の尊厳を保とうとした。
メトフィエス、ガルグを亡くし(自らの手で)、マーティンの進化に対する探究心を知った時のハルオを思うと胸が苦しい。
対ゴジラ戦で失った命の多さ。
進化を求める人類は、技術更新を重ねゴジラに挑み続けるだろう。
だから、
もうこれ以上苦しむハルオは見ていられないとも思った。
しかし命は繋がれた。
新しい未来の道が開けた。
絶望からの希望?
詰め込み過ぎ感
アニメ版ゴジラ最終章。
約1年、3度の上映時間をかけて描かれた本作の結末や如何に
前作『決戦機動増殖都市』にて人類側の科学技術による対抗手段はほぼ壊滅。ゴジラシリーズに於ける最強怪獣の一角である『ギドラ』の登場も示唆され、地球の守護神モスラも一応残っているという状況。
最早ゴジラを倒すには他力本願寺しか術が無いと思われますが果たしてどうなるのか…と思いながら封切を待ちわびていました。
結末の前にどうしても個人的に本作で納得がいかないのがビルサルドの扱い。
開幕から母船アラトラム号では前作ラストのハルオの行動に対してビルサルド人と地球人が対立。
ビルサルド人はその境遇から徹底的に合理的な思考と肉体にならざるを得なかった種族であり、感情や感性は決断をする上で考慮されない、が、そういったものへの一定の理解は有り、尊重もしている種族だと思っていました。
作中で自信の意見が受け入れられないからと船内作業をボイコットし、動力システムを乗っ取って脅迫紛いの事をするドルドと、小説・怪獣黙示録で地球人の文化に理解と敬意、かすかな憧れのようなものを感じさせていたドルドは同姓同名の別人なのでしょうか。
小説版のあの描写があったからこそ、前作で強引にナノメタルへ融合させようとしていた描写を見ても『どうしても埋められなかった価値観の違いであり、どちらが悪いとかいう話ではない』として受け取る事が出来たのですが、今作のビルサルドは完全に小悪党です。ビルサルド好きとしては非常に不服です。
そして、母船がそんな不毛な喧嘩をしている間に地上では唐突なヒロイン枠争奪戦が繰り広げられます。
・エントリーナンバー1:ユウコ・タニ
ヒロイン枠に於いて最強の一角・幼馴染属性の使い手でありながらも本作では一言も喋らないスリーピングビューティ。舞台挨拶が本番。声優にギャラは出ているのか?
・エントリーナンバー2:ミアナ
フツアの双子の妹の方。双子で妹というこれまた強アビリティを備え、しかも初期値の段階から友好値が高いという好条件。
そのうえ好奇心旺盛の属性も持つため、教えれば色々やってくれそう…と思ってたら自分からやろうとしてきて子連れ客の親御さんにブリザード。
終盤には拉致られ属性まで発揮してヒロイン力を高めるも救出シーンはカットされる残念仕様。
主人公に(物理的に)食べられたが夢だったのでセーフ。
・エントリーナンバー3:マイナ
フツアの双子の姉の方。前作ではツンツンしていたので「これはデレる!」という大きな視聴者の期待に見事応えるツンデレの鑑。そして子連れ客ブレイカー。
全裸に毛布で主人公と一緒に眠り、「昨晩はお楽しみでしたね」と冗談で言おうと思ったら本当に致してしまっておりボテ腹まで晒す勇者。ビジュアル的にかなり児ポっていそうだが年齢不詳なので大丈夫(なのか?)
