まく子のレビュー・感想・評価
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宇宙人か?僕達も宇宙人ダヨ。
中学生日記だけなりゃよかった。
残念な作品。
煙草吸った手でムスビ握られても、美味そうに見えない。
アイドルへの忖度しかない作品。
小さな永遠
大きな永遠を守るために
小さな永遠を終わらせる物語。
告白した子から渡された
石ころは
少年にとって
どんな意味をもつんだろう。
ストーリーは
ちらかってるけど、
作品の雰囲気とか役者さんとか
テンポとかは
好みー。
あと、
高橋優さんに
出会えました。
ずっとずっと飛んでたら、こんなにきれいじゃない
映画「まく子」(鶴岡慧子監督)から。
もう数年前に「原作」も読んでいた、
作家・西加奈子さんの同名小説の映画化とあって、
やや期待しすぎたのかも知れないが、残念ながら、
彼女が文字で表現する独特の世界観は、
今回の映画化では、伝わってこなかった気がする。
タイトル「まく子」という少女は、本にも映画にも登場しないし、
落ち葉を拾っては上に向かって投げる、
言い換えれば、落ち葉を撒いている「コズエ」が、
「まく子」というわけだ。
その彼女が、突然、気付いたように、こう呟く。
「あっそうか、どうしてこうしてまくのが楽しいか、
わかったよ、全部落ちるからだ。
全部落ちるんだよ、慧(さとし)。
ずっとずっと飛んでたら、こんなにきれいじゃない」
「だから、体が変わってゆくことは楽しい。
変わってゆくことって、面白いよ。
それが大人になることなら、面白い。永遠に続きがないから、
きっと素敵なんだよ」ということだろう。
思春期にありがちな、子どもだった自分の体が、
「汚い・ずるい」男の大人になっていくことへの恐怖を、
まく子は、上手く表現してくれた。
この作品、誰が観れば、一番感動するのかなぁ。
人間の子供
まだ小さなあなた でも大きくなったら
わたしを愛してくれる
誰にも真似できない あなたのやりかたで
誰よりきれいな目で 「ほんとう」を見ている
みんなと同じ子供 他の誰とも違う子供
笑うことができる子供 泣くことができる子供
人間の子供…
── 新居昭乃 / 『人間の子供』より
誰しも子供のころ感じていた
言葉にできない、とりとめのない感情を
思い起こさせてくれる作品。
新音さん演じる少女、コズエの
純真無垢な問いかけや考え方がとっても哲学的。
コズエはみんなに、なにを〈まいた〉のでしょう?
笑顔、勇気、希望、思い出、幸せ…
森羅万象、普遍的な時の流れを
「永遠は一瞬、一瞬は永遠」と
形容することがあります。
本作『まく子』の物語の世界では
最後にコズエがふりまいた光は
ヒトの人生のなかで、いや地球が存在し続けるなかで
ほんの一瞬の出来事にすぎないでしょう。
しかしその光が、ヒトたちの心の中に種を芽吹かせ
まだ見ぬ、これから生まれてくる
命の積み重ねに組み込まれていく。
個の再生と消滅を繰り返しながら
生命のバトンを繋ぎながら
種は存続していく。
永遠に続くように。そう願いをこめて…
…と、少々発想を広げすぎましたが
わたしにとっては“再生”というテーマと同時に
そんなことの“気づき”でもあるということを
提示してくれた作品でした。
心象風景でしか説明できない、いやできてないか!(笑)
これが今のわたしの精イッパイの感想です(泣)
時間をおいて、また観たい!
