幸福なラザロのレビュー・感想・評価
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「幸福とは何か」をシンプルに問う秀作
予告編の長閑なイメージからは想像できない辛口の寓話であった。
舞台は社会と隔絶したイタリアの小さな村。小作制度が廃止されてから久しいようだが、領主からそれを知らされず、賃金を得ることなく土地に縛られ、小作人として働き続ける村人たち。それでも純朴で働き者の青年ラザロの表情は幸せに見えた。そして村人たちも……
序盤から中盤の無垢な村の生活と終盤の殺伐とした都会の生活との対比が強烈なインパクトを放つ。何故か「浦島太郎」を思った。「幸福とは」というシンプルな問いを観る我々に突きつける秀作だ。
現代に生きる我々の中で「幸福な私」と言える人がどれだけいるだろう。
行け!ザンパノ号
ラザロが復活してから、都市の片隅で暮らしている昔の村人が乗る三輪トラックは、フェデリコ・フェリーニの「道」でザンパノが乗っていたものとよく似ている。
(思わず、黒木華が海岸で可愛らしく「ザンパーノ!」と叫ぶシーンが甦ってしまった。)
しかも、乗っている人々の弱さも共通しており、この作品の三輪車が「道」を意識していることは明らか。
そう言えば、主人公ラザロと「道」のジェルソミーナはともに無垢である。そして、ラザロが兄弟の契りを交わすタンクレディと、ジェルソミーナをその母親から買ったザンパノは、自分本位で相手を搾取することばかり考えている。
ザンパノやタンクレディは悪人だろうか。映画はこの二人を善人としても描いてはいないが、悪人としても描いてはいない。彼らは弱くてそういう生き方以外を知らない。むしろこの二人の、無垢なゆえの傲慢が、物語の基盤となっている。
帰宅後、新聞を読み返すと、中条省平さんの日経夕刊の映画評にも「ザンパノ号」のことが言及されていた。
これほどまでに、アリーチェ・ロルバケル監督がフェリーニの「道」を意識していたのならば、この監督、非常に野心満々の映画を撮り上げたことになるではないか。
独特のテンポで紡がれる教訓的世界
実話の詐欺事件を下敷きにしているとの情報で、もっとストレートな社会派作品かと思いきや、かなり寓話的、教訓的。昔話か説話のようなおとぎ語だった。
封建的な搾取から、正義と法により華々しく開放されたかに見えた村人達は、経済社会という新たな逃れようのない搾取の構図に放り込まれただけ。同じく貧困に苦しむ姿であるのに、前半の自然の豊かな色彩に対し、後半の都市の色褪せたモノトーン。追い詰められるように、盗み、騙し、他者を出し抜く事で生き抜こうとする村人達。そこでは、かつて搾取する側だった伯爵家の人々も、お金という幻に翻弄され落ちぶれるばかり。
その中で、ラザロだけが、姿形も心根も一貫して変わらない。欲しがらず、疑わず、ただ人の役に立ちたいとの、素朴な善意だけで動いているが、欲と損得が理の世界の中では、理解し難い人外の存在のように、その姿は奇妙に浮き上がってみえる。
人の富を損なう敵である狼も、何も持たぬ彼にとっては、恐れ憎む存在ではない。遠吠えで呼び交わし、都市の暮らしの内に郷愁と懐古を呼び覚ます。
彼には、人として当たり前の欲や疑念が、むしろ理解できないのだろう。きょとんと当惑して立ち竦む様は、愚かなまでに無垢で、けれど代償を求めるでも報われるでもなく、うねる我の群れに呑み込まれ、ひっそりと潰えていくだけだ。
売って、買って、もっと売って、買うの繰返しである資本主義社会。何かがずれている、こんな筈じゃなかった、と何処かに違和感を覚えながら、脱却もできずに日々を送る現代人の一人としては、色々と刺さるところもあった。
これみよがしに声高に批判を叩きつけるスタンスよりは、象徴や比喩の中に疑問を呈して考えさせる手法が好みなので、面白く鑑賞できたが、宗教色の強い比喩や、欧州映画によくある唐突に放り出されるようなラストなど、難解な部分もあった。
