「後味が爽快な悲喜劇」こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話 keithKHさんの映画レビュー(感想・評価)
後味が爽快な悲喜劇
若い頃に罹患した重度の筋ジストロフィーのために自力だけでは生きることが出来ないにも関わらず、その境遇に甘んじず自ら確固たる信念をもって自立生活を営む覚悟と決意の下、自分で大勢のボランティアを募って集め、長年にわたって医療施設に頼らない生活を続けた札幌在住の鹿野靖明氏と、彼のもとに集ったボランティアたちとの交流を綴った渡辺一史のノンフィクションの映画化作品です。
障害者の日常を辿る、地味で暗くなりがちなテーマを、あくまで明るく前向きに面白可笑しく綴った快作ですが、それは偏に主演の大泉洋の外連味溢れる、あざとく人を愚弄するような演技に依ります。彼の演技は、その過剰な態とらしい過剰気味の言動・表情が屡々鼻につき、ドラマの実存感が薄れ実感を伴わないことが多いのですが、本作では、その過剰さが却って主人公の歪で独りよがりの押しつけがましさと一方でのあっけらかんさに、奇跡的に巧く適合したと思います。換言すると、この主人公のキャラクターは大泉洋でなければ成り立たなかったのではないかとも思っています。
とにかく本作の主人公の鹿野氏は、只管ボランティアに頼って生きているにも関わらず、謙虚でも寛大でも鷹揚でもなく、ただ傲慢で独善的で自分勝手な、思い遣りなど微塵もない典型的な“嫌な奴”です。その我儘ぶり傍若無人ぶりにボランティアの面々が利用され翻弄され、当然反発し逃げ去る者も続出する中、成り行きでその一員に入った高畑充希扮する新米ボランティアの目を通して見えるドラマとして作品は描かれます。
しかし鹿野氏の送る日々は、一人では寝返りも打てないという、1日1日がただ生きるためだけに猛烈に闘い続ける峻厳で壮絶な人生であり、常人の想像を絶する重みと深みを持った命懸けの我儘三昧です。新米ボランティアは、当初彼を嫌悪し反抗しながらも、彼の必死の生きざまに触れて成長しつつ、鹿野氏の夢の実現に尽くすことへの生きがいを見出していきます。
そのプロセスが、崇高さや神聖さを称えるような重厚なタッチにはせず、主人公とボランティアとの実生活的な日常のやり取りに、心から「笑わせ、泣かせ、(手に汗を)握らせ」てくれます。東映中興の祖・マキノ光雄が提唱した映画娯楽の三要素に満ちた構成に仕上げられています。
ラストは、事実通りに主人公は42歳で夭折するのですが、その清冽な人生にボランティア連も一種の満足感・充実感と感謝の気持ちを抱いたように、観終えた後に決して悲しい気持ちにはならず、不思議な感動が、爽快さを伴って心底から湧き上がってきました。