止められるか、俺たちをのレビュー・感想・評価
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映画comで自身初DVDの感想
若松監督の井浦新がとても良かった
今まで観た井浦新のなかでは1番良かった
詳しくないが若松監督こんな感じの人で若松監督にかなり寄せた演技なのか
福ちゃん役の満島弟がキレるシーン良かった
ヌード多いがエロさが感じられなかった
パンツのせいもある
門脇麦もヌードになったがわかりにくかった
バカなので理屈はチンプンカンプンだが当時のエネルギーは感じた
反権力とか今どきダサいし左翼とか気持ち悪いし若松という人間は好きじゃないし共感できない
宮城県涌谷町出身なのでわりと地元に近いが親近感はわかない
大島渚監督役の高岡も嫌いな役者だ
だから劇場では観なかったが門脇麦はわりと好きなのでレンタルDVDで鑑賞した
津川雅彦は生前左翼が日本映画をダメにしたという意見を残したがそれも肯ける作品だ
やがて90年代邦画の低迷につながるのかもしれない
だが新聞記者の監督が若松孝二なら保守も称賛する傑作になっていたかもしれないとは思う
紅一点、吉澤めぐみの目線で語られる若松プロ
定着していたわけではなく皆結構出ていくのね。
撮影協力
ブラ bura
CREAM
クラクラ
ジャズバー新宿サムライ
Britishbar EORNA
ワイン&バーb-noir
鶏ジロー東中野店
喫茶コンパル
高崎市
小山町
比企
新宿ゴールデン街
新宿三光商店街
東映ラボテック
なるほど
面白い人たちが、面白い人たちを描く。いいものにならないわけがない。若松監督の作品で私がみたことのあるのはキャタピラー、千年の愉楽、水のないプール‥なるほど。やはりすごい人だ。他の作品も見たい!作品に関わったことのある役者が主要な役からちょい役まで出てくるのも愛を感じられてなんかいい。
この時代に生きてみたかった。性に対して、政治に対して、どんな風に考えていただろう。とにかくめぐみを含め、出てくる女性がかっこよくて。それもこの時代の象徴なんだろうなぁ。
映画作る側の人たち
興味深く観れました。
タイトルが格好いい!
鑑賞後、インタビュー記事と
皆さんのレビュー読んで、
なるほど! そゆこと!
勉強になりました。
めぐみさんの最後は悲しい。
昭和の街の色、匂い、空気を感じさせてくれる 皆んなが必死で何か夢中...
昭和の街の色、匂い、空気を感じさせてくれる
皆んなが必死で何か夢中になれる事を探していた
門脇麦ちゃんが演じた「めぐみさん」の焦燥感すごく分かる…いや、きっと分かっただろう…あの頃の私なら
時代の残り香
白石監督は映画で描かれてきた時代は生まれてないか物心もついていないん赤ん坊だけど、多分、師匠である若松監督や若松プロのスタッフの人たちを通して1960年代後半~1970年代という時代の残り香を嗅いだ最後の世代なんだと思う。
本作では(多分)予算も少ない中でその空気感みたいなものや、その時代に青春を送った色々面倒くさい若者たちの心情を汲み取りながら丁寧に描いていると思った。
熱量と女性と
1969年の日本社会の熱量の強さが現在とは全然違っていて、当時は映画やテレビも今とは比べ物にならないほど気持ちの入った作品が多かったのではないか?と感じました。と同時に全く熱がこもっていなくて作家性の弱い現在の日本映画界を揶揄している様にも感じました。若松監督に捧げる作品の主人公がめぐみであることは、ピンク映画からスタートした所謂女性が居ないと成り立たなかった若松プロであれば当然の事だと思います。めぐみやピンク女優を表舞台に出したことで、作品から女性に対する敬意を感じ取る事ができました。邦画は女性が勇ましく描かれる事が少ないと感じていたので、勇ましい女性を男性監督が製作したところが私としてはもっとも評価できるところです。
日本映画がまだまだ隆盛だった、1960年代後半から70年代前半の若松プロを凄い熱量で描いている作品。
日本映画が隆盛だった時代を熱量を持って描いている。
分厚いパンフレットは宝物になっている。
<2018年10月13日 鑑賞>
今を生きる、若者に観て欲しい
いやぁ・・・なんて言うか・・・形容する言葉がない。
僕からしたらこの映画は「良い」とか「素晴らしい」とかの範疇を超えていた。
いつも僕は、割と冷静な(悪く言えば冷めた)気持ちで映画を見るんだけれども・・・。
