「激動の世の中と魔女」サスペリア MASERATIさんの映画レビュー(感想・評価)
激動の世の中と魔女
ダリオ・アルジェントの名作「サスペリア」。今なおカルト的人気を誇る作品だが、本作もまた遠い未来でも語り継がれる名作となるだろう。
本作はリメイク版「サスペリア」だが、新たな視点で描かれた全くの別の作品に仕上がっている。オリジナル版の色調を豊かに表現し、芸術的な才能を見せつけられたあの描写の数々は本作においては再現されていなかったのは残念だったが、本作の表現したい本質はそこではない。
本編が150分というかなりの長さだが、それもそのはずだ。オリジナル版では語られなかった新たな背景を様々な視点で描いているからだ。本編が第一章から第六章で構成されているが、あっという間の150分だった。
物語のベースは同じだ。アメリカからやって来たスージーという女性が、ベルリンを拠点とする舞踏団へ入門する。直ぐに才能が認められ、主役に抜擢されるまでになる。その一方で建物内で不穏な現象や失踪事件が起こり…というオリジナル版とほとんど同じ展開で進んでいく…。
しかし、終盤に差し掛かるにつれて独自の方向性へ。ここまで挑戦的なリメイクは今まであっただろうか。賛否両論が巻き起こったのも言うまでもない。
本作の背景として、時代設定は1977年。
当時のベルリンは情勢が不安定であり、本作でもテロ関連の出来事が起こっている。
1977年と言えばオリジナル版の「サスペリア」の公開年でもあるが、当時は「ドイツ赤軍」の争いが激化し、当時の撮影隊も駅でのテロ攻撃に巻き込まれたらしいが、それらについてはダリオ・アルジェント監督は作品に重ねることはしなかった。
しかし、本作は明らかに主人公の入門した「マルコス・カンパニー」と「ドイツ赤軍」を比較して描いている。不穏な空気が漂うバレエ楽団の生活に、淡々と述べられるドイツ赤軍関連のニュースが響く描写が多く登場する。この二つが直接絡むことはないが、「マルコス・カンパニー」と「ドイツ赤軍」は同じ運命を辿っているものとして描かれているのではないだろうか。
両者とも共通していることは、「過去に巨大な力で押さえつけられた存在」というところだ。ここからは「サスペリア」にある程度の知識があるという呈で書き込むが、魔女は昔、病気の治療などで人々を救う、救世主的な存在であった。しかしキリスト教が浸透していくなか、魔女らの存在は疎まれるようになり、「魔女狩り」にまで発展してしまった。そういう背景があるからこそ、魔女は細々と暮らしていく様になった訳である。一方「ドイツ赤軍」も元々は第三帝国などにより押さえつけられて生活をしていた人々が、反帝国主義、反社会主義を元に立ち上がったものだ。いわゆる「平和」を求めての反乱である。
しかし、1977年のドイツ赤軍は、内乱が発生するなど崩壊寸前である。旅客機をハイジャックし、乗客を人質に政府に対して仲間の解放を求めたのだが、失敗に終わる。
ハイジャック犯は4人中3人が銃殺、獄中にいた仲間は敗北を悟ったのか自殺。その後ドイツ赤軍は自然消滅のような形になった。
「マルコス・カンパニー」はバレエ楽団
を唄った魔女の集団。バレエ楽団を率いるある魔女の「器(またの名を入れ物)」となる存在を探すことを目的としている。もはや双方ともに本来の存在の目的とはかけ離れた存在理由になってしまっている。
魔女らは「入れ物」探し、ドイツ赤軍は内乱。のにち双方とも何らかの形で終わりを遂げることになるのである。
元々の存在意義から逸脱した二つの組織は内部の変化によって失われていくのだ。
この様に本作はホラー映画という枠を大きく越えた、時代と文化を色濃く体現した、壮大な物語なのである。
これをリメイクと呼んで良いのかは置いておき、ホラー映画という表現が限られたジャンルに当時の実際の情勢などを取り入れるというあまりにも挑戦的過ぎる内容に脱帽である。オリジナル版には無かった要素を取り入れると邪魔に思えることもあるが、本作は上手く溶け込み、より深く魔女らの目的や理由を描いている。これは、ヘタなリメイク化への警鐘だろうか。
あまりにも深いテーマと描写の数々で
今後も論争が続きそうである。