COLD WAR あの歌、2つの心のレビュー・感想・評価
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美しく醜い欲望
冷戦突入時の混迷に翻弄されながらも、必死に音楽を中心に据えながら愛を育む物語。そんな感じをぼんやりとイメージしながらの観賞でしたが、ガツーンと殴られた様に、画面以上に頭の中が白黒していました。でも、この感じは好き。
「アリー スター誕生」を東欧で作ったらこうなりました。といった所でしょうか。むかーし「ネイキッドタンゴ」なる映画を、深夜テレビで何となく視始めた時の衝撃を、思い出した次第でございます。
珠玉の名作
恋愛はいつの世も相手に対する性欲と相手を受け入れる寛容さと相手に受け入れられる充足感の相乗効果だが、それをストレートに表現するのは意外に難しい。エディット・ピアフのシャンソン「Hymne a l’amour」は恋愛の究極の形を表現した歌である。二人でいられるなら地球もいらない、自分の命さえいらないという鮮烈な歌詞だ。そして本作品のズーラとヴィクトルはまさにそれを地で行く。既存の価値観にとらわれない愛は、相手に嘘をつく必要がない。相手に男ができても女ができても結婚しても、そんなことは関係がない。世界の果てまで一緒にいるのだ。
庶民ができない大胆で勇気のある生き方をする登場人物。まさに映画の醍醐味である。白黒の作品だから尚更そう感じるのかもしれないが、兎に角役者の演技が抜群に上手い。ズーラを演じたヨアンナ・クーリグは歌もうまいし、小柄で胸の大きな男好きのする体はこの作品にぴったりだ。対して長身痩躯のトマシュ・コットはクーリグの5歳上で実年齢的にもちょうどいいカップルである。このふたりはキスをしてもセックスをしても、ふたりでただ歩いているだけでも、何をしても絵になる。
東西の冷戦はヨーロッパ、特に東側の諸国にとっては苛酷な生活を強いられる時代であったと思う。1980年にソ連からヨーロッパを旅行した人の話では、東側は貧しくてホテルの設備は酷いし、食べ物も全部不味かったそうだ。そして西ドイツに入ってビールを飲んでソーセージを食べたときには、はからずも資本主義バンザイと思ってしまったらしい。
能力に応じて労働し、必要に応じて消費する共産主義の理念はいいが、権力者の腐敗によって再配分が機能していなかったのだ。1980年当時でもそうだったのだから、本作品の主人公たちが生きた1950年代は更に厳しかったと思われる。
冷戦は経済的な格差の他に、文化的な格差も生んでいる。共産主義は日本の戦前の軍国主義と同じ全体主義のひとつで、国家の価値観によって国民の活動を束縛するものであるから、多様な価値観を許さない一元論になる。必然的に指導者の権威と権力が絶対的なものとされてしまい、あらゆる芸術は行く手を阻まれて花を咲かさない。勿論庶民の生活は限定され不自由になる。
しかし主人公たちはそんなことを物ともせず、ただ愛だけを貫く。ふたりの愛が時間の経過にも少しも冷めないのは、どの別れも互いの意志ではなく、時代に引き裂かれた別れだったからだろう。引き離されるほど恋い焦がれるのだ。出会いと別れを繰り返すふたりはそのたびに愛が深くなっているように見えた。
本作品で歌われる歌は、日本語の訳詞♫りんごの花綻び川面に霞立ち♫ではじまる「カチューシャ」以外は聞いたことがなかったが、どの歌もスラブ調の美しくも物悲しい歌だった。音楽家同士のラブストーリーに相応しく、当時の歌や演奏がそこかしこに鏤められていて、夢心地のような時間を過ごすことができた。珠玉の名作だと思う。