・エントリーナンバー4:メトフィエス
幼少の頃からハルオに目をつけ、20年以上の時間をかけて自分好みに仕込んで来た豪の者。期間的にはユウコ並に幼馴染(ハルオ視点)でもあり、終盤には邪眼を獲得。ハルオの育ての親の記憶を自分に差し替える等の細工も行うが守護神様の力を借りた他候補の介入により破綻し、振られる。しかしハルオの精神に自身の存在を強く刻み込む事には成功したと言える。
以上の候補4名によるトーナメントの結果、双子姉妹対決では前作までの下馬評を覆して姉マイナが勝ち上がる。孕まされた時点で勝ち確かと思いきや、メトフィエスの途中退場によって不戦勝を果たしたユウコがマーティン博士のサポートを得てハルオの精神ゲージを削る削る。最期はハルオに心中を決意させる等、自身の存在の大きさをアピール。
しかしマイナもお腹の子を立派に育て上げ、孫まで得るなど良妻っぷりをアピール。これは…うーん、視聴者の判定次第ですね。
個人的にはマイナに一票を投じたいところですが、続編が出来ればハルオとマイナの息子・ハルオミ(宮野氏命名)と、一児の母となったマイナも描かれるでしょうからポイントの上積みに期待しましょう。
ヒロイン対決が行われる裏ではアニメ版ゴジラのラスボスとも言うべき超常生命体ギドラがついに顕現。開幕からブラックホールを通って登場し、時間の流れをハチャメチャにすると言う半端無い存在感。地球へ降りる際も重力をハチャメチャにしながら登場し、いざゴジラVSキングギドラ開幕。
別次元に存在したまま一方的にこちらの空間へ攻撃出来るという、ゴジラの非対称性シールド以上の完全無敵状態のギドラを相手にゴジラは為す術無し。1章と2章でゴジラの強大さをじっくり描いていたため、そのゴジラが手も足も出ないギドラのヤバさが良く分かります。
ゴジラの荷電粒子ビームを空間歪曲によって逸らし、メカゴジラシティを融解させた超高熱波攻撃は熱エネルギーを別次元へ飛ばして対処する等、時空を自由自在に操る厨二設定満載で設定厨の私は結構満足しています。
時間内に倒せるのか不安でしたが、マーティン博士の閃きによる対処方はまぁそれなりに納得の行くもので、「こちらの物理法則に引きずり込まれる」という表現もカッコよかったです。
しかしギドラ様さぁ、無敵時間終わったら無抵抗でやられるってのはちょっとヤル気無いんじゃないですか?
というか無敵時間中も荷電粒子ビーム逸らした後はカプっと噛みついて何かエネルギー吸ってるっぽい状態のままほぼ動き無しという地味な絵面でしたし、超常的な存在の割に攻撃方法が地味というか…。引力光線忘れちゃった?痛いのは嫌だから防御力に極振りしますとかそういうアレなんでしょうか。
結果的にはゴジラは生存、人類側は母船壊滅、地上組のビルサルドは前作で全員機界昇華済み、エクシフも退場となり、生き残った僅かな地球人はフツアの民の一員として暮らす事に。まぁ、現実的と言えば現実的なラストなんですが、やはり「こんなんどうやって倒すんだよ…」ってレベルに大スケールで描かれたゴジラを「結局倒せませんでした」で終わるというのはスッキリしませんね。
どうせなら4部構成にしてフツアの民と親交を深めた地球人の閃き(主にマーティン博士)によってモスラ復活、ゴジラ撃破!…までは行かなくても活動停止くらいにまで持っていければスッキリしたんですが。
最初から着地点を決めて作られた作品でしょうから、このラストは作家の予定通りでしょうし、作家の個性や感性は尊重したいと思いますけど、最低限最後は勝って終わって欲しかったですね。
ラストの自爆特攻を抽象的に「勝ち」と捉えるのかもしれませんが、そういうのでなく具体的に勝って終わって欲しかったです。
結末には不満は残りましたが、アニメ版という事で実写ベースでは描けないようなスケールの大きい世界で【ゴジラ】を描けたのは大きいと思います。
続編はまだ監督の脳内妄想レベルらしいので作られるかどうかもわかりませんが、もし作られたら絶対観に行くと思います。
ほんまにアカンやつ
1・2 て映画館で観たよ。
最後は なんじゃいこれ!
わけわからん!眠気我慢して観たけど。
怪獣映画こんなんちゃう!
こんなん観て誰が喜ぶねん?
