「タイトルに偽り無し」ドッグマン maruさんの映画レビュー(感想・評価)
タイトルに偽り無し
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一つの見方として、最後までだれかの“犬”だった“男”。
街の荒くれ者の“犬”として、小さな特殊なコミュニティで生きる術としてそれに従事する。
娘が喜ぶことだけを考える“犬”(良い意味で・和やかなジョーク的な意味合いもこめて)。
開店中は、動物の犬に、仕事の“犬”として献身的に尽くす。
街の荒くれ者を殺し、わざわざ仕留めた獲物を元仲間に知らせようとする様も“犬”のよう。
「ドッグマン」が意味するところは、そういうことなのかもしれない。
最後のシーン、不必要に長く感じた「主人公が辺りを見渡す様」は、主人(ついていくもの)を失った犬のような喪失感を匂わせる。そこで自分を見失ったというより、「最初から自分がなかった」ことに気づいて、頭のなかでぐるぐると否定と肯定が繰り返されるなかで(あれ?…)とただただ喪失感の権化のような人間がそこにたたずんでいる。
誰に向けたなんの映画だったのか。まったくわからない。「こんな世界がある」としか思えないが、異文化を感じられるとても貴重な映画だと思う。
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