「足跡」止められるか、俺たちを U-3153さんの映画レビュー(感想・評価)
足跡
昭和の監督なんて、役者以上にアクがないと務まらないのではないかと思ってた。
若松孝二監督も間違いなくその1人だし、本作品を観て、その中でも、他の誰とも異なる独自性があったのだと再確認。
「我流」という言葉が1番しっくりくるのではなかろうか。
おそらく若松組でしか通用しない常識が多々あったのだと思う。それは「流儀」と呼べるものかもしれない。
スタッフがエキストラを兼ねるなんて事はよくある話しだけど、台詞を喋ってアップカットまで押さえちゃう大胆さとか類を見ない。
どう考えてもメインキャストだろと思われる作品さえあった。
だが、そんな作品たちは、ちゃんと作品として評価され、後の作品へと続いていく。
どんな魔法を使っていたのだろうと思うのだが、本作品ではその魔法の片鱗が語られる。
勿論、若松監督の人となりにもスポットは当てられており、井浦氏は好演だった。
監督の仕草や口調…あんなに体型や顔つきも違うのに若松監督に見えてきてた。
てっきり「連赤」手前くらいまでは語られるのかと思ってたら、その随分前に幕は下りた。
映画を鑑賞している間、妙な空気感を感じてた。若松孝二を白石監督は描いてる。
その描き方が、撮影の裏側にまで及んでたのではなかろうかと。
ご自身の撮影の仕方よりは、若松監督ならばこうやってたんではないのか、という観念。
それは例えば、20時以降にならないと弁当を出さないとか、時代考証を重要視しないとかを、わざとやっていたのではないかと。
白石組は、ずっと若松監督と共にあり、その流儀までをも刻みこもうとしてたかのようであった。
ラストカット。
次の作品の話しを切り出す監督。
カメラは微妙なウネリを感じさせながらトラックバックしていく。
次第に遠のいていく監督の声。
ブラックアウトした時に、もう動かない時間を感じたりもした。
ずっと「人」だけを見てらしたんだと思う。
誰に対しても先入観で相対しはしなかったのではないだろうかと。
今でも監督の言葉は胸に残ってる。
監督の言葉は心の深いとこに留まってる。
故に、その作品が刺さるのは当然の結果ではなかろうかとも思う。
今でも、やっぱり残念だけど、故人のご冥福ををお祈りいたします。