(個人的意見ですよ)
めちゃくちゃガッカリした。
バカ映画でも観て
あほちゃうか ゆうてる方が まだマシやわ。
何故学ばない
エメリッヒ版「GODZILLA」が何故酷評されたのか。
何故アニメは好評価の「テラフォーマーズ」が実写映画でゴミ評価なのか。
前者はゴジラじゃなかった。後者は実写にするのが間違いだった。
「シン・ゴジラ」は自分的には世間程の高評価ではないが見事なゴジラだった。
それは樋口真嗣監督も庵野秀明総監督も特撮やゴジラを理解し尽くしていたからだ。
本作の脚本家はゴジラに詳しくなかった(興味がなかった)というYahoo記事を見たが、やはりなと思った。
一番問題なのはこのシリーズがゴジラである必要が全く無い事だが、そんな脚本家に頼んだらこうなるのも納得だ。
サイズが伝わらず、全く鳴かないゴジラ。
メカですらないメカゴジラ。
取り敢えず出しといた影のモスラ。
怪獣ですら無いギドラ。
アニメで実写と同じ事をやっても意味が無いと云う意気込みは理解するが、これで面白くなると思ったのか?
3部作の完結編、今作が一番つまらなかった。
なにせ説明ばかりでアクションほぼゼロだからな。3部作の最後なら、クライマックスとして精一杯盛り上げなきゃいけない所を、説明と伏線の回収と話の決着だけで終わらせた。3部作付き合った自分を褒めてやりたくなったよ。
脚本:「難しい話にしちゃいましたが、大丈夫ですか?ついてこれますか?」
監督:「お、おう(汗)。」
で、面白いかどうか二の次にして映像化してしまった様な印象だ。当たってると思う(笑)。
そもそもこの話、小難しいだけで3部作にする必要すら無かったと思う。
ややこしい基本設定は「STAR WARS」よろしく冒頭に字幕で説明しといて、、一番の見せ場は第1部のクライマックスぐらいなんで、そこやって第2部のクライマックスは第1部の焼き直しみたいなもんなんで4、5分で良し。第3部のクライマックスはゴジラがアクションフィギュアより動かないんでやはり4、5分で良し。
あとは説明と小難しいセリフのやり取りで繋いで、ウン、100分で充分ですね。
1作で終わっとけばこんな珍品も有りかな?とも思えるが、3部作にしたのはただ傷口広げただけだろう。公開初日に観てしまったが、ガラガラだったからな。
このシリーズのせいで、二度とゴジラをアニメでやろうなんていう企画は出ないだろう。そう云う意味でも罪深い作品だ。
きっといつかやるだろう次のガメラは、こんな事になりませんように。
追記
この作品を擁護する声も幾つか有る様だし、唯のSFアニメ作品として観るならば自分もここまでこの作品を否定しない。
許せないのはこの作品がゴジラの名を冠し、ゴジラファンの集客を見込んで作られている事だ。
ゴジラを怪獣として描かないのであれば、超文明を持つ宇宙人でもいいし、人間ドラマを描きたいだけなら環境破壊で居住不能になった地球が舞台ってだけでもいい。
初代ゴジラが今なを多くの人に支持されているのは、そこに反戦や人間ドラマだけでなく「巨大怪獣」「恐怖」「破壊」という万人に伝わるエンタメ要素を持たせた作品だからだ。
「シン·ゴジラ」はそこを見事にクリアしているが、この作品はクリアしようとすらしていない。同じアニメ畑出身の庵野秀明監督との比較を避けたのか?
この作品がゴジラの名を冠していないSFアニメだとしたら、自分もここまで叩いていないだろうが、ゴジラでなければ3部作付き合わなかったろうなあ。
やはり、だからこそ許せん。
それなりに楽しめた
過去のあやまちを棄ててゆけ
大怪獣ゴジラをCGアニメ映画三部作で描くプロジェクトの最終作。
要塞都市“メカゴジラシティ”でのゴジラ迎撃に失敗し、
自分の選択が正しかったのかと迷い続けているハルオ。
そんななか、ナノメタルに侵されなかったハルオを
メトフィエスは救いの神へ民を導く英雄として祀り上げ、
その信心を利用してエクシフの御神体・ギドラを召喚。
エクシフの目指す道=繁栄の先の栄えある終焉のため、
ゴジラをギドラの贄(にえ)にしようと目論む。
……自分で書いててなんだが、なんか幾つも「?」が浮かぶ
あらすじっすね……合ってんのかなあ、これ……。
...