この映画では、そういった冷めた視点を全て忘れることができた。本当に久々。
撮影技術?脚本?役者?・・・技術を語ることには価値がないとさえ思った。むしろ語りたくない。
映画が面白かったかどうか?・・・どうでも良いんだよ。
僕は、この映画の「テーマ」の部分に強く共鳴してしまったのだ。だからこの感想は、極めて私的なポエムとなっているので、読む人はご了承を。
僕は社会のことを考えるのが好きなんだけれども、最近特に強く感じることは、日本人には「情念」が失われている、ということなんだ。
(日本人以外はどうなのか?はわからん。外国人の友達がいない)だってそうでしょう?今の時代、私の周りの人間は、損得勘定でしか動かない。自分だけは損をしたく無い、ということしか考えていない。「なんのために生きていますか?」と問われたとき、彼らにはその答えが無い。でも一生懸命に貯金だけはしている。なんで貯金するの?と聞けば、十中八九帰ってくる答えはこれだ。
「老後に必要な貯金は1000万年なんだぜ?」
「お金持ちになりたいから」
「・・・(無言のにやけ笑い)・・・」
「世界一周旅行したいから」
バカか?こいつらwww。バーカバーカ!
この映画には、強い情念を持っている日本人が描かれている。ぶっちゃけそれだけ。あのね、本当にそれだけ。
メッセージ性があまりにもどストレートであるため、観る人によっては違和感を抱くかもしれないが・・・、それで良い。むしろ違和感を感じろ。もしかすると、今の時代にはない「救い」を得られるかもしれない。
劇中、学生運動や、かつての赤軍事件を彷彿とさせるシーンが多々あるため、思想性の強い映画だと想う人がいるかもしれない。
・・・が、勘違いしてはいけない。
この映画で伝えたいことは「思想」では無く、「情念」だ。
若松監督自身、思想のある人物ではない(それを意図したシーンが、ちゃーんと入ってます、良く観てれば分かる)。彼には私的な情念と肉体があるだけ。
映画は私的なものなんだよ。だって、この世界を見る我々の視点も情念も、本当は私的なものでしょう?我々の肉体も私的なものでしょう?何を言っても、やっても良いじゃないか。正にそんな映画でした。
1970年代を生きた人にとって、この映画は、当時を懐かしむものなのかもしれない。
・・・今を生きる10代中盤から20代前半の多感な、できれば映画好きではない、一般的な人にこそ、観てもらいたい。
今とは全く異なる日本社会がそこには描かれている。先に述べた通り、それは本当の人間の「情念」が生きていた時代である。
誰にも止められない、俺たちを
昨年、3本の監督作を手掛けた白石和彌。
やはり最高作は『孤狼の血』だが、本作も非常に良かった!
描くのは、師・若松孝二。
若松孝二と言えば、日本映画界屈指の鬼才。
様々なバイトを転々とし、ヤクザの下っ端や刑務所にも入った事があるという異色の経歴の持ち主。
日本映画は全てクソ、警察など権力を心底嫌い、警察を殺したいから映画の世界に入ったとも。(デビュー作は警官殺しの映画)
性や暴力を通じて、常に社会や権力に対して刺激的・挑発的な作品を発表、当時の若者たちから熱狂的な支持を得る。
連合赤軍メンバーと親交もあり、2008年の『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』はキャリア最高傑作とも言える衝撃的な力作。
2012年に死去するまで、映画を武器に闘い続けた。
1965年に立ち上げた若松プロダクション。そこに集った若き映画人たち。
1969年、同プロに助監督として入った一人の女性・吉積めぐみの視点から描く。
自分は何者か、自分は何をしたいのか、日々悶々と模索していためぐみ。
知り合いを通じて若松プロに入り、若松孝二の助監督に就く。時には女性ながら、ピンク映画の助監督も。
とにかく気性の激しい若松孝二。激昂すると、「俺の視界から消えろ!」。
そんな若松にキツく振り回されながらも、元々映画好きという事もあって、活気に溢れていく。若松に影響受け、性格も若松化していく。
集った仲間たちも同じ。映画を通じて社会と抗い続け、訴え、自分自身を模索し続けていた。
ヒロインの成長とアイデンティティー、若者たちの映画と青春のグラフィティ、興味深い若松孝二と若松プロの知られざるエピソードが巧みに展開し、飽きさせない。
門脇麦がさすがの若手指折りの演技巧者!
