「放送禁止用語を、これほど言いまくる作品が出てきた理由。」ブラック・クランズマン お水汲み当番さんの映画レビュー(感想・評価)
放送禁止用語を、これほど言いまくる作品が出てきた理由。
クー・クラックス・クラン(KKK)という、黒人皆殺しを叫ぶ白人至上主義者の狂信団体に、電話口での口先三寸の演技によって、まんまと入会を認めさせてしまった黒人警察官が主人公です。
しかしさすがに黒人である本人が潜入するのは無理なので、ユダヤ人の同僚を身代わりに潜入させるのですが、実はKKKが黒人の次に敵視するのがユダヤ人なのです。
このあたりの事情は映画では触れていませんが、イエスキリストを処刑し、その死の責任を子々孫々まで負うことをユダヤ人たちが約束した……と、「キリスト教の聖書に書かれている」ことがユダヤ人敵視の原因だと言われます。
もちろんユダヤ人側は、そんな一方的な「異教徒からの言いがかり」を認めるはずもないのですが、「異教徒の聖書」におけるこの記述が原因になって2000年以上も迫害され続けてきたユダヤ人こそいい迷惑という構図ですね。
この潜入捜査に賭ける、黒人刑事とユダヤ人刑事の二人羽織のおかしさを狂言回しとしてストーリーが進みます。
黒人だからこそ、黒人に対する差別卑語を吐きまくることが堂々と許され、ユダヤ人だからこそユダヤ人に対するヘイト表現をバンバン叫び続けることも許されるという、なかなか考え抜かれた構図です。
映画で、ここまで放送禁止用語を言いまくる作品が許されるなんて、想像もできませんが、これこそが脚本の妙ってことなのでしょうか。
アカデミー賞の他の賞を獲れずに脚色賞が与えられたというのも、分かる気がします。
しかし私には、黒人の権利を主張する団体とKKKとが、相手こそ違え、同じことを主張しているのではないかと思えてなりませんでした。
もちろん、スパイク・リー監督のキャリアを見る限り、黒人側を批判するような作品を撮るはずがありません。
おそらく監督が訴えたかったのは、トランプ大統領の手法が、このKKKのスローガンそのものを使い、KKKのヘイト路線を踏まえていることの危険性の指摘だったのだろうと思います。
にもかかわらず、第三者である日本人の目には、憎悪に燃える双子のように、黒人も白人も、ともに相手方に対するヘイトを燃え上がらせていることについて、第三者にしか見えない問題点の存在を、深く考えさせられたのでした。
もちろん、異色の刑事ドラマとしても充分にシナリオは練られているので、問題意識がなくても充分に楽しめること請け合い。
しかも観終わった観客には、映画が提示した問題を一人一人咀嚼する努力を突きつけられる、重量級の作品だと言えると思います。