謎めいた行動の目的がやっと明らかになったメトフィエス。
繁栄の先には滅亡しかないと信じるエクシフの民は、ならば
宇宙の頂点に君臨する高位存在・捕食者ギドラの贄(にえ)
として最期を迎えるという『栄光の終焉』を望んでいた。
ここで言う“繁栄の先”を現実の世界に当てはめれば、
核兵器開発や環境破壊にこのまま歯止めがかからず
全人類が残らず死に絶えることに当たるのだろう。
ゴジラとギドラの対決は、怪獣バトルというより、
ハルオの内的な闘いという位置付けで描かれていた。
メトフィエスはハルオに過去のあやまちを次々と見せ続け、
ハルオは自責の念を募らせる。その重みに耐えかね何もかもを
終わらせたいという願望、終わりを受け入れる精神こそが
ギドラを不可触な存在とする力の源だったらしい。
だがマイアのよこした死の冒涜者=
生の賛美者モスラを見てハルオは心を変える。
自分や過去の人間たちが犯してきた
あやまちから逃避するだけの甘美な死を拒絶し、
未来のために生きる/死ぬことを決めたのだ。
...
最終的に、この3部作でのゴジラは、
人類の繁栄によってもたらされた原水爆・環境破壊
等の自己破壊の行き着く先に生まれた存在、人類の
繁栄≒テクノロジーをリセットするべく生まれた、
究極の自然の猛威として描かれていたのだと考える。
フツアの民は、ゴジラを天変地異と同じく、人の手
ではどうにもならない自然の存在として受け入れた。
ハルオにとっての勝ち負けはゴジラを殺せるか否かだったが、
マイアは、生きること、生命を繋ぐことこそ『勝ち』である
とし、ハルオと新しい世界で生命を繋ぐことを望んだ訳だ。
ハルオの最後の選択はけっきょく自死であったが、
それもメトフィエスの望んだ死とは異なるものだ。
滅亡をもたらした繁栄を讃え、栄えある最期を迎えるか?
滅亡をもたらした繁栄を呪い、過去として消え逝くのみか?
行き着く先は同じでも、大きな違いは、未来を残せるか否か。
過去のあやまちを背負った最後の人類として死ぬ。
新たな人類が、自分の子ども達が、過去のあやまちを
引き継ぐことの無いよう、呪いを背負ったまま死ぬ。
それがハルオの選択であり、本作のテーマだったのだろう。
...
はい、これだけ長々書いたし、本作のテーマだろうと
考えた部分にも共感はしますが、イマイチの2.5判定です。
まず、前作含めてミネア/マイアの描き分けと感情面・
ハルオとの交流をしっかり描けていないのが不満点。
そこが不十分なせいで、ハルオに思いを寄せていたのが
マイアだったという点も、ハルオと一緒に生きたい
という彼女の願いもふわっとしか伝わらないし、
何よりハルオが「未来の為に生きる/死ぬ」と
心を決める理由として薄弱に感じてしまう。
本作のテーマにもろに効いてくる部分なのに。
あと、ギドラ・モスラ参戦については……
三つ首ギドラというよりウルトラセブンの怪獣ナースが
3匹ご来場みたいな感じで微妙だが……まあ前作の
“メカゴジラシティ”よりは……うん……。
モスラもこういう語り口でいくならこういう
登場しかなかったんだろうし……うん……。
……不満点はいくつか浮かんだが、鑑賞後、
一番シンプルに頭に浮かんだ気持ちを正直に書こうか。
「頭でっかちでつまらなかった」という気持ちである。
観念的なセリフが増え始めた2作目あたりからなんとなく
「この調子じゃ3作目もあんまりエキサイティングな内容
にはならないのでは」と考えていたが、その通りだった。
そりゃエンタメ性が全てだとは僕も言わないが――
相手に自分の気持ちをしっかりと伝えたいなら、相手の
心の防御を解き、熱量とともに語ることが必要だと思う。
キャラクターや世界観へのシンパシーで防御を解き、
相手に伝わるように丁寧に言葉を重ねることが重要と思う。
だがキャラ描写は薄く、世界観は言葉での説明に頼りきり。
そこで観念的な言葉や映像の羅列ばかり使って
ご高尚なテーマをとうとうと語られただけでは
熱量は伝わらない。それでも何度も作品を観直して
噛み砕こうという熱意のある観客の方もいるかもだが、
申し訳無いけれど僕自身にはそこまでの根性はない。
文体で語るならともかく、これは映画だ。
映像言語として語って欲しい。
...
