Diner ダイナーのレビュー・感想・評価
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いつものにほんえいが
写真のことは知りませんが、監督は写真家を兼業しています。スタジオで被写体を据えて撮る写真家で、ストリートや自然や報道などの写真は見たことがありません。すべてが人物や花などをコラージュした写真です。極彩色に盛りますが、独自性はなく、この人が撮ったことを視認しうるシンギュラリティ(技術的または芸術的特異点)がない、謂わば商業写真です。おそらくほとんどが後処理に重点されると思われ、写真家というより画像編集者と言ったほうが適切かもしれません。
映画監督としての特長も──それを特長と言っていいならば、極彩色に盛ることです。似非な「過激さ」もあります。
原作は様様なころし屋とグルメを融合させ、その過激さを描いている──と思われます。原作も漫画も知りませんが、小説や漫画ならば、中二な決めゼリフが散りばめられたこの話は悪くないと思います。でも映画となると、過激や特異を標榜したはずのキャラクターが、日本映画によく出てくる人に見えてしまっています。
いわゆる過激な人物の表現が、定型。紋切り。一本調子。ワンパターン。です。過激な人物とは=過激なことをしたり、大声であばれる輩──という方程式しか見えません。かれらは「過激」をひょうげんしているはずです。ダイナーは過激なことを描いている映画──のはずです。マスコミも阿付してダイナーが過激だと喧伝していました。
いかがでしょう。
この過激さは園子温他日本の映画人たちと丸かぶりの感性です。園子温映画において、風呂場で屍体をバラバラにするとか、手をつないで列車に飛び込むとか、真っ赤なスパゲッティをわしづかみで食べるとか、──それらは一般に「過激である」と定義されます。が、じっさいには過激なシーンが出てくる映画──なだけであって、過激が有機的なモチーフたり得ていません。
過激なキャラクターとは過激なことをする人ではありません。過激な映画とは、過激なシーンを羅列した映画ではありません。文脈や基本的な映画技法に深化がなければ過激をひょうげんすることができません。
そもそも「過激」作家の目的は過激を映像化することではなく、過激なシーンを羅列して承認欲求を満たすこと──にあります。
ようするに「こんな過激を描けてしまう私/俺ってスゴくなぁい?」とドヤりたいから映画監督に就いているわけ。
とうぜんかれらの第一義は映画づくりではなく、繰り返して自己顕示欲が自得される環境下にじぶんが置かれること──であり、ほんとはつくりたいものなど、なんにもないわけです。(憶測です。)
過激とはなんなのか。
過激とは、例えば──
(例えばはあくまで例えばであり、それが、もっとも好適な例えだとは思っていません。一般庶民が例えるばあい、映画の厖大な歴史をひもといて、例えを探すわけではなく、じぶんが見知った、わずかな映画視聴履歴をもって、例えるのであり、研究者の網羅性はありません。ただし、例えが通じやすいように、ポピュラリティのある映画から引用しています。)
例えばエンドゲームのネビュラってぜったい喜楽も高揚もしないキャラクターですよね。彼女に無類の個性を感じました。エンドゲームの冒頭覚えてますか。真顔でさびしげに「楽しかった」っていう人です。温かみを失った無感情なネビュラは「見たこともないキャラクター」でした。ましてエンドゲームは大衆に向けられた映画。ネビュラはまさに「過激なキャラクター」だったと思います。
鬼滅の刃について一切知りません。そんなわたしが鬼滅の刃劇場版を見たとき、キャラクターの類型性を感じました。で、レビューにこう書きました。
『キャラクタイズは陳套で、市松は真面目で主格であり、橙は泣き虫でヘタれであり、猪はそのまま猪突猛進でした。煉獄さんはテンプレートみたいな「豪快」キャラです。「うまい」って何回も言います。』
日本の映画/ドラマにおいて、登場人物が特異なキャラクターをもっていることは、ほとんどありません。「見たこともないキャラクター」なんてまずいません。
類型やパターンを楽しむのが日本らしさ──と解することもできますが、もしかしたら想像力の欠如がキャラクター平板化の要因かもしれません。
あばれないネビュラが過激に見えるのは、日本映画が特異性を考慮しないか、特異を生む能力に欠けているからです。
日本映画には、そういうことを感じさせてしまう映画が多すぎます。似非の「過激」を過激とする、まがいものが幅をきかせすぎです。なぜ持っていないひとが持ち上げられてしまうのでしょう。意味がわかりません。
日本映画を語っているとき、しぜんと風呂敷が拡がってしまう(全体的な話になってしまう)のは、腹が立っているからです。
じぶんは概してどんなときもおだやかですが、唯一日本映画を見たとき、腹が立つことがあります。
とりわけ親の七光りとそこから繋がるマスコミの力に庇護されている人物が、日本をだいひょうする映画監督に持ち上げられ、業界内の宥和に支えられ、したたかな逆境に遭いもせず、えんえんと愚作を繰り出すことができる理不尽に接したとき──腹が立ちます。