ポーランド版「浮雲」
第一に「COLD WAR」という題名が面白い。何故なら主役の二人は別に時代に翻弄されたわけでも冷戦の犠牲になったわけでもないからだ。証拠に「冷戦」というと日本人は分断とか鉄のカーテンとかをすぐイメージしちゃうけれど、二人は結構行ったり来たりする。それも「向こうへ行く為なら何でもやります」みたいな感じで。きっと違う時代や状況下で出会ったとしても、あの二人であれば似たり寄ったりの生き方をした挙げ句同じ結末を迎えたことだろう。こういう、お互いに求めあっているのだけれども、一緒にいたらいたで嫌になって別れ、別れたらまた会いたくなって、を繰り返す腐れ縁の色恋にはハッピーエンドなどないのだ。そういう映画に「COLD WAR(冷戦)」とネーミングしたのは皮肉である。映画会社の宣伝文句や(チラシの)解説が的を得ていない良い例だ。やっぱり映画は先入観無しで観て自分の感性を信じなければ。逆に仮に監督が冷戦時代の時代感とでも言うものを表現したかったのであれば、取り敢えず映画にはストーリーがあった方が良いのでこの二人を道化役にして一応物語の体裁は整えました、とうい感じか。というわけで、この映画のストーリーには感動するところなどひとつもなかった。『オヨヨ』の歌は良かったけど。そう、ボーランドという国とその芸能文化、特に歌の意味が分かればもっと興味深く観れただろう。あと各エピソードの起こった年が都度出てくるが、歴史上何があった年かチェックしておくべきか。色彩感覚に溢れた黒白映像とでも言うべき驚くべき映像美。各シーンを思い返すとカラー映画より雄弁に色を物語っていたように思う。ラストシーンなど畑が確かに色付いていたような錯覚に囚われる。主人公たちは必要最小限のことしか話さない。あとは表情を含め映像が物語を紡いでいく。ハリウッド製の電子紙芝居も悪くはないが、やはりこれが映画とだと思えることに感動する。
冷戦を背景とした美しくも切ない愛の賛歌
観終わって「冷戦」というシンプルかつストレートなタイトルが沁みた。スパイや軍隊が登場するわけでなく、主人公たちはアーティストであるがゆえに東西を行き来する機会もあるのだが、つねに東西の壁が、そして何より東側にある彼らの祖国「ポーランド」が存在し続けた。
1949年、ポーランドは自国の宣伝塔とすべく音楽舞踏団の設立を目指す。そのオーディションで、団の音楽ディレクターとなるピアニストのヴィクトルは歌手志望の女性ズーラと出会い、愛しあった。
その後の15年…東ドイツ、パリ、ユーゴスラビア、ポーランド…東側と西側…別れと再会の輪廻…長い歳月を極力きざんで感情を入れさせまいとするクールな構成ながら、激しく切なくなった。愛って時間じゃないかと思った。
モノクロの映像も音楽も歌も限りなく美しかった。これはオススメしたくなる秀作だ。
映画の完成形
15年を88分で描ききってしまう潔さ!モノクロの映像美!そして溢れる音楽...。芸術映画の最高峰といえる出来ではないだろうか。
物語はパヴリコフスキ監督の両親が部分的に基になっているということだが、ヒロイン・ズーラの完全たるファム・ファタールっぷり。もうそこに溺れるしかないという宿命のようなものを登場から纏う女。
男女は一度別れ、パリで一緒になるのだが、そこで映画のタイトル「COLD WAR」が効いてくる。ズーラは単なるファム・ファタールではなく、どうしようもなくポーランドの女性だ。ヴィクトルが西に憧れて西に順応するのとは決定的に異なる何かがふたりを分断する。...と感じるのは穿ち過ぎだろうか?
