バーフバリ 王の凱旋 完全版 : 映画評論・批評
2020年5月19日更新
2018年6月1日より新宿ピカデリーほかにてロードショー
※ここは「新作映画評論」のページですが、新型コロナウイルスの影響で新作映画の公開が激減してしまったため、「映画.com ALLTIME BEST」に選ばれた作品の映画評論を掲載しております。
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出し惜しみ一切ナシ! 映画の新たな可能性を示したエポックメイキングな傑作
この手の熱狂的信者を生む映画は、信者がその興奮を声高に叫ぶほどに、周囲は冷めた目でそれを聞き流し、やがて“マニアの享楽”と断じて遠ざけてしまうものだ。この映画と出会って2年以上が経った今でもその熱狂冷めやらず、数多の人々にこの映画をゴリ推ししてきたが、おそらく大半は暑苦しい主張に耳をふさいでしまっていたのではないか。例えば映画の冒頭、主人公たるアマレンドラ・バーフバリが巨象の暴走を止めんと颯爽と姿を表す登場シーンを、“ヘッサァーッ! ルドラッサ!”とテルグ語の歌詞を交えて大仰に説明すると、その熱量は聞き手に反比例して伝わるという具合だ。でも仕方ない。これはそういう映画なのだ。どのシーンを切り取って説明しても、熱を込めずにはいられない。愛がほとばしらずにはいられない。観る者をそんな状態にしてしまうことこそが、この映画が特別たる所以なのである。
じゃあ一体、何がそれほどまでに人を熱狂させるのか? 「理屈抜きで面白いから!」で済ませることもできるが、実のところその面白さは理屈によって成り立っている。まず、この映画は画作りがスゴイ。いわゆる名作にはハッと息を呑むような名シーンがあるものだが、この映画の場合、そんなキメシーンが5分に1回訪れる。5分に1回、画面全体がドヤ!と叫んでいる。また、主張が強い画の後ろで、これまた主張の強い音楽がこれでもかと鳴り響く。役者たちも最高にカッコいい顔を作る。
つまり何をいいたいのかというと、出し惜しみが一切ないということだ。映画を見慣れた映画ファンには、この怒涛の見せ場の連続が新鮮に、かつ信じられないものに映る。映画というものがいつの間にか作っていた枠のようなもの、例えば上映時間だったり情報量だったりの暗黙のルール的なものを、そんなの知るか! とばかりにブッ壊してみせる。ともすればカッコ悪く見えてしまう“やり過ぎ”というリスクもお構いなし。カッコいいものをカッコいいと叫んで何が悪い! 作り手の闘志が主人公の姿に重なり、観客は無意識のうちに映画に喝采を送る。これを理屈でやっている。
大げさでも何でもなく、「バーフバリ」二部作は映画の新たな可能性を示したエポックメイキングな作品として語り継がれることになるだろう。そして同時に、カッタッパ、シヴァガミ、バラーラデーヴァら愛すべきキャラクターたちも未来永劫、ファンの心のなかで生き続けるのだ。
(オスカーノユクエ)