「聖書知識が必要かもしれない」幸福なラザロ doronjoさんの映画レビュー(感想・評価)
聖書知識が必要かもしれない
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一見、幸せそうではないラザロに「幸せなラザロ」(原題も同じ意味)としたところの意味を考えさせる映画。
前半は正直眠かったが、隠された聖書からのモチーフを探しながら見ていたらもう少し置きていられたかも、と見終えてから思った。
気付いた聖書から来ていること。
・ ラザロ: イエス・キリストの友人で、イエスが彼を蘇生させる奇跡を起こすことがイエスの神性が知られるきっかけとなる存在。
・ オオカミ: 善の代名詞「羊」を襲う絶対悪として聖書では扱われている
・ 聖書の「荒野の誘惑」のモチーフが登場している
1. タンクレディの挑戦した場所は「荒野」そのもの。
2. 悪魔による第1の誘惑「食」→ ラザロは『パンだけで生きるものではない』存在となる。
3. 第2の誘惑「権力」→ 自ら権力をと戦うタンクレディ
4. 第3の誘惑「神性の証明」→ 「神の子なら守られているのだから飛びおりろ」という誘惑。イエスは「神を試すな」と返す。ラザロも試さないが…。
・ 他、最後のラザロを打つ群衆など、聖書からのモチーフと思われるシーンが多々、気づけなかったものもたくさんありそうだ。
・ ラザロ以外の登場人物は、搾取されつつも同時に搾取を試みる存在として描かれている。
だが、そのメタゲームの中で絶対悪である人間は登場しない。
一方で、絶対善として描かれるラザロは絶対悪であるはずのオオカミと一体になっている。これは善悪の相対化を試みるメタファーなのだろう。
そして幸福の相対化。
この映画において「幸せ」の匂いのするシーンは明確で、それは現代的幸せの要素について考えさせる種になっている
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