自然体でありながら、時に大胆に、時に複雑な内面を繊細に。
彼女の代表作の一つになったとも言えよう。
他キャストには、若松孝二ゆかりの面々。
若松孝二を演じるのは、晩年の作品の常連でもあった井浦新。
若松孝二本人がどういう人物でどういう性格だったかよく知らないが、喋り方やクセなど、かなり近付けたのだろう。
若松孝二と共に映画を作った実在の人物、親交のあった著名な人物も登場。
再現される初期の作品やピンク映画の数々は、熱心な若松ファンなら堪らないだろう。
これらの作品を是非見てみたいが、ソフト化されてないのがほとんどで、見たくとも見れな~い!
主人公のめぐみも若松プロの実在の人物。
若松プロで発見された彼女が遺した助監督の記録が本作製作のきっかけだとか。
尺は30分程度のピンク映画ながら、遂にめぐみにも監督の話が。
何を作りたいか自問自答しながらも、若松孝二の下で学び培った経験を注ぎ、撮り上げる。
が、出来映えは…。
改めて知らされる、鬼才と凡人の才能の違い。
この頃若松孝二はパレスチナに赴き刺激を受け、より政治に傾倒していく。
若松プロも、映画か政治か、で分かれる。
めぐみも依然映画は好きで、若松孝二に刃を突き付けるような映画を作りたいという意欲はありながら、映画以外の道の事を…。
再び、模索し始める。
そんな時、関係を持ったカメラマンの青年の子を身籠り…。
何が決定的な原因だったのかは分からない。
自分は何者か、どんな映画を作りたいのか、答えを見出だせず、迷走したままだったのか。
無軌道な若者のこれが終着点だったのか。
映画を変える映画を作りたかったのに、結局自分もそんじょそこらの女たちと変わらぬ事に意気消沈したのか。
分からないままだろう。
しかしめぐみは、自ら命を絶ったのだ…。
映画作りに迸った熱気。
突然消えた灯火。
それでも彼らは映画を作り続けていく。
映画を通じて闘い続けていく。
止められるか、俺たちを。
誰にも止められない、俺たちを。
まるでその精神を受け継ぐかのように、映画を撮り続けている白石和彌。
去年3本、今年も3本。
その精力さには感嘆するが、傑作もあれば駄作も…。
一時期の園子温みたいにならなければいいが…。
それなりに面白かった
若松監督、1936年生まれ。自分より24歳年上。生きていれば82歳だ。
60年安保を14歳で、70年安保を24歳で迎えた背景。世の中は今より混沌雑然としていて、新宿を中心に、若者の行き場のないエネルギーが渦巻いていた頃とも聞く。
その中で「実録あさま山荘」をはじめ、評価される映画を撮り続けた監督を振り返り、その頃の1年を女性新人助監督を主人公にして駆け抜ける話。
自分も上記したように聞くだけなので、きっと時代の雰囲気が描けているのだろうと、本当かどうかわからないが感じた。
猥雑な中のエネルギー、ピンク映画つまり性の中に溢れる生きる力といった言われ方をする意味が、少しわかった気がする。
一方で、自分のひとつ前の世代であるこの代の感覚に、ついていけてないというか、共感を感じないのが自分。経験していないために、否定する意味ではなく、ふーん、よかったね、と醒めてしまう。
ただし、映画は全て、経験していないものを観て、疑似体験して感動共感するものなのだから、上で言ってることは何か変。
おそらく、その時代を経験し自分のこととして熱く語れる人たちが近く(少し上の世代の人たち)にいたので、「羨ましいけれど、自分たちはそれを体験できるわけではないから、醒めた感じで聞く」という姿勢になってしまっているのだろうな。
25歳くらいの若者に「オールウェイズ三丁目の夕陽 は、ノスタルジーばかりでちょっとイヤ」という声があるが、ある世代の郷愁とか自慢が前に出過ぎてしまうと、他の世代から見た時に、違和感や拒否反応が生まれてしまうものなのだろうか。(NHK番組「プロジェクトX」にも、同様の声を聞く。俺は、大好きなのだが)
そして、本作に対する俺の違和感は、やはり、自分に近い世代だが、自分が同じ経験をすることは絶対にできない世代に対して生まれてくる、やっかみ、隠れた拒否反応なのだろう。