結局彼らはまたも別れ、結局多大な犠牲を払って再び巡り会い、あっという間にラストに行き着く。あまりに激しい愛。愛のためにそこまでできるのか?考えてしまう。
これだけの物語を88分におさめてしまう無駄のなさ。物語に弛緩がない。無用な語りや背景がほぼ描かれないこと、言葉ではない分は音楽が完璧に補っている。映像、音楽、物語が調和した映画のある種完成形と感じた。
音楽が奏でる不思議なラブストーリー
冷戦下の抑圧的な時代背景をモノクロで静かに静かにひたすら主人公2人の内側に情感を込めて丁寧に画かれています。今更ながらこういう時代背景ではこういう愛の表現も致し方ないのかなと思いました。2人の感情を吐露する手段は歌とピアノであり、うまく2人の心を代弁していましたね。
振れる時計の振り子が時間を止める
モノクロの映像が、より音楽を際立たせるているように感じる。
また、音楽の変遷やアレンジも興味深い。
ポーランド民俗音楽から、共産主義を鼓舞するような曲、シャンソン風アレンジ、ジャズ。
アメリカのジャズが奴隷として連れてこられた黒人音楽にルーツがあるとすれば、ユーロ・ジャズには、戦争や政治的分断で心が傷ついたり、ハートを隔てられた人たちの叫びが込められているのかと考えてしまった。
「振れる時計の振り子が時間を止める」
二人の間を行き交う心の振れは、二人の心をそれぞれ、どこか別の場所にとどめてしまう。
エンディングは悲しい。
二人の心の絆が強くなり二人の心を結びつけても、心の自由は行き場を無くしてしまったのだろうか。
吹く風が草を揺らすシーンが印象的だ。
そして、ゴルトベルク変奏曲が何か悲しみを後押しするようだ。
あまり好みではなかった
ストーリーや展開は面白いと感じなかったし、共感できる部分も少なかった。
音楽や音には聴き入った。ポーランド周辺の民俗音楽やらジャズなど、メロディーだけで魅せられる。
確かにモノクロ映像での美しさは際だっていたけれど、映像だけで惹かれることはなかった。
こういった愛の形もあるのかなと客観的には捉えられても、感情移入とまではいかない。時代背景の難しさなどが観賞する上で大きな障壁となっていたような気がする。
それにしても、最も強いはずの愛が、あまりつよく見えてこなかったのは、自分の理解が足りなかったからなのだろうか。
最後に思ったのは
90本目。
お偉いさんの付き合いで午前中がほぼ潰れ、かなりストレス、予定が狂うよ。
で観れる作品をと言う事で。
白黒映画ってポチョムキン以来?
ポチョムキンって白黒だったよな?
観づらいかと思ったら、そんな事なく新鮮。
翻弄されても結局は・・・。
文楽?日本人が好みそうな話なのか?
なんて最後に思ったりもで。
二人の永遠って刹那的なんだな。
49話のドラマを10枚の紙芝居で表現したような映画
監督は倍近い長さの映画を予定していたに違いない。
撮影まで、すべて終わっていたかもしれないが
大幅にカットされたかもしれない映画、観ている者は混乱するのと同時に
登場人物達の”葛藤”や歩んできた道のり等がほとんど描かれておらず誠に残念。
きっとある筈の3時間バージョンをぜひ魅せて欲しい。
観れば、きっと超高評価を与えるでしょう。
昔の白黒映画は黒が多いが
高性能カメラで撮影した白黒映画は白と灰色の世界で
音さえも有色と融合され、とてもきれいな世界感を創っていた。
撮影は上手く、カメラは多くのシーンでは動かずに安定しているのは
撮影への自信からであろう。構図等も良く考えられ成立していた。
しかし照明は力不足で、広い室内で多くの人間が散りばめられたシーンのいくつかでは
メインの人間(ここ以外の証明がおろそか)と周囲大勢への証明への気配り方が違い
その他大勢の人達がグレーでピントが甘く、背景の様に表現され
劇中劇のような違和感のある雰囲気になっていたのだ。
これは白黒映画として”狙った表現”で凄いと思ったが
他の似たようなシーンとも比較したら。。。
照明はどうも高性能カメラの力を見誤ったようだ。
内容的には「気の強い女に惚れると男は大変だ!」
人生を台無しにして、破滅すると
しみじみと思った。
「ROMA]とは違う正統派の白黒映画なので、見比べてみるといいだろう。
共産主義と社会主義を比べる為に「芳華」を観てもいいだろう。
恋も歌も映像も、全てが美しい映画
これはとても切ない映画だった
冷戦時代のポーランドで出会ったピアニストのヴィクトルと、歌手志望のズーラの愛の物語
この話は、監督のご両親の話が元になっているそう
そのヴィクトルとズーラは恋に落ちるが、その後、彼らには様々な困難が待ち受ける
その2人の姿を通して、冷戦下のポーランドの社会事情が見えてくる
東側の事情は、西側の国からしたら、よく理解できない部分があるけれど、彼らの恋を通して見ることで、より現実的に感じることができた
恋愛は多くの人にとって経験のある感情だからだ
彼らに感情移入して観ていると、ピアニスト志望のヴィクトルが音楽を求めて西側へ行くことも、そのヴィクトルに誘われて戸惑うズーラの気持ちも、愛するズーラのために命をかけるヴィクトルの気持ちも、とても理解できるのだ
民主主義の国に生まれていれば、そのまま一緒にいられた2人の恋も、国が違うだけで、複雑になり、命をかけるまでになってしまうなんて
そして、そんな2人の恋を演出する音楽がとても素晴らしい
その歌声は、過酷な時代に翻弄された恋を見事に表現して、心に突き刺さる
そして、映画を見終わった後も、しばらく耳に残り続けた
冷戦のことがよくわからないという人でも、彼らの恋を観ているだけで、当時のソ連がポーランドにかけていた圧力や、自由に恋愛することすら難しかった時代を感じとることができる
画面はモノクロだけど、色がないことを感じさせないぐらい、イキイキと輝いている
映像も、音楽も、彼らの恋も、その全てが美しい映画だった
タイトルなし
美しい歌声・曲が
今でも耳に残っています
.
