「命懸けで自己主張を貫く男の生き様」こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話 みかずきさんの映画レビュー(感想・評価)
命懸けで自己主張を貫く男の生き様
『迷惑をかけあう』、『対等』、『闘い』。本作で印象的だった言葉である。私は本作を感動作だとは思わない。本作は、個性的ではあるが、あるがままの強く激しい主人公の生き様を通して、障害者と健常者の在り方を真摯に考える作品である。
本作の舞台は1994年の日本。本作の主人公は筋ジストロフィーを患っている鹿野靖明(大泉洋)。彼は、自宅にボランティアを集め、言いたい放題の奔放な生活をしていた。ボランティアの医大生・田中(三浦春馬)の恋人の美咲(高畑充希)は、ふとしたきっかけで鹿野のボランティアになり、当初、嫌悪感を抱いた鹿野に徐々に惹かれていく・・・。
鹿野は、自分を隠さず赤裸々に曝け出す。命懸けで、自分の欲望を形振り構わず実現しようとする。ボランティアに助けてもらうことに躊躇いはない。彼は、対等という言葉を頻発する。彼とボランティアとの会話を聞いていると彼が障害者であることを忘れてしまう。それ程に、彼は、遮二無二、強く自分であろうとする。何故か。自分の夢を実現する、生々しく表現すれば、自分の欲望を満たすことが生きている証となるからであろう。
鹿野を演じる大泉洋は相変わらずの芸達者振りである。これまで軽妙洒脱な大泉色を放つ役柄が多かったが、本作では、一変して、舌打ちしたくなるような嫌味全開の鹿野を熱演している。鹿野の命懸けの自己主張を見事に演じ切っている。鹿野の生き様を体現している。本作では鹿野の会話がキーポイントとなっており、難役と言える鹿野役を熟せるのは会話術に長けた大泉洋しかいないだろう。
ラストはそう来たかという感じがした。難問かもしれないが、折角の問題提起をしっかりとまとめて欲しかった。
本作は1990年代の物語であるが、20年以上が経った現代が、当時に比べ、格段に進歩したとは思えない。障害者、健常者という言葉が死語になった時、鹿野が目指した、障害者と健常者の対等な人間関係は我々の常識になったと言えるだろう。
コメントと共感ありがとうございます。
いつも優しい言葉に励まされます。
鹿野さんの自己主張は生きるためのぎりぎりの手段だったのですね。
障がい者を超えたある意味でカリスマですね。
我が家は住宅街なのですが、高齢化が進み認知症で夜中に
窓を叩く、部屋を除く、大声を挙げて歩く・・・
近所のお年寄りに、近くに住む娘さんは昼夜2度も訪問して
悪戦苦闘しておられます。
「警察に通報して下さい」と頼まれました。
それが最終手段らしいのです。
悲しい現実です。
なるべく人に迷惑をかけずに生きたい、とよく聞きますけど迷惑ってかけあって人との繋がりがあるのかもと思います
LINEや電話でも気にしすぎてできない人がいますしね
既読スルーって言葉は好きではないです
送った側の一方的なタイミングなんだもん
節度ある迷惑をかけ合いたいものです。