「聖書をモチーフにしてるみたいけど、軽く宗教批判してる気がする」幸福なラザロ kossyさんの映画レビュー(感想・評価)
聖書をモチーフにしてるみたいけど、軽く宗教批判してる気がする
最も重要なテーマは資本主義社会の構図そのものなのでしょう。資本家と搾取される農民たち。前半の侯爵夫人による小作農からの搾取。そして後半(20年後くらい?判断材料はピッポやステファニアの年齢))の街の様子。時代は変わっても資産を持たない社会的弱者はいつも搾取されるだけで、その人生は変わらない。もちろん、隔絶された社会に住んでいて、時代を乗り越えられなかったとも取れるのだけど、後半に目撃した移民たちに日雇いの仕事を仲介する二コラが同じ商売だったこともシニカルに描かれていた。
そんな搾取される側でも働き者として忠実に仕事をこなすラザロ。聖人として見ることができるのですが、後半のラザロは狼が与えた命。狼が神?何言ってんだい!こちとら大女将だよ!などと、村の長老たる婆さんが言うかもしれない。神が宿っている狼ともとれるが、すでにキリストの世界から外れている気がします。
前半にはセベリーノ神父が二コラと一緒に登場しますが、宗教家らしいことは何一つしない。神を信じさせた上に侯爵夫人による搾取の手伝いをしてるともとれるのです。また、後半では大きなカトリック教会で締め出しを食らってしまう元村人たち。パイプオルガンの音楽を盗んでしまったラザロ。本当のカトリックよいしょの作品だったら、これはないでしょう。
どうしても理解不能だったのが侯爵の息子タンクレディの存在。小作農詐欺には反対の意見だったし、後半での行動も理解できない。ラザロにだけは心を許すものの、謎が多い人物だった。しかし、ラザロの行動原理はすべてタンクレディが中心。彼を見つけなければ死ぬに死ねない!と、聖なる力を発揮したのも、彼がいたからこそなのだろう。犬に同じ名前をつけるほど犬好きということだけはわかる・・・
聖人とは対照的に最も人間的だったのがアントニア。生活力のある逞しさをも感じさせ、旧村人であるラザロに最も愛情を示したのも彼女だ。さらに憎むべき相手であるデ・ルーナに対しても高級なお菓子をそのまま与えている。歪んだ社会構造の中にあっても、ラザロやアントニアの人間的な優しさを感じさせてくれる作品でした。
こんにちは
時間的に"ひっそり"お話。
私は勝手に"タンクレディ"を"山猫"の新しい時代の生き方を求めたタンクレディと重ねて観ていました。
勝手な解釈ですが。
では又。