チワワちゃんのレビュー・感想・評価
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煌びやかな虚無
なぜか「偉大なるギャツビー」の直後に見てしまった。別にパーティー映画好きじゃないです笑
原作である岡崎京子の作品がそうであるように、作品を囲む手触りが重要で、逆にいえば他は特に重要視しなくていい映画だと感じましたね。あーチワワちゃんかわいいなぁ、輝いてんなぁ、キラキラしてんなぁ。映像キレイだなぁ。楽しそうだなぁ。なんか虚しいなぁ。
例えばそこからプロットが奇跡的な展開を見せて驚いたりとか、すごく示唆深い見せ場や名セリフがあったりとか、そう言うことじゃないんだと思います。若い子達が若さに任せて遊んでて、でもそんなことはいつまでも続かなくて、キレイで、虚しくて。それを、ある一視点から描き切ったと言うことに、この映画の価値があるんだと思います。
MVみたいな映画、いいじゃないですか。キレイで楽しかったですよ