ゆったりとした物語のテンポ、のっそりとしたラザロの動き。受ける感覚や後味も独特のものがあり、好みも評価も分かれそうな気がする。
前半辛抱、後半神秘
設定もストーリーも非常に興味深かったけれど、リアリティというものを気にせず半ば強引に進んでいく寓話的な物語に多少辟易してしまう。前半頑張って色々と捉えていけば必ずそれが後半に生かされてくる─そんな映画でした。
何かしらのメッセージ性のようなものがあるような気がしたけれど、自分にはよく理解できませんでした。
風刺映画
まさか実話を元にした映画だったとは。
主役の無垢な眼差しが、この映画を引き立てます。
「幸福な」とタイトルについているので、主人公がどのように幸せな生活を手に入れていくのだろうと、ワクワクしながら見ていたのですが、おやおやどうやらそういうことではなさそうだと、途中から気付きました。
世の中を風刺した映画だと気付いてからは、頭をよく使って考えながら映画を楽しむことができました。
人にとっての幸せとは何だろうと問いかけてくる映画です。
ラザロという名前、聖書からだよね?
イタリアって、なんつう国だ!と本当に思った。イタリアの人に、そんなことは言えませんが。イタリアに長いこと住んだこともないので、よくわかりません。
ただ、気候に恵まれているので、新鮮な野菜と果物には事欠かないだろうなとは思いました。でも、貨幣の世界に入った瞬間に、いきなり貧しくなるのは、資本主義と貨幣の世界だからだな、と思って、辛かった。
いい役者さん、たくさん。でも、この話が、現実の話に基づいているということ。それはショックというか、びっくりというか、イタリアって、どんな国だい?!と思いました。
でも、いい映画だった。
悲しく切ないが、絵本のような物語
様々なメッセージを含んだ絵本のようなストーリーだ。
ラザロは常に寄り添おうとしていたのではないだろうか。
タンクレディの「なぜ、仕事をさぼっているんだ?」という問いに対して、ラザロは「僕は働き者ですよ」と答える。
「じゃあ、なぜ、ここにいるのか?」という更なる問いに対して、ラザロは「あなたが望んだからですよ」と答える。
ラザロは、つねに人々に寄り添おうとしていたのだ。
しかし、ラザロは崖から落ちて村人や伯爵一家の前から姿を消す。
そして、長い長い年月を経て、再びラザロが皆の前に姿を現わす。
タンクレディに会いに行けなかった理由を伝えるために。
また、ラザロは皆に寄り添おうとするのだが、同時にタンクレディや村人たちの苦悩にも直面することになる。
結末は悲しい。
村人にとっては、小作でも昔の生活の方が豊かだったのではないか。
現代社会では搾取であっても、小作には、食べるものや住むところ、暖を取るのにも困ることはないし、人を欺いてまでも…、という良心の呵責もない。
ラザロは、銀行に赴いて、タンクレディに土地を返してもらえないかと懇願するが、銀行とは無関係の一般市民に、それもラザロが弱者だと分かった途端に攻撃に転じた一般市民に打ちのめされて、再び、この世界から姿を消してしまう。
狼は何を象徴しているのだろうか。
キリスト教にとって狼は異教徒を象徴しているらしいが、この映画のストーリーでは、現代社会に対するアンチテーゼを投げかける存在のように思えるし、聖人ラザロの魂を運ぶ役割を担った動物のようにも見える。
古来から続く小作は、現代社会では搾取だが、都市に集まって、人々は再び社会システムに搾取されているのではないか。
狼はラザロに、「ほらね、残念だけど、君は、今では必要とされてなんかなかったんだよ」と、悲しい目で語りかけていたようにも思える。
そして、狼はラザロの魂とともに山に帰って行く。
僕は、古い階級システムの小作といった搾取に決して賛成はしない。
ただ、新しい社会システムは、民主主義や自由主義の美徳の名の下に、置き去りにされて、見向きもされない人々や、荒れた田園・自然を作り出してしまったことも事実だと思う。