三部作すべて鑑賞したが、
ハルオ以外のキャラ描写の薄さがずっとドラマの
足を引っ張っていたと感じるし、映像ではなく語りが
主体の内容になってどんどんトーンダウンした印象。
結局1作目のラストがピークだったのかなあ。
三部作全体としては 2.5~3.0判定といったところです。
<2018.11.09鑑賞>
共感ポイントなし
前二作同様に、小説向きな哲学的思考と選択なので、動いて音と一緒に魅せるという、映像作品にしかできない武器(メリット)を自ら捨ててる感じがもったいない。
怪獣の描写の意味すらなくなっていた。
延々と説明セリフ大会が繰り広げられて、あっけなく終了。
脚本を担当する虚淵さんの『楽園追放』『鎧武』で見せた、設定優先セリフ過多の傾向が露骨に出てしまってると思いました。
目的のために仲間をどれだけたくさん死なせても、まずはエッチしちゃうところで、三部作にて初めて主人公が主人公らしく見えました。
その行動すべてが論理破たんし、自己の感情だけで動いている主人公に対し、共感はしませんでしたが。
ボーッと観てると理解できないぞ (´ー`)
1部 2部も大興奮でみましたが3部もとても良かった。メッセージ性が強く、ボーッとしてたら理解できないでしょう。
ボーッと見てると低評価になると思います。
ただの怪獣の戦いを観たい人は円谷プロビデオをツタヤから借りてみたほうがいいでしょう。人とは一体何?っといった哲学的な問いや人間と環境との問題が各所に見られる映画ですよ。
〝滅びと祝福〟 〝生き残ることが勝つこと〟
相反する二つの生き方は人間が同時に持っている心の選択技で常に葛藤して我々は生きているわけです。前者は文明や知性が高度に発達した文明で陥りやすい心理で、後者は厳しい環境で生きるものの掟なんでしょうね。
人間は状況でそのどちらかを選択して生きます。状況とは環境もそうだが感情も重要で恐怖や恨みつらみで人間はどちらかを選択するのでしょう。
主人公は最後地球で生きることを選択したかのようでしたが、仲間の恨みを晴らすために、事の顛末のけじめをとるために、、、、
前者を捨てきれなかったのと、生き残った地球に恨みによる滅びの美学的な考えを断ち切るために、、、あのような行動をとったのでしょう。
恨みの概念がない世界。それは本当に良い世界なのか?
(。-_-。)
ゴジラとして完全体
このシリーズ、相変わらず評価が低いですが私には完璧です。
まず、ゴジラと聞くと、子供向けの怪獣映画と思うかもしれませんが、根本には、発展と滅亡、盛者必衰というテーマがあります。
核の技術を手に入れた人類が発展していくと同時に破滅に向かうというゴジラ永遠のテーマがあって、このシリーズは見事にここから逸脱しない。60年前の古いテーマに加えて、新しさと興奮があります。
確かに、前半は眠くなります。論理パートというか、うんちくパートがあるので、ここを理解しようとすると、アタマがプスプスいい始める。
ただ、このフリが効いての後半のアクションパートが生きてきます。眠みから一気に目が離せなくなるギャップが気持ちいい。
難点は三部作ということ。前作を見てないと意味不明だろうし、観てても覚えてないとついていけない。
意味がわからない人は、前作見てないか、観てても覚えてないか、理解力が、、、でしょう。
また、ゴジラ、メカゴジラ、ヒドラ。。。も私には鳥肌。ゴジラのテーマとキャラのまま素晴らしい物語と映画でした。
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