ただし、一方で日本映画を見ることは、わたし/あなたの大人度をはかる試練とみることもできます。七光りも才能のひとつですし、いかなる作品にたいしても寛容をもって受け容れるのが、大人の対応というものです。大人になれば、突き上げてくる怒りを静めながらレビューを書くことも可能になるでしょう。
が、ころすかころされるか、いまわの悶絶と絶叫、流血と傷口とどろどろとした修羅の気配というものは、日本映画が耳目にタコができるほどつくってきた映像です。いつものふつうの日本映画です。
冒頭、主人公オオバカナコの後ろで道行く雑踏が一瞬止まって屈折する前衛舞踏みたいな画がありますが、その拙い心象ひょうげんで早くも(もうれつに)嫌になりました。ころし屋たちの乱痴気騒ぎを描きながら、ときどき祖母との情景がでてきてエモーショナルに落とそうとする付け焼き刃な感傷にも、ほとほと疲れました。とうてい感動へもっていける話じゃないのに、感動へもっていこうとしていて、ほんとに心から困憊しました。
また(個人的な見解ですが)主演女優に魅力がありません。他の出演作でも魅力を感じませんでしたが、この人は概して慮外の高評価を浴びている女優さんです。ウィキペディアに、
『2019年に公開された『惡の華』と『地獄少女』での玉城の存在感・芝居は映画ファンの間で反響を呼び、とりわけ『映画秘宝』の論客たちの間では町山智浩は『惡の華』を絶賛し、玉城を「新たなスターの誕生」と評し、田野辺尚人は必殺シリーズに影響を受けた『地獄少女』における玉城の存在感を「『必殺からくり人』における山田五十鈴を彷彿させる」と評した。』
──とありました。人様がどう見ようと勝手ですが、こんな見当外れってありますか。権威的な人たちが素人同然の女優を絶賛しているばあい何らかの企図や忖度があるはずです。(個人の憶測です。)
(だいたい「必殺からくり人における山田五十鈴を彷彿させる」──ってなに?世間でこの例えになるほどそうかと納得する読者がどれだけいると思いますか?こんな大時代な独善を吐いて金もらって評論家面してるってスゴいよね。)
(私見ながら)この映画に見る価値はありませんが、見るならキッチンで調理しながら。もちろん1.5倍速で。とちゅう2時間ほどよそ見しても印象も感想も変わりません。0点。
ストーリー以前の問題
原作を知っていると駄作
普通に面白かったと思います
ようこそ、哀惜食堂へ…。ぶっ飛んだ世界観がグラシオーソ!
殺し屋専用の食堂「ダイナー」で働くことになった女性、オオバカナコが体験する狂気的な世界と、そこでの経験を通して成長する彼女の姿が描かれるスリラー・アクション。
監督/脚本は『さくらん』『ヘルタースケルター』の蜷川実花。
「ダイナー」の店主ボンベロを演じるのは『DEATH NOTE』シリーズや『借りぐらしのアリエッティ』の藤原竜也。
主人公オオバカナコを演じるのは『オオカミ少女と黒王子』『チワワちゃん』の玉城ティナ。
店の常連である殺し屋のスキンを演じるのは『エイプリルフールズ』『64』シリーズの窪田正孝。
子供の体をした殺し屋のキッドを演じるのは『GANTZ』シリーズや『キングダム』の本郷奏多。
オオバカナコが「ダイナー」で働くことになるきっかけとなった強盗の一人、カウボーイを演じるのは『海猿』シリーズや『シン・ゴジラ』の斎藤工。
組織の幹部の一人、マテバを演じるのは『銀魂』シリーズや『君の膵臓をたべたい』の小栗旬。
旅行代理店のムカつく店員を演じるのは『亜人』『嘘を愛する女』の、元AKB48のメンバー川栄李奈。
蜷川実花監督の作家性が前面に押し出されている、マッドでファンキーでドラッギーな世界観こそが本作の魅力🌸✨
舞台はどうやら現代の日本のようなのだが、ボンベロだのスキンだのマテバだのという名前を見ればわかるように、リアリティの一切ないファンタジーな世界で物語は展開される。
「ダイナー」に集う殺し屋の皆さんは、完全にどうかしてしまっている漫画みたいな方々なので、下手なリアリティを持って世界観を構築するよりも、完全なファンタジー世界で物語を描いた方が良いと判断したのだろう。
蜷川監督の過剰なまでに耽美的な映像が、そのファンタジックでドラッギーな世界観にマッチしており、普通ならツッコミを入れたくなる展開でもスッと飲み込むことができて中々に楽しかった🌺🌸😆🌸🌺✨
物語としてはオオバカナコという心を閉ざした女性が、ダイナーに集う人々との交流を通して回復し成長するという、まぁ王道な設定ではある。
この軸がブレることなく、最初から最後まで一貫して描かれていたので、破茶滅茶な映画でありながらなんかいい話を観たような気持ちにさせてくれる。
今更マトリックス的な銃撃戦は古いだろ。とか、登場したキャラクターの名前が画面に描かれる演出がなんかパチスロみたいだな。とか、菊千代のCG感が強すぎて犬に見えねえ。とか、普通に考えるとマイナス要素になるようなイモっぽいところもあるのだが、それも世界観に上手く溶け込んでいたのでそれほど気にならなかった。
むしろTVゲームみたいな感じがしてなかなか楽しい👍
ただ、殺し屋を扱った作品なのだから、もっと残虐だったり悪趣味だったりするスプラッター表現は見せて欲しかった。
ゴルフクラブで頭をスイングされ、気を失うカナコ。いやいや、そんなことされたらもっと顔がグチャグチャになっているでしょうに。
ヒロインの顔は傷つけられなかったんだろうけど、だったらゴルフクラブで殴打するなんて描写ではなく、薬で眠らせるとかでよかったんじゃないんですかね?