2019/03/18、劇場にて鑑賞
詰めが甘い、もうちょっとの工夫で傑作になったのだが
原作を読んでいないので原作の結末はわからないが、最後にまた転校生がやってくるとは、それまでの雰囲気を台無しにする余分なエピソードだ。
コズエと母が招集した丘の上で各自が、花火に映し出された空からのメッセージを受け止めるグランドフィナーレで終わっていたなら、かなりいい作品になっていたので、非常に残念だ。
さらに欲を言えば、グランドフィナーレはなく、サトシとコズエの恋愛のみ成就するかたちで終わっていたならばもっと良かったのだが。みんながコズエ、または母と繋がっていたというのは、観客の評価を意識し過ぎた、あまりにも優等生的展開で、個人的には逆に引いてしまった部分もあったので。
またまた逆に言えば、サトシとコズエとの初恋のような 甘酸っぱい関係の物語の部分の方が他の部分よりはるかに素晴らしかったので、コズエが宇宙に旅立ってしまったものの、またいずれ会えるのではないかと言う余韻を残して完結した方が、個人的には好きな展開になったのだが。
変化を受け入れ成長する子を描く傑作
原作は未読です。
子どものままでいたい、大人にはなりたくない、という思いは誰もが抱いたことがあるのではないでしょうか。
本作は、そんな自らや周りの変化を嫌がる少年サトシの成長を見事な演出で描いています。
何かが変化をする、ということは、それがいずれは終わりを迎えるということを意味します。それを受けいれるのが嫌なサトシでしたが、「落ちるからきれい」という変化を知らなかった梢の言葉をきっかけに少しずつ「変化」というものを前向きに捉え始めます。
変化する、終わることを受け入れ、初めは拒んだお神輿の破壊を最終的にはサトシ自身に決断させることで、彼の成長を描くのは、見事としかいえません。
また印象的だったのがおにぎりのシーン。ダメな大人だと思っていた父親が、「温かいご飯で作ったおにぎりは美味い」や「手を冷やして感覚を麻痺させればにぎりやすい」と知恵経験で作ったおにぎりは確かに美味しい。これもサトシが大人になることへの抵抗を無くすきっかけの1つだと思います。「美味しい」とセリフではなく、湯気と食べ方だけでの描き方もとても粋というか、見事です。
このように、本作は少年の成長過程を見事に描いた傑作で、間違いなくオススメです。
サイセ
誰もが通ってきた、甘酸っぱい日常を描いていたと思ったら、急にファンタジーになって、少し面食らいました。
でも、誰にでも再生のチャンスがあるんだなって、清々しさみたいなものを感じました。
父と息子が2人っきりで話をするときの、つよぽんの横顔がなんとも言えず、よかったです。
じわじわ系
まずは率直に、辛口評価を。
象徴である「枯れ葉をまく」がやや冗長気味。
逆にコズエの母の描写は不足感あり。
父との男同士ゆえのわだかまりと認めあいはそれだけで一作品分のクオリティ。惜しい。はっきりいってこの部分の出来が「良すぎ」。
一方で作品のクライマックスのはずの映像が正直、40年前のコメットさんテイスト。
結果、この男の子を一番変化させたその出来事は?がぼやけてしまった感。流れでいえばコメットさん部分だけど、あの親子のシーンのが影響大きくない?となってしまってる。
なんて。超辛口で書いてしまったけれど。
ぼやけたー、ストレートにこないーと思うためか、見終わったあともまだなにか、それこそ枯れ葉が心の中を舞うような感覚が残ってる。
いやあ、そうねらって作られたようには思えないんだけど…。
思春期の男の子
思春期の男の子の肉体的、精神的な変化を描きたかったのかもしれないけど、???な感じでした。最後にまく子が本当に宇宙人だったとしてしまったので、何だか冷めました。
よく分からん
たまには邦画もいいかな〜と、友達に誘われたので昨日行ってみました。
私は原作小説は読んでおらず、
事前に「まく子」の予告は見たのですが、(これは主人の成長過程でのモヤモヤとか悩みとかそう言ったものを表現して、最終的に不思議な雰囲気の女の子と一緒にちゃんと成長できて仲良くホワホワほっこりなエンドかな〜?)みたいな、、感じでちょっと期待してたのですが、、、
最終的によく分からん。
こっちがなんかモヤっとした気持ちで終わりました。
ここからネタバレなんですが、
私が個人的にこれいるかな?みたいなシーンがいくつかあって→特に父親の浮気相手と主人公が鉢合わせてからコズエちゃんもそこに加わって3人でお神輿を壊して燃やす。このシーン、、カオスです。何やってんの?なんで祭り終わってからずっとお神輿そこに置いてあんの?てか、このお祭りがどんな意味で行われてるかぐらい親か教師から聞いてるやろ?みたいな「???」が頭にうかんできました。
あと、最後の方にコズエちゃんが去るとき町のみんなを呼んでキラキラを撒くんですが、急にCGでキラキラって、ここがなんかこの映画を安っぽくしたように思えました。
その後の町の人たちがこの不思議現象に対する受け入れようが不自然に感じました。原作の表現に合わせたのかも知れませんが、映画にしては映像として表現していることが散らかっていて、上映時間も長くて少し退屈でした。結局友達と二人してこれはなんだったんだろうという気分になってしまいました。
主人公の少年の思考が少し大人びていて、この子は小5かな?という感じになりました。
確かに体の変化に悩み出す時期でしょうが、もうちょっとかわいらしい子供らしさがあっても良かったのではと思います。
ラストに近づくにつれてSFというかファンタジー色が強くなっていく作品でした。
ただ、温泉街の映し方や、熱々のおにぎりを親子で食べてるシーンの光が漏れているところ、コズエちゃんがいろんな物を撒いているシーンはとても綺麗でしたし、草彅さんが扮するお父さんはかっこよかったです。
勢いだけで長文を書いてしまいすみません。
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