冷戦下のポーランドで恋に落ちた二人
揺れ動く心は音楽を通して語られ
モノクロの映像が
美しく哀しさを表現していました
.
多くを語らないストーリーは .
観ているものの感覚を刺激
五感をフル活用しなければ
.
民族音楽・舞踊が新鮮
観賞後にはつい口ずさんでしまう
オヨヨ。。。🤭
俺はバカか?
音楽、音楽、音楽......そして音楽。
ポーランドと言えば、ソルボンヌ大学を首席で卒業し、女性で初めてノーベル賞を受賞した女性、マリー・キュリーを思い出す。彼女の自伝的映画「Madame Curie」は、マーヴィン・ルロイ監督、主演グリア・ガースンのゴールデンコンビの映画。日本ではキュリー夫人として知られているが、彼女の娘もノーベル賞を獲得している。世界初か....?日本の女性は、まだ誰も...。それも人をいじめることで忙しそうなのか?すみません、言い過ぎ!?
主人公のズーラ役のヨアンナ・クーリグは、画面からクラクフの学校で専門的にポピュラー音楽の声楽や演技パフォーマンスを習得したとなっているが、彼女の映画における15年間の移り変わりを監督は繊細に描き切っていて、評論家の方々からは、高い支持を受けているのだが、個人的に蒙昧なものにとっては、ヴィクトルとゾーイの関係が意味不明のものとなるほと、大人の世界を描いている。つまり、監督がシナリオの中で、余計なストーリーをそぎ落としているので、さらに分かりにくいものとなっている。同じポーランド映画では、ミステリアス・ファンタジー・ミュージカル映画「ゆれる人魚(2015)」のほうがわかりやすく、親しみを覚える。ややこしい恋愛映画が好きな方 向きかも知れない。
余談ではあるが、ポーランドではまだユダヤ人のゲットーが存在しているようで、映画産業がお盛んなのがわかるかも......。
amazon.comではプライムビデオで見ることが出来る。amazon studiosの作品は、すぐに観ることが出来るのが、このサイトのメリットと言える。
古びて色褪せた『ラ・ラ・ランド』
大戦後のポーランド。歌手志望のズーラは音楽学校のオーディションに参加、講師でピアニストのヴィクトルにその才能を気に入られて入学、やがて2人は愛し合うようになる。数年後公演先のベルリンでフランスに亡命しようと持ちかけたヴィクトルの提案にズーラは戸惑いながらも承諾する。一足先に待ち合わせ場所に向かったヴィクトルだったが待てど暮らせどズーラは現れず独りベルリンを去る。さらに数年後ジャズバーでピアノを弾くヴィクトルの前にズーラが現れる。なぜあの時待ち合わせ場所に来なかったのかとヴィクトルは詰め寄るが・・・。
全編モノクロかつ画面アスペクト比4:3とクラシカルな50's仕様。美しい歌と踊りを背景に冷戦下の政治情勢で終始憂いを纏った歌姫ゾーラと彼女に振り回されるヴィクトルの姿は、下卑た例えを承知で言うと色褪せた『ラ・ラ・ランド』。90分に満たない短い尺ながら、激しく燃え上がったかと思えば陰鬱な影を落としながら凍りつく感情の機微をエモーショナルに活写、聴いたこともない民謡からオールディーズまでバラエティに富んだサントラの選曲が映像に反して煌びやかでカラフル、いかにも欧州産な荘厳な風格を持った何処までももどかしい恋物語は鑑賞後の客席に豊かな余韻を残していました。
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