ボヘミアン・ラプソディのレビュー・感想・評価
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最高のエンターテイナー
一度見ただけでは物足りない人が沢山いる。
2回目はTOHOシネマさんの胸熱上映を見ちゃいました、これ絶対おすすめです(^^)
クイーンの歌は全部好きだけど小学生の時からボヘミアンラプソディーの最初のピアノの部分が大好きで…なんでこの後こんな歌にしてるんだろ〜って30数年前から思ってたのが…この映画見てなるほどなーと思いました!変なパートだと思っててフレディごめん!
ライブの一体感
放浪者(ボヘミアン)の帰る家
伝説的ロックバンド・クイーンのボーカル、
フレディ・マーキュリーの半生を描いた映画が登場。
基本洋楽ばっかり聴いている僕も彼らの曲は大好きだが
(まあ洋楽ファンに限らずクイーンのファンって多いと思うが)、
リリース作を残らず買い漁ったり、バンドの歴史や音楽性の
変遷を紐解いたりという域までには達していないので、
熱心なファンの方と比べれば僕はヒヨッコ……いえミジンコ……
いえゾウリムシ体内のミトコンドリアです……(←どうした)。
ミトコンドリアあらため自分にはこのドラマがどこまで事実に近いか、
どこまで伝説のバンドの実像を再現できていたのか分からなかったので
鑑賞後に色々と本作の製作経緯や史実との差異を調べてみたのだが、
どうも史実との差異に関しては結構な改変が入れられている様子。なかには
ドラマに大きく関わる改変もあるので、それを知った時は「ううむ」と思ったが……
本作の制作にはクイーンの元メンバー、ブライアン・メイやロジャー・テイラーも
参加しているし、2人はパフォーマンスの再現度について評価しているようなので、
この映画は史実の再現よりもクイーンというバンドとフレディ・マーキュリー
という人物の精神性を再現しようとしたものと捉えてこの先は書くことにする。
伝記映画は常に「どこまで事実に近いか?」が頭をもたげるんで厄介やね。
...
前置きが長くなって申し訳ない。
製作経緯や史実改変が思考に無いクリーンな頭で鑑賞した時点で、
本作を観てストレートに感じたことは何か?を書くと……
40年近い時を経てもなおスーパークールな“クイーン”のパフォーマンスを
高再現度&高熱量で観られるのは、シンプルにメチャクチャ気持ち良い!
次々登場する名曲の数々には自然と指と足でリズムを刻みそうになったし、
『ボヘミアン・ラプソディ』『ウィ・ウィル・ロック・ユー』創作のワクワク感も忘れ難い。
メンバー間でいっつもガミガミ言い合ってるのに、良い音楽のアイデアが
浮かんだ途端に興奮して「いいじゃん最高だ」と褒め合う姿が微笑ましいし、
『良い音楽を創る』という熱い心で結ばれた絆がかっこいい。
そして、7万人の大観衆を前に繰り広げられるクライマックス20分間は圧巻!
まるで当時のステージに登壇し、“事件”を目の当たりにしている感覚になった。
いやあ、これこそ映画館の大スクリーンに身を投じるべき映像さね。
はぐれもの達への礼讃、そして自分を支えてくれた人々と音楽への愛、
観客“に向けて”ではなく、観客“と共に”音楽を刻むという信条。
それまでに語られたフレディの半生と、クイーンのバンドとしての
矜持(≒プライド)が、あのクライマックスには凝縮されていた。
物語の主軸となるフレディ・マーキュリーの半生も現代に通じるテーマで見応えあり。
現代もLGBTに十分理解ある時代とはたぶん言えないのだろうが、
物語の舞台がエイズ流行の兆しが見え始めた'70年代であればなおのこと。
劇中のフレディも、妻メアリに面と向かって言われるまで
自身がゲイであることを自分でも認めていない様子だった。
まず自分が世間が言う所の“普通”と異なるというのは怖いことだし、
父と反目はしていても、どこかで父に認められる為の男らしさを求めていた
のかもしれないし、メアリに申し訳なく思う気持ちもあったのかもしれない。
理由は様々だろうが、彼は自分の本当の心が理解できずに長年苦しんでいた。
(自分の幸せをかなぐり捨ててでもフレディをあるがままにしてあげたい
と望んだメアリは本当に良き理解者でありパートナーだったんだと思う。
……後々に婚約相手をニコニコ紹介するのはちょっとアカンと思うケド)
天才肌のアーティストである一方、人間的な欠点も非常に目立つ。
自分のパフォーマンスへの絶対的な自信は殆ど傲慢とも言えるものだし、
あまりに奔放過ぎてクイーンのメンバーと衝突したり身を崩していく
様子もいただけない(あれでも史実よりソフトな表現らしいが)。
だがそれらを乗り越えての謝罪、そして“ライヴ・エイド”は熱い。
メンバーに掛けてきた迷惑も、ブライアン・メイの「話し合う
からちょっと廊下立っとれ」で帳消しになった気がする(笑)。
...