キッドの攻撃も、舐めプしていたとはいえやっぱりヌルい。
本郷奏多の顔をした子供という、めちゃくちゃ気持ち悪いキャラクターでコイツ自体は結構面白かったし、菊千代に頭をかじられたところとか普通に笑っちゃったんだけど、もっとコイツの猟奇的な側面を描いて欲しかった。
それと、ショットガンで頭を撃ち抜かれたら、多分頭ごと吹っ飛ぶと思うのですが…。やっぱり組織の大幹部ともなると頭も硬いんですかなぁ。
上記した以外のバイオレンスも、全体的に温度がヌルめ。せめてR15指定くらいの残虐さは欲しかった。
エロチックな表現もめちゃくちゃヌルい。カナコが輪姦されそうになるところとか、もっとイヤらしく描いた方が映画にメリハリが出来ると思うのだが。この辺は事務所の問題かね。
後半なんかはドンパチ多めで楽しいのだが、中盤はちょっと中弛みしているように感じられる。
90分くらいのランタイムにして、もっとスピーディーに物語を展開させて欲しかった。
正直、ちょっと退屈に感じるところも多かった🥱
狂った世界観なので大抵の脚本のアラはスルー出来る。
それでもカナコが金庫のロックをたまたま解除出来ました、という展開はちょっと飲み込みづらい。
なんらかの方法で解除番号を入手したとかならともかくさぁ。
あともう気になってしょうがないのは菊千代。
一流料理人が厨房に犬を入れるなよバカ!!
それとさぁ、敵の追っ手が迫っているというというのに、何をイチャコラやっとんねん。
緊急事態なのにハンバーガーの作り方を教える、という突飛さは面白い。ここは映画のトーンにもあっているし良いと思うんだけど、問題はその後。
通気口を通って逃げようとする2人。背後からは銃声が聞こえる。
お前は先に行け、俺は後から行く…。嫌よ嫌よ嫌なのよー!いいから早く行けー!からのブチュー💋👨❤️💋👨
…いやいや、一分一秒を争う場面で、立ち止まりながら会話するなよ。
大体あの2人、いつの間に恋愛感情が芽生えていたんだよ。無理矢理恋愛描写を突っ込まれると萎えるのよ。
邦画、洋画問わず、割とこういう展開の映画は多いんだけども、生死がかかっているという緊張感が削がれるので辞めていただきたい。
エンディング、カナコが開いた「ダイナー」に死んだと思われていたボンベロと菊千代が来店するという展開。
正直ここはすごくよかった。バカバカしくて良かったとかではなく、普通に上手いなぁ〜、思いました。
「想像力のないものは死ね」というボンベロ。
カナコは「ダイナー」での経験を通して、自分は必要のない人間なんだ、という思い込みから脱却できた。
つまり、本作で描かれる彼女の成長とは何かというと、「想像力」を獲得したということ。
そして、カナコが「ダイナー」を開いたメキシコで行われているのは「死者の日」の仮装行列。
ピクサーの『リメンバー・ミー』によって日本での知名度が高まったこのお祭り。日本のお盆と同じく、死者に思い馳せ、その魂を迎え入れるという行事である。
想像力を手に入れたカナコが「死者の日」に出会うのは…、という切ない結末であることを、説明的に描くのではなく、そっと示唆するだけに留めているという上品さは美しい。
もちろん、ボンベロが超人的な生命力により生きながらえた、というハッピーエンドとして受け止めることも出来る訳で、人によってエンディングの意味は変わってくるだろう。
解釈に幅がある物語は、それだけで良いものである。
映像こそ毒々しいが、中身は王道のエンターテイメント。
玉城ティナのメイド姿をたっぷりと拝める、彼女のファンにもオススメな一作✨🌸🌺🌸🌺✨
星0の人はどういう事?とても面白かった。
原作は知らず映画のみ見ました。
とても面白かった。
伏線とかもあり、あぁ!とびっくりする場面も。
ラストシーンがハッピーエンドに見せかけて、実は死者のお祭りの日...という悲しいラストなのが良かったです。
渋滞し過ぎ
意外と原作に忠実な気がする
きついわー
10分で辞めればよかったのに、キャストの豪華さで面白くなっていくのでは?
