「興味深い映画だった。」フォルトゥナの瞳 K.Aさんの映画レビュー(感想・評価)
興味深い映画だった。
この映画は色々と考察のしがいがあってとてもおもしろかった。
レビューを見たらこの作品の奥深さを理解してない人が多いようなのでポイントをまとめておきます。(全て個人的な意見になります)
葵があの日電車に乗った理由は劇中でしっかり描かれています。要はフォルトゥナの瞳の能力で慎一郎の死が近づいていることを知った葵。その死因が何かはその時はわからなかったでしょう。直前で急に誘ってきた沖縄旅行が原因かもしれないし、朝の電車かもしれない。まぁ個人的な意見としては葵はあの電車に乗って仕事に行ってた訳ですから車内の人が透けているのことや、慎一郎の焦った様子からおそらく自分は電車で起こる事故で死ぬのだと確信したはずです。しかし自分がここで電車に乗らないという選択をしてしまったら慎一郎が運命を変えたことになり慎一郎が死んでしまうことになる。だから葵は運命に従って自分の死を受け入れて慎一郎を生かそうとしたんです。何で電車の中にいる大勢の人を見殺しにしたのかという意見もあるかもしれませんがそれは以前に葵が言っていた「弱いのは私」というセリフに表れています。フォルトゥナの瞳はその性質上、誰かの死を知ってもその運命を変えてしまうことで自分の死が近づいてしまうという物です。だから恐らく葵は今までも誰かの死を知っても見て見ぬふりをして生きてきたのだろうと思います。それが葵の弱さです。一方で慎一郎は自分の死が近づくにも関わらず他人を死の運命から救うという強さを持っています。だから劇中のラストも葵の弱さと慎一郎の強さが対比されてるのかなと思いました。大勢の人の命を犠牲にしてでも(他人の死を見て見ぬふりをしてでも)愛する人=慎一郎を守ろうとした葵、大勢の人の人の命を自分の命を犠牲にして守った(結果として葵を守ったことにはなりますが)慎一郎、つまり電車に乗ることによって慎一郎の命を助けたら大勢の人は犠牲になっても良いというある意味エゴにも近い葵の弱さ、が表されてる訳です。
余談ですが皮肉な話で葵が電車に乗らなかった(=死の運命を変えてしまった)としても慎一郎は死ぬ運命ですし、葵が電車に乗る選択をしても慎一郎が葵を助け、慎一郎は死ぬ運命だったということです。つまり、葵の死が分かった時点でもう慎一郎の死は確定してしまった訳なんですね。葵の死を見過ごすことなど決して慎一郎にはできなかったでしょうから。葵が慎一郎を守ろうと決断しても慎一郎の死は変えられなかった訳です。これは神の定めた運命を変え続けた慎一郎に対する神の罰のような物だったのではないかと思っています。とても残酷な話ではありますが。