しかしまあ不満点もあります。
クライマックスはメチャクチャ興奮したが、
一方で不満点もこのクライマックス。
パフォーマンスで盛り上がっている途中でチャリティ活動の様子や
袂を分かったプロデューサーの様子などが挟み込まれるのだが――
映像を挟み込むのは構わないが、そこで音楽までトーンダウンさせるのはやめてほしかった。
挿入される人々の映像はセリフ無しでも内容が伝わるようなものだったのだし、
クライマックスのあの怒涛の興奮に水を差すような演出はしないでほしかった。
また、フレディのアイデンティティに関わる描写を重視したドラマである故か、
数々の名曲の制作経緯や劇中使用についてはわりと淡白な扱いにも感じられた。
バンドメンバー間の絆への理解をより深めることは終盤に利いてくる
と思うので、そこももう少し描写してくれると有り難かったかなあ。
クイーンがメジャーバンドになるまでの流れも結構なトントン拍子で
描かれるので、フレディという人間を描いたパートに比べてどうにも淡白で薄味。
それにやはり……冒頭で“史実より精神性の再現”と書きはしたものの、
聞いてしまった以上は史実との大きな差異は気になる部分。
今回は鑑賞直後に考えていた評価からそこで-0.5判定を下げている。
...
けどね、人によっては史実との差異はもっと判定下げるべきと考える所
なのかも知れないが、僕はこの映画、自分が何者かをずっと探し続けた
人間のドラマとしてはちゃんと完成していたと思うんですよ。
劇中ではたしか『自由人』と訳されていた『ボヘミアン』という言葉だが、
これはもともと流浪の民を意味する言葉で、それが転じて『慣習や体制に
依らない自由奔放な者』というニュアンスの言葉として活用されている。
“自由奔放”というのはまさしく本作で語られるフレディのスタイルだが、
一方ではそのフレディを“流浪する人”と表現しているとも取れる。
父の理想に縛られたくない、世間と同じになりたくない、ゲイではあるが
そういったセクシュアリティ以上の繋がりを心の中ではずっと求めている。
本当の自分は何者なのか、そしてその自分を受け入れてくれる人はいないのか。
答えをずっと探し求め、一度は家族も仲間も捨ててあてもなく彷徨い続けた男。
それでも最期の時に彼は帰ってきた。
「善き行い」を信じる、血の繋がった家族のもとへ。
そして、本当は最初の最初からありのままの自分を
受け入れてくれていた、心の繋がった家族のもとへ。
どれだけ偉大なアーティストと称賛されても、孤独は身に堪える。
帰るべき家がある、迎えてくれる人がいてくれるというのは、
当たり前に思えて本当はとんでもなく幸福なことなんだと思う。
<2018.11.17鑑賞>
今日はQueenの曲以外は聴けない
音楽はA級、映画はB級。
私が好きな「フラッシュ・ゴードン(クイーンが音楽担当)」は、
音楽はA級、映画はB級と言われる。
本作もこれに同じ。
音楽は良いに決まっている。
しかし他の音楽系自伝映画と比べる(ブルーに生まれついて、ローズ、RAY、ウォークトゥザライン、ストレイト・アウタ・コンプトン等々)と、
本作は映画としては平凡だ。
主演のラミ・マレックの演技は、単調で繊細さに欠けて滑稽でさえある。
上にあげた映画の主演俳優たちに比べると、口パク物真似を素晴らしいとは言えない。
他の俳優さんたちが素晴らしいので、勿体ない。
またあくまでブライアン・メイ(他メンバー)を通したフレディだ。
本人の気持ちを推し量って作るより、ブライアンを主人公にした方が自然じゃないか。
ブライアンはそんなに、自分の気持ちと向き合うのが嫌なんだろうか。
てかこんなこと言うのが無粋なくらい、クイーンの音楽は素晴らしい。
これは事実だ。
ただ、エイズだとメンバーに告白したフレディが、サヨナラの気持ちを込めて、ライブで「ボヘミアン・ラプソディ」を唄った。みたいな、やすっぽい感動を煽る演出には白けた(亡くなったの1991年だぞ)。
この映画を観た方は、「ボヘミアン・ラプソディ」の英語の歌詞を読んでほしい。
難しくないので理解できると思う。
フレディは、人種、宗教、性、容姿、何処かの誰かが作り上げた価値観と戦い、悩んでいた。
だけどそんなの、意味ないって気付いたんだよね。
だから、どんな風が吹いてきても、
Nothing really matters to meとなるんだ。
遺言的な内容じゃない。
ある時代まで、ロックは体制と戦う武器だった。
カート・コバーンが「ロックの核心は、反体制、反権力」だと言っていた。