と期待しながら見進めてしまったが運の尽き、終始つまんなかったし、半分見てしまったしもう見るか、みたいな惰性で見てしまって大後悔。
アマゾンプライムだから諦めがつくが、映画館で見にいってたら不機嫌になるレベル。
人生の中でワーストにランクインしてきた。
じゃあ、お前がやってみろや!って言われてしまうとできないんですけどね。。
映画作れるだけで凄いと思うので。
でも、基本的に厨二病。
展開に繋がりがなかったし、感情の動きとかにも共感しづらかった、アクション現実味ない、オーケストラ謎い、そして何よりストーリー鬼謎い。。。
理解しようとしてはみたが、自分の頭では理解できたのは、自己満のオ○ニーしてるんだなぁということくらいでした。
原作と世界観
漫画の実写化に期待はしないことにしている。その原作が好きならばなおのこと。そもそも日本の映画界がおかしいのか?あれもこれも原作は漫画。日本で独自の文化を築いた漫画だが日本のクリエイティブを自称する映画関係人には恥を知らんのか。実写化なんかせずに素直にアニメで作品作れば良いのになあ。と言うわけでダイナーなんですがまあ、監督の自己満足の世界観が全面に出ていて辟易。原作を見ずに見たのならまあ、普通に面白いのだがドラゴンボールと同じで全く別の作品として見るべし。キャストも減作には合っていないし特に玉城ティナ、最悪。ハーフ顔の主人公には感情移入できません。殺し屋のアクションだけがまあ、何とか見れるれべる。ストーリーも原作を踏襲してるがはっきりいって原作レイプの域です。あーもったいない。残念。
カメラマンの卵
ここに感想を書きたくなる
映像を見せたい映画とか展開やストーリーを見せたい映画とか色々あると思うけど、これは前者。
なにか目指しているものがあるのかなと思うけど、どっかで見たなぁ感がすごいかな。
バブル期くらいだったら斬新で面白い評価がたくさんあったかもです。
何かを作るって創る側のエゴとかの塊だと思うんだけど、これはそれが透けて見え過ぎてるから違和感すごいんだと思う。
エンターテイメントではないかな。
それに監督の略歴からしても写真のほうがハードル低いのかなって思えるからなんか悲しい気分になる
僕は映画が好き。すごい映像が好きなんじゃない。と再確認できることが良いところかな
面白いか面白くないかで言えば私は面白くないけどこういう映画があるから映画っていいなぁと思えるんだと思いました。
見たあとここになんか書きたくなるようなそんな映画
最低の一言です。
「さくらん」の実写がすごく好きだったので
期待していたのですが、原作が好きで劇場に
観に行った友人に「これは絶対に観ない方が
いい」と言い含められ、アマプラに出て初めて鑑賞しました。
漫画が原作と思っていらっしゃる方も多いと
思いますが(漫画の方は私も大好きです)、
原作は小説です。平山夢明先生の作品の中でも
傑作と思っている私の大好きな「ダイナー」をよくぞここまでレ◯プしてくれたなと思います。
星をつけたくもありません。
監督に対してマイナス800くらい付けたいです。あまりにも酷い。
監督は平山先生の他の小説は読んだことがないのでしょう。原作もきっとサッと目を通した程度に違いありません。
本当に心の底からガッカリです。
蜷川実花さんには二度と平山先生に関わってほしくないと思ってしまいました。
原作を気にせず観るなら綺麗で奇抜で面白く観れたのかもしれませんが、それにしてもアクションもストーリーも雑。まず原作が存在する意味がありません。
鑑賞中はずっと画面の玉城ティナさんの可愛さに救われていましたが、原作を考えると
「オオバカナコ」が玉城さんほど美しいわけがないのでこれもシラけてしまう要素です。
美しい俳優さん、実力ある俳優さんを揃えて
ここまで無駄遣いされている事もとても悲しいです。
実写化にはガッカリする事も多いですが、
ダイナーは本当に大好きな作品だったのでもう悲しみと憤りがおさまらずここに長々とレビューしてしまいました。
原作がお好きな方にはまったくお勧めできません。悲しい思いをされるだけです。
できれば原作を知らない方にも、あまり観てほしくない作品です。
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