劇場公開日 2018年11月9日

「音楽、伝記、何よりも映画として」ボヘミアン・ラプソディ critique_0102さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5音楽、伝記、何よりも映画として

2019年1月2日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

笑える

楽しい

興奮

自分が初めてQueenを知った時、彼らを聴くには、それなりの勇気が必要だった。
その音楽を聴く者は、その音楽を十分に理解し、それを語ることができなければならなかった。
それは、その前後に登場した様々なロックの「分野」を十分に凌駕する理論を構築し武装していなければならなかった。

だからKiller Queenを理解できる小学生はいなかった。
Bohemian Rhapsody、これもそうだ、理解するにはせめて中学生はならなくてはいけない。しかし、それを理解できるのは、意識の高い連中だけだった。
自分が理解できたのはWe Will Rock You、We Are the Championsがようやくだった。
いや正直に告白するなら、当時はBicycle Race、そして時間がたってからはRadio Ga Gaくらいがついていける程度の頭しかない自分にとって、Queenは別物だった。

だから、Queenは、当時の通俗音楽からすれば不可知なもののイコンであり、フレディはおそらくはその後の時代に通じる不透明性のイコンであったろう。
後日知ることになる彼の死因は、同時代における思想性をフーコーとともに告げていたのだ。

自分がQueenを改めて知った時、彼らを聴くには、Queerの理解が必要だった。
MTV真っ盛りの時代、 I Want To Break FreeはQueerそのものだった。フレディは、かのものがフレディであるということビジュアルで示したのだった。
メイもディーコンもティーラーも、その時代の要請を受け入れたのかもしれない。Queen=Queerだと。
そう、
Queenは、音楽においてはQueerであり続けた。それが彼らのQueenだった!

映画の話をしよう。
85年、自分は大学生だった。
LiveAidのQueenの出演は知っていても、それは当時の「MTV」を席巻してた連中とは比べようがないものだった、正直、過去のグループだ。そう。過去のグループなのだ。自分よりも、年齢が行き、そして新しい音楽に馴染めない連中の「連中」だったのだ・・・。

再現性・・。
音楽の総指揮がブライアン・メイとロジャー・テイラーだからか、音楽の映画としては、それは十分だっただろう。昔を思い出して懐かしさに耽ることはできた。

伝記映画としては、それで十分だっただろうか。
フレディの何が描ききれていただろうか。
性的マイノリティということだろうか。
音楽的な秀逸性ということだろうか。
それとも、人間としての凡庸さだろうか。
まさか、伝説化された姿を見せつけるわけでもあるまいし。

だから、
総合的に、映画として楽しめただろうか。

そう
QueerであるQueenを「物語」に回収してしまう危険性がこの映画にはあったのではないか。
自分は、フレディの単一的なストーリーを知りたかったわけではない。
Queenの背後の歴史が知りたかったわけではない。
Queenにもフレディ自身自身にも、その背後にあった「回収されない」歴史が見えてこなかった。

critique_0102