「クイーンと我々が一体となった“善き思い 善き言葉 善き行い”」ボヘミアン・ラプソディ 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
クイーンと我々が一体となった“善き思い 善き言葉 善き行い”
伝説のバンド、クイーンの伝記映画。
監督交代などの紆余曲折あったものの、遂に公開。
ちなみに自分は、勿論曲は何曲か知ってるが、その程度で、クイーンの世代でもないし、特別大ファンって訳でもない。
そうでなくとも、本作は素直に良かった!
アメリカでは予想以上の大ヒットとなっているものの、批評的にはイマイチ鈍い。あの伝説のバンドの全てが描ききれていないとか。
確かに話としては、音楽伝記モノのステレオタイプ。
メンバーたちの出会い~結成。デビュー~一躍スターへ。
どのバンドにも付き物のメンバー内の不協和音。解散の危機。
家族との確執。人種や性的マイノリティー。決して幸せとは言えない私生活。精神薄弱。忍び寄る病。…個人で抱える問題、苦悩。
それらを乗り越え、再び華々しい舞台へ。
音楽伝記モノの定番を詰め込めるだけ詰め込んだ感じ。
そりゃあお偉い批評家にとっては目新しいものは無く、平凡かもしれない。
でも、クイーンを詳しく知らない者にとってはちょうど良く、見易い。
クイーンやフレディ・マーキュリーについて知る事が出来た。
色々あったんだな、この伝説のバンドやカリスマにも…。
最初はロン毛でギョロッとした爬虫類のような風貌。
自分が知るフレディ・マーキュリーとは違う印象。これがあのフレディ・マーキュリー…??
でも、あのスタイルになってからはフレディ・マーキュリーにしか見えなくなってくる。
歌唱シーンはフレディの実際の歌声に合わせた口パクで全てが本人による生歌では無いが、ラミ・マレックの成りきりぶり、パフォーマンスの数々は圧巻の一言に尽きる!
ランニング&ジーンズ姿で、拳を空高く上げるポージングはしびれるほどカッコいい。
フレディ・マーキュリーを演じたのではない。フレディ・マーキュリーが、そこに居た。
誰もが一度は聞いた事のある、全編を彩るクイーンの名曲の数々。
挙げたらキリが無いので敢えて挙げないが、どれもこれも聴き入ってしまう。不滅の名曲とはこの事。
それら名曲の誕生の瞬間。
観客と一体になる曲を作ると即興で足音でリズムを取ったあの名曲の誕生の瞬間は、ワクワク!
こりゃまた、日本でクイーンの曲が流行るね。映画も大ヒットするだろう。
かく言う自分も、家にクイーンのCDがあった事を思い出し、ちょいと探してしまった。(見つからなかったけど…(T_T))
今となっちゃクイーン自体も数々の楽曲も誰もが憧れ、尊敬し、影響を与えているが、当時は異端の存在。
枠や型にハマらない曲、バンドのスタイル、自分自身。
レコード会社に理解されず、衝突するのも無理はない。
異端のバンドには必ず、異端中の異端の存在が居る。
時にはメンバーにも理解されない。
それを、カリスマもしくは天才と言う。
それ故の孤独・苦悩・葛藤は計り知れない。
しかしそれが、カリスマ/天才の宿命だ。
ただのクレイジーではないのだ。理解されなかっただけなのだ、その時は。後から、周囲や歴史が追い付く。
フレディは模範となれるような偉人ではない。
が、カリスマで天才で伝説であった事は確かだ。
誰もが真似出来ない、唯一無二の存在。
話題沸騰のクライマックスを飾る約20分のライブ・シーン。
評判通り…いや、評判以上! マジ、ヤバい!
今年見たあらゆる映画の中でも、格別!
映画の中のクイーンと観客、映画を観ている我々が一体になったかのよう。
その興奮・感動も、クイーンが幾度も衝突し、それを乗り越え、築き創り上げてきたからこそ。
だからこそあんなにも、興奮し、感動するのだ!
このメンバーたちと今居る意味。
自分は、何の為に歌うのか。
フレディ・マーキュリーとして、クイーンとして、歌う。
自分自身と、仲間と、観客と共に。
俺たちが、皆が、チャンピオン。
魂を込めて。
善き思い、善き言葉、善き行い。
永遠なれ。
クイーンよ!
コメントありがとうございます!
近大さんの仰る通り、「ウィー・アー・ザ・チャンピオン」で世界中がひとつになったシーンは、改めて観ても猛烈に感動しました。
クイーンが、フレディが、“伝説”になった瞬間だなぁ、と。国も言語も越えて、誰もが歌えるほどに浸透している楽曲ということが、その証しのように感じました。
これから何度でも自宅で楽しめるので、自分の中のフィーバーはしばらく止みそうにありません(笑)
こんにちわ。
偉大なるクイーン。
大ファンの私でも傑作と言えます!
この作品はブライアン・シンガーが映画監督だから成し得たと思います。
史実と違ってても良いかと。
だってエンターテイメントだから楽しめるのが第一ですよね。