「伝記映画ではなくパニック映画だった。それでも史実の改変は望まない。」イントゥ・ザ・スカイ 気球で未来を変えたふたり 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
伝記映画ではなくパニック映画だった。それでも史実の改変は望まない。
フェリシティ・ジョーンズとエディ・レッドメインの再共演作かつ実在の人物にインスパイアされた映画だとなれば「博士と彼女のセオリー」のイメージから正統派の伝記映画になるのかと思いきや、むしろこの映画はパニック映画としての趣が強かった。寧ろ近いのは「ゼロ・グラヴィティ」あたりなのではないか。
気球に乗った二人が最高到達地点を目指し、はるか上空でやって来る危機や困難をいかにして乗り越えていくかを視覚的かつ映像的な技巧を用いながら描いていく。そしてそれを観ているこちらも思わず息を呑んだりハラハラしたりなどしながら楽しむ、というこの感覚はとてもアトラクション的だ。私なんかは冒頭で気球が空に浮上し、アメリアが犬を放り投げて旅の始まりを告げるに至る開始20分で心を掴まれ、そのまま最後までアトラクション映画として楽しませてもらった。
気球の旅はどうしても視覚的に制限が生じてしまうはずだが、しかし空はその時々にまったく違う表情を見せ思いのほか表現が豊かだった。時に嵐、時に晴天、時には気流に乗って舞い上がってきた蝶の大群を見せたかと思えば、厳しい極寒を用意したり、綺麗な雪を散らしたり・・・という具合に「気球と空」という単調なはずの組み合わせが、シーンごとに多様に描かれたことにも感動する。実に綺麗で迫力のある映像。映画はメッセージやテーマを語るものであると同時に、普通では見ることのできない世界を垣間見るエンターテインメントでもあるだろう。そういう意味では、私がおそらく一生のうちに絶対に見ることのない景色を見て、経験しえないことを疑似体験できる映画だったなと思う。
アトラクション映画としては悪くないがドラマ性という点で考えると惜しい部分も多い。さすがに飛行シーンだけでは映画になりえないと思ってか、二人のそれぞれの回想シーンが挿入するされる形でドラマ性を付加しようと試みた様子がうかがえるが、正直あえて回想する必然性の在るシーンだったか?と振り返ればそこまでの説得力は感じなかった。邦題には「気球で未来を変えたふたり」という副題が付けられており、映画のクライマックスも偉業を成し遂げた二人を讃える形で幕が閉じたが、この気球での旅が未来を変えたのだ!という実感はこの映画からは感じにくい。回想シーンで補足すべきは寧ろこの点だったのではないか?という風にも思う。
更に気になるのは、アメリアのモデルになったヘンリー・コックスウェルをあえて女性に変えて主人公にしたこと。物語のテーマさえ変わらなければ登場人物の性別や人種はいっそ関係ないとも言えるが、何かそこに作為を感じて違和感がある。この映画は全編に亘ってステレオタイプな「性役割」を逆転させる形で成り立っていることは明らかで(例えば低酸素で倒れるのは男性であり、それを勇敢な行いで救出するのが女性、といった具合)、それは現代のジェンダー観を思えば寧ろ歓迎できる表現だと思うはずなのに、私は英雄的女性像を無理やり捏造しようとしたようなむず痒さを覚えてしまった。男性が成し遂げた偉業を奪い取る形で女性の手柄として描かれることを喜ぶつもりはないし、女性を主人公にするなら完全なフィクションとして構築し直すべきだ。彼女の名前が「アメリア」なのも作為的だし、ヘンリー・コックスウェルだけでなくアメリア・イアハートまでもコケにしているみたいでちょっと無神経だと思う。