この映画は、少し立ち止まって、よく考えてみませんかというメッセージを伝えているような気がする。
ラザロが、まだ寄り添ってくれてるうちに…と。
神の御心しだい
山間の小作農業で生計を立てる貧しい村で暮らす人達とラザロという働き者の青年の話。
小作制度は廃止されているにも関わらず、それを告げず村人から搾取し続ける地主の侯爵夫人。
大人しく働き者なのを良いことに、村人から何でもかんでも用を言いつけられ労働力を搾取されるラザロ。自分で働き者と言っちゃうのはポカーンだったけど。
侯爵夫人の息子に狂言誘拐に付き合わされたり、自身の思想はないのか…中盤まではただ良い人というか都合な良い人という感じだったけど、最後にはそんな感じはふっ飛んだ。
ファンタジーであり、そのくせヘビーな感じで良い意味でのモヤモヤもあって面白かったけど、ちょっと唐突な感じもあって深くはハマらなかったかな。
富める者、貧しい者、幸せはどこに
1980年代のイタリアの田舎町で、大地主が農民たちに対して、小作人制度が廃止されていないと偽り、搾取し続けていたという実話をベースに、イタリアの貧富の差を描いた作品
そこに登場するのが、この映画のタイトルにもなっている「ラザロ」
彼は、その小作人の一人だが、何もしない人だ
怒らない、求めない、主張しない
困っている友人のためなら、平気で命も差し出してしまう
そんな彼が、その搾取するか、されるかという世の中に舞い降りると、ますます、この世の世知辛さが浮き彫りになる
ラザロは搾取する側と、される側の中間にいるのだけれど
ラザロの立場から観て、どっちも幸せそうではないのが印象的なだった
それなら、金などなくても、自給自足で好きなように生きているのが、一番幸せなんじゃないか…とすら思えてくる…
幸せな暮らしとは、どこにあるんだろうな…と考えてしまう映画だった
ラザロの微笑みが、物語を深くする。
カンヌ映画祭で、脚本賞を獲得した期待作!
フライヤーにミステリーと書いてあるから、ミステリーなのだと思っていました。
でもふたを開けたら、童話のような寓話的ストーリー。
密かに教訓めいたヒントを物語のあちこちに隠しているような…。
でもヒントはあっても答えはないのが、この映画の難しいところ。
タイトルにもあるラザロとは、死んで4日たった死者をキリストが蘇らせたという奇跡の人物らしいです。
神の使いともいうべき、彼の存在が物語の鍵となっているようですね。
舞台は20世紀後半のイタリア。
とっくに小作人という制度がなくなっているはずの田舎町での話。
1人の伯爵富豪が、貧乏人を囲って無賃金で働かせていたという実話が映画化されました。
今の移民問題と、昔のイタリアの小作人問題をうまく絡ませて、貧困の現状を問うているかのような映画。
そう考えてしまうと難しい話になりそうですが、そこを難しくしないために考えたのがラザロという存在。
いつもニコニコ笑顔のラザロが、人々のそばにそっと寄り添い、その時代時代の問題を見守っていくという。
ラザロがいるから、途中笑いもあってストーリーに盛り上がりもあったといえる。
しかしながら、ラザロという存在は、一体何者なのか?
それが簡単に分からないから、この作品は深い…。
クリクリとした愛らしい目からは悪意は何も感じない…。
まるで、純真無垢な赤ん坊のような、天使のような不思議な存在。
彼の目を通してみる現代は一体幸福と言えるのか、不幸と言えるのか?
見方は人それぞれであるように、考え方も人それぞれ。
童話的可愛らしい物語に、鋭いメスを入れるかのようなハッとさせられる瞬間があるのが面白い…。
優しさと厳しさのアンバランスな関係。
それはまるで母性のような…。
監督が女性だったから、そういう感覚が所々に見られたのかもしれない。
まあ、結局のところ、時代は変わっても本質的な問題は何も変わっていないという、なかなか難しい世の中です…。
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