否定的な感情を述べてきたけど、この映画は、本当にエネルギッシュで、俳優たちも躍動してるので、一度観ることをお勧めします。
知人曰く「古巣に対して、『なんか活動家の拠点みたいになっちまったなあ』と言わせる批判精神には好感もてるけれどな」とのこと。
チェ・ゲバラの顔が常に見守ってる。性と暴力そして革命
一番印象に残ってるのが、初監督を任された吉積めぐみ作品「浦島太郎?」が若松孝二監督に認められなかったときに見せた涙。最初はフーテンの自分を拾ってくれた若松プロで何気なく助監督を続けていためぐみだったが、自分の目標をやっと見つけたと思ったら、これだもん。ちょっとした青春の挫折感がいい具合に描かれていた。涙を見せるシーンは何ヵ所かあったのですが、男社会の紅一点という立場を乗り越える健気なところが素敵でした。
足立(山本浩司)からすれば、女を捨てたと思われていた吉積めぐみ(門脇麦)。しかし、映画製作にのめり込む過程で何かが変化していた。映画への情熱、大手とは違った湧き出るような創造力。ピンク映画中心ではあったが、それらはすべて資金のためであり、難解であるがため評判が良くなった若松プロ作品の奥底にある体制批判や、映画からにじみ出るエネルギーを皆が共有していたのだ。エロ目的で映画を観る人は所詮エロどまり。映画に隠されたテーマやメッセージはなかなか気づいてくれないもどかしさは現代にも通じていると思う。
時代背景からして、学生運動華やかなる時代。しかし、インターナショナルを歌わなかった若松孝二。彼は映画を通してのみ自らの思いを発する手段として使っていたことがわかる。同門の助監督たちはその意思をくみ取り、富士山を天皇と見立てたり、体制批判の精神だけは忘れなかった。しかし、助監督から監督へと道を進むにつれ、主人公めぐみの心は複雑に揺れていた。
カンヌ映画祭へと招待され、ついでにパレスチナの現状を撮ろうとする若松、足立。「パレッチナ」と発音するところが何ともユニーク。同時にその映像を映画化されてないのは、ハリウッドはユダヤ系が多いためだという現実も伝えられる。そこからは映画製作よりも活動拠点として赤バスを走らせるなど、政治的ニュアンスが強くなっていく。そんなときに思いがけない妊娠に気づいためぐみ。彼女が死を選んだ理由はよくわからなかったが、簡単には答えは見つからないような内容でした。
赤塚不二夫や大島渚といった著名人も顔を出し、三島由紀夫の自決シーンも大きな意味を持ってくる。死んでしまったらおしまいだけど、死ぬまでに何を残せるかという人間の背負った運命をも感じさせてくれた。
とてもよかった
3年我慢したら監督にしてやる、と希望を抱かせるところが憎い。そうは言ってもオレなら3年は無理な気がする。これこそ紛れもなく青春だ。団体行動を楽しんだり耐えられる根性があったらなあとつくづく思う。エンドロールで、ご本人登場で実物の写真を見せられたら泣いてしまった。まさか自殺なんてそりゃないよ、産めばいいのになあと思う。
何者になれない者
青春は難しい。何者かになりたくて、でもそれが何なのか分からなくて。
その青春の場に若松孝二が居たら。
名を知っている人間がバンバン登場する(そしてすごいダメ出しを食らったそうだ)実録青春ものは、抑制が効いている。爆発的なエナジーというか、盛り上がりはこの映画には正直、ない。そこにあるもの、あったことをひたすらに拾い繋げ、役者が生命を吹き込み蘇らせる。映画の中でも主人公のめぐみが言うが、どれだけ言葉を尽くしても映画のワンカットに敵わないのである。そういう意味で映画にすべき映画だったし、世に出て良かったなあと思う。
何者かになりたい主人公の叫びが伝わってきた。じーんとしてしまった。
井浦新は別の人になったみたいだった。というのは私はちゃんと若松孝二監督を見たことがないからだが、でもそこに確かに若松孝二というひとの存在を感じました。
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