だから拳でもなく、武器でもなく、「ROCK YOU」なんだ。
開始5秒で鳥肌が立つ映画
20世紀FOXのあのクレジット映像がギター音で奏でられる、バンドサウンド好きには鳥肌必至のOP。それもかすむほど、ラストのど迫力圧巻ライブに無心の涙が溢れ出る、魂ド響きの映画。
◆概要
「クイーン」のボーカルで、1991年に45歳で逝去したフレディ・マーキュリーの伝記ドラマ。音楽総指揮は現クイーンメンバーのブライアン・メイとロジャー・テイラー、劇中ではフレディ自身の歌声の28楽曲を使用。出演は「ナイト ミュージアム」のラミ・マレック、「シング・ストリート 未来へのうた」のルーシー・ボーイントンら。監督は「X-MEN」シリーズのブライアン・シンガー(製作途中で解雇されているが、表記上はこれ)。
◆ストーリー
「ボヘミアン・ラプソディ」「ウィ・ウィル・ロック・ユー」などの名曲誕生の瞬間や、20世紀最大のチャリティコンサート「ライブ・エイド」でのパフォーマンスを再現するとともに、知られざるストーリーを描き出す。
◆感想
とにかくラストのライブ20分間(おそらくライブ音源そのままノーカット)の迫力に得もいえず体が震える。悲の感情でもなく喜の感情でもなく、涙が何故か湧き出る不思議な感覚。これがいわゆる“魂に響く”という感情なのかと、自分でも初の体験に驚いた映画だった。
死を悟るも魂で歌うフレディの姿、曲に感極まる観客、絆で繋がったバンドメンバー、そんな映画としてのストーリーがあって、ラストの映画の山で泣かされた…のではなく、それとは違う、映像そのものの底力で泣かされた、としか言いようがない。何万人もの観客が音楽で一つになる映像力、その中心でその渦を作り出す神々しいまでのバンドの姿、ライブそのもの音源というリアルさも相まって、自分もその会場にいるような感覚になる、不思議な映画体験だった。音楽が少しでも好きで、ライブに足を運んだ経験がある人には是非この映画を体験してほしいと思う。
全体的にも、まあフレディ・マーキュリーの波乱万丈な人生に驚かされるし、誰もが聞いたことのあるクイーンの曲がもちろん大量に使われていて、楽しめる要素が豊富。劇場で体が何度もリズムを取ってしまう笑。
コアファンでなければ、劇中に散りばめられた“クイーントリビア”も楽しめる要素だと思う。「We will rock you」がフレディの遅刻から生まれた、フレディのあのビジュアルは身近な関係者の影響、「Bohemian rhapsody」は発表の何年も前に一度お蔵入りになった曲。。事実か否かは置いといて、映画として描かれる“クイーンってそうだったんだ”な発見が面白い。
個人的には、マイベスト映画の「マイ・フレンド・フォーエバー」主演でエイズを患う少年役だったジョセフ・マッゼロがベーシスト役として、同じくエイズで亡くなるフレディの映画に出演していたことがツボ。エンドロールの本人映像でビジュアル的にも適役なのが分かったけど、この配役がそれを意図したものだというのも憶測ではないと思う。
とにもかくにも、ラストのライブシーンがありそうでなかった感涙の映画体験。たくさんの人にこの感覚を味わってほしいと思う。
知らない人にもおすすめ
タイトルなし(ネタバレ)
後半からずっと号泣してた。
フレディの孤独はどんなに賞賛されてもつきまとう、みんな他に家族とか大事な人がいて自分が一番でない孤独、信頼していても妻を愛しきれない孤独、物作りをする上での孤独…
途中、家族や子供を作ることでしかこの果てしない身に覚えのある孤独は払拭することができないの?と思えたけど、ちゃんとあった、バンドや元妻やステージに立ったフレディの曲を共に歌う何万もの観客。
果てしない孤独を背負う分だけ、それ以上彼はやっぱり愛されてた。
それは何にも替えがたいもので、たくさん間違えたけど音楽には誠実だったこと、そしてやっぱりどんなにボロボロでもそれを微塵も感じさせない圧倒的ヒーロー感。
彼は間違いなくあの場にいるみんなの希望になった。
ライブシーンはそれがずっと伝わってきて涙がとまらなかった。
"俺が何者かは俺が決める"って感じのセリフがとてもぐっときた。
何かを創る上で常に新しくいること、妥協しないこと、命を尽くすこと、そして誰しも抱く痛みや孤独を感じ、寄り添い、しっかり希望を描くことの大切さを教わった。
言葉にすると全部軽くなってしまう、見終わった後何度もこみ上げるものを抑えられなくて困るくらい、とにかく圧巻で、とてつもなく良いものを観た。
幻のコンサートに是非!
