「原作の消化不良が一気に解消しました。」天国でまた会おう 琥珀さんの映画レビュー(感想・評価)
原作の消化不良が一気に解消しました。
『その女アレックス』があまりにも衝撃的だった反動か、この原作は今ひとつだった、という読後感を抱えたまま鑑賞しましたが、映画としての構成(脚本化)が見事で、ラストのもっていきかたなどは、原作からは読み取りづらかったエドゥアールの気持ちまで描かれているように感じました。
勿論私なりの解釈でしかありませんが、そのおかげで原作と一体化した満足感がとても大きなものとなりました。
・父親との闘い…経済的・親権的庇護下にある子どもは宿命的に理不尽なほど圧倒的に不利な状況での抵抗しかできない。ましてや、父親が社会的大物であれば尚更である。
・戦場での不条理……行為の正当性とは全く関係なく、幸運(悪辣な中尉が逆玉の輿に乗り、軍人から実業家へ華麗な転身を遂げる)、不運(顔半分が吹き飛ばされる)に振り分けられてしまうことがある。
生き延びてしまったエドゥアール(それが本人にとって幸運だったのか不運だったのかはラストの解釈で分かれるところだと思います)は、せっかく別人になりすますことができていたのに、結局は父親への復讐(詐欺でダメージを与えることはできるが、自分が生きてることもバレるかもしれない)という形になったのは、父親に認めて欲しいという屈折した愛情表現であり、それこそが生き続けた目的だったのだと思います。
記憶が薄れており自信はないのですが、たしか原作でのアルベールは気が弱く優柔不断に描かれていた気がしますが、この映画では語り部として適度な存在感で登場しているのも脚本の妙だと感心するばかりです。
大きな存在の父親に認められることが生きる目的となり、それを達成して天国に行くことが救いとなる。戦場で命を賭ける、という人間にとって最大級に過酷な理不尽さを経験した後では、それでも充分に幸せなことなのでしょうか。最後に着けていた仮面の羽根は天国に召されて空に昇っていく姿、或いは何かのくびきが外されて自由になれる事の象徴のように思えました。
うろ覚えなので正確性が保証できませんが、アルベールは自分がプラデルの殺人行為を目撃したこと、エドゥアールのおかげで生き埋めにならなかったことをプラデルが知ったら、二人とも殺されるに違いないと怯えつつ、命の恩人のエドゥアールを匿い支えながら暮らしていた。自信がないのですが、大まかにはそんな背景があったような気がします。
少なくとも経済的に恵まれなかったことのほかに、プラデルの不気味で圧倒的な負の存在感に対する怯えと緊張感は相当にあったと思います。
レビューの中でプラデルの戦後の立ち位置について分かりづらさを感じている方
がいらっしゃいましたが、コメントできない設定だったので、原作での設定を覚えている範囲で書き添えておきます。
・自分の部下二人を背中から撃ったことがバレなかったばかりか、あれがきっかけとなった戦闘、つまり自分の武勲をたてるために不要な戦闘を引き起こし、まんまと顕彰を受け名声を確立した。
・そして、エドゥアールの遺体を引き取りに来た姉に自分の栄誉を誇り、逆玉の輿に乗ることに成功。
・自身の武勲と義父である総裁の後ろ盾を利用し、戦没者の遺体を埋葬するビジネスにも成功、実業家としても名を成した。
【番外編】
原作者ルメートルさんの『その女アレックス』はドラゴンタトゥーのリスベットが出てくるミレニアムシリーズに勝るとも劣らない面白さと衝撃が味わえます。いずれ映画化されるようですが、もし未読であればその時に備えて読んでおかれることをお勧めいたします。