「栄光と擦り切れた精神」ジュディ 虹の彼方に aMacleanさんの映画レビュー(感想・評価)
栄光と擦り切れた精神
エンターテイメントの世界で輝く人は、どこかバランスが取れなくなっておかしくなっていく。その世界のことはよくわからないけれど、映画になっているだけでもたくさんあり、現実にはそれ以上のニュースになって流れてくる。「ロケットマン」(エルトン・ジョン)、「ボヘミアン・ラプソディ」(フレディ・マーキュリー)、「ラブ&マーシー」(ブライアン・ウィルソン)などなどなど。
本作のジュディ・ガーランドもそのひとりであることが、改めて知らされる。子役時代から無理なスケジュールで仕事をさせられ、大人の都合で眠らないよう太らないよう薬を飲まされ、現在なら虐待となる環境で仕事を詰め込まれる。側から見ていると、サーカスの動物と大差ない。確かにそのおかげで、世に名が知れ、人々の喝采を浴びるが、それが本当に幸せにつながるかといえば、そうでもなさそうだ。グラミー賞出席の前日に亡くなったホイットニー・ヒューストンもそうだ。映画「ホイットニー」でも、薬への依存は当たり前のように描かれていたが、ショービジネスの世界の、心身を削ってアウトプットを出させ、そのために才能が失われるのは、そうしたエンタメを、消費する側として、とても居心地の悪さを感じる。
このような厳しい人生を送ったジュディを、レネー・ゼルウィガーが見事に演じ、アカデミー賞を獲得。彼女の人生の終盤、かつての煌きが薄れた、歳を重ねてきたエンターテイナーの不安と焦燥は、見ているだけで痛い。しかし、ひとたび舞台に上がれば、それまでの虚な目は輝きを取り戻し、しわがれた声は圧倒的な歌を紡ぎ出す。体に叩き込まれた芸が自然と周囲を魅了する。それが彼女の無理な芸能活動の産物とわかるので、歌が素晴らしければ素晴らしいほど、余計に悲しい。そんな擦り切れてしまった人生を、見事に表現したレネーの演技には、確かにオスカーの評価が値する。
英国に渡ったジュディをマネージャーとして、クールに見守るロザリン役のジェシー・バックリーも良かった。彼女の若さとクールな眼差しが、ジュディの歳や擦り切れ具合を際立たせて、ストーリーを落ち着かせていた。
ジュディの人生を象徴する形で締め括られるラストシーンは、ジーンときた。しばらくしたら、もう一度観てみたいと感じた作品だった。