「書きたかったこと以外に書くこと」フォルトゥナの瞳 つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
書きたかったこと以外に書くこと
特に複雑な話でもないし、有村架純が好きだということと、前半退屈だったこと、最後が良かったこと、あと有村架純が可愛いってことと有村架純が…くらいしか書くことないなと考えながら他の方のレビューを呼んでいたら、何かズレてる気がした。
主人公慎一郎は多くの人が亡くなったであろう飛行機事故の生き残りだ。
アリメカとかは銃乱射事件で助かった人が自殺したりしてるんだよね。生き残ったことへの罪悪感というか、とにかく悩んで。サバイバーズ・ギルトというPTSDらしい。
慎一郎も同じように悩んでいて、それを彼は色のない世界と表現した。
生き残った悩み、フォルトゥナの力、生と死に関する運命、運命に対抗する選択、そして…という順に積み上がっていって物語を構成しているんだけど、一番土台にある肝心の「生き残った悩み」が抜けてるから、力がーとか力の使い方がーとかズレるんだよ。
もちろん普通では分かりにくい感覚であるから、作品内では前半半分くらいかけて生き残った悩みを描写している。
観ていて、もうわかったから早く話を進めろよと退屈に感じたものだが、これだけ描いてもほとんど伝わってないんだなと悲しくなった。作った人たちも浮かばれない。
何もしない虚無だった慎一郎が葵と出会うことで色が生まれ、生きる力がみなぎる。慎一郎にとって生きるとは、力を使う事、死ぬこと、生きると死ぬは矛盾しているが、慎一郎にとっては矛盾していない。
つまり、どう死ぬか、何のために死ぬか、誰のために死ぬかしか最初から残っていないのだ。
自分が生き残ったことや人が死ぬことは運命なのか?という問いに対して、運命なんて言ったらつまらない、それは選択だと物語は始まる。
それを受けて慎一郎は葵と付き合うという選択をし、そこから多くの選択をしていく。
運命に対して否定的でありながらも、慎一郎と葵の出会いはとても運命的なものだったロマンチックさも良い。だってロマンス作品だからね。
慎一郎の死後に明かされる葵視点の秘密について。
事故の前、慎一郎も葵も透けていた。通勤電車の人々が透けている事を当然知っているであろう葵は、自分も透けているだろう事も気付いているだろう。
沖縄旅行の誘いがあった時に慎一郎が透けている理由が自分を助けるためだと悟った。
今まで何もしてこなかった葵ができた精一杯の行動が、沖縄旅行を了解し慎一郎の危機を避け自分の死を受け入れること。
一方の慎一郎は、葵を危険から遠ざけつつ、事故を防ぐつもりでいた。葵が電車に乗っていなかったら止めにいかなかったわけでも、本気で沖縄に行くつもりだったわけでもないぞ。
なので沖縄旅行に行くために自分の部屋へ慎一郎が迎えに来ていると信じている葵の行動は非難されるところはない。
葵が助かれば慎一郎が死んでしまう。自分か慎一郎のどちらかしか助からないと葵がハッキリ言っているはずだがわかっていない人がいるとはね。
誤算があったとすれば葵の想像もつかないほどの行動力が慎一郎にあったこと。慎一郎が葵を助けようと行動してしまったこと。
慎一郎が何もせずに葵が自分の意思で電車を避ければ、事故は起きるけど二人は生き残ることができた。
しかし、慎一郎の行動力は葵が惚れた理由でもあるから、二人の愛と行動力(死)は表裏一体の、運命?選択?ほうらね、面白いでしょ?
慎一郎の行動力に惚れた葵。その慎一郎を助けるため選択した葵。全てのため予想以上の行動力をみせた慎一郎。
ロマンス作品らしく運命と選択と愛でできた「高次元の賢者の贈り物」
ここから本当に書きたかったこと。
有村架純が好きな事はもう書いたが、本作でも輝いていたね。いかがわしいんだよね。
輝きすぎて、なんだか透けて見えるんだよ。映画的に透けてるんだか、自分だけが透けて見えてるんだか、もうずっと透け透けなんだ。
えっ、もしかしてこれがフォルトゥナ?