フレディって天才だったんだね
クイーンのことはもちろん知っていたが、この映画は『エルビスオンステージ』みたいなドキュメント映画なのかと思っていた。
そんなに人気はないだろうから、席は空いているのでは、と思い込んでいたが、なんとほぼ満席状態だった。
この映画を見てわかったのは、クイーンがどのようにして生まれ、どのように数々の名曲が生まれたのか、ということだ。
フレディは、日本が好きだったという。その理由は、日本のクイーンファンは、人種がどうであるか、といったことではなく、クイーンの音楽を愛してくれている、ということだった。その人種的なことがよくわからなかったのだが、この映画を見て、その意味がわかった。
フレディの数々の奇行は、アーティストとしての発露だったに違いない。だからこそ、あのクイーンの曲とステージが生まれたのだ。
映画の中での楽曲は、本物のフレディの声が使われているとか。
声が似ているので、フレディ・マーキュリー役のラミ・レミックはがんばったな、と思ったが、これは口パクにして正解だろう。
映画のなかで、メンバーがBBCに出演することになったとき、プロデューサーに口パクを強要されるというシーンがある。うがちすぎかもしれないが、なるほど、と妙に納得した。
ラミ・レミツクは、ミック・ジャガーにも似ていないだろうか、とふと思ってしまった。これは蛇足ではあるが。
音楽の力で突っ走る!
一緒にエーオー!ってやりたい
私はDOLBYで見たんですが、ライブシーンはほんとにそこに一緒にいるような音質で楽しめてオススメです。 これは一緒に歌ったり、手振ったり、やりたくなる。応援上映で見たい。
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DOLBYとかじゃなくても大画面で見るべきだなぁと思うんで、ぜひ映画館でやってるうちに。
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でも歌の方は意外と知らない曲多かった(笑)そんな私でもさすがにウィーアーザチャンピオンは知ってました。とっても感動しました。ありがとう、スズキスイフト。
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あと小道具もちょこちょこ日本風のバスローブだったり、置物だったり、ドアにお札みたいなの貼ってあったりしてちょっとだけ嬉しいです(笑).
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何より、ドラムの人がかっこいい。めちゃくちゃかっこよかった。バンドって普通ボーカルが一番カッコイイのに珍しいよね。
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あとはなんで皆ゲイの人ネタみたいに髭生やしてるん?.
QUEEN好きなもんで
栄光と孤独
孤独に立ち向かう勇気の輝き
クライマックスとなるライブエイトで歌うフレディの姿に多くの人が感動と勇気を覚えただろうと確信する映画であった。
残り僅かの命で歌うフレディの姿が輝くほどに眩しく心打たれた。
それは彼が抱える「孤独」という「闇」に立ち向かう姿に多くの人が共感したからではないかと思う。
この映画では多くの「孤独=闇」が登場している。
1つ目はイギリスで育ちながらインド人という人種からの孤独である。
彼は映画にて自分のファルーク・バルサラという名前からフレディ・マーキュリーという名前に変えて活動を始める。
2つ目は家族(父)・友人からの孤独である。
劇中で彼は父に自分の活動を認めてもらえずに良い行いをするように言われ続け、家族を避けていたがライブエイトのチャリティに参加したのも父との対立からと推測される。そのことで父と最後に和解する。
さらに家族と思っていたバンドのメンバーには家族が出来て自分には出来ないことに対して孤独を感じ、自分の本当の姿を打ち明けることのできる人はいないと感じ、ソロ活動を始める。最終的には自分と対等に話ができるのはクイーンのメンバーだと気づき、謝罪してバンドを再始動をすることになる。
3つ目はセクシャリティからの孤独である。
彼はメアリーと婚約するも、男性を愛することから抗えずにメアリーと婚約を解消することになる。セクシャリティからの孤独により、生涯結婚することなく独身で終えることになる。
4つ目は生からの孤独である。
自分がエイズであり、残り僅かな命である宣告を受け、またクイーンとしてステージに立つ(すべての孤独と戦う)決意をする。
上記のような多くの「孤独=闇」との対立を描きながら、それら全てと最終的には真っ向から立ち向かい多くの観客を魅了するフレディの姿に心を打たれたのだろう。
1つ気なるのはタイトルである。
ボヘミアンラブソディは彼らの代表曲のひとつとなるのだが作品はあくまでフレディの孤独との葛藤を描いているので、そことの繋がりが全体を俯瞰した時に少し希薄な感じを思えてしまった。
楽しめるポイントは他にも細かなカメラワークなど挑戦的な撮影を試みていて、臨場感を演出されていた。
映画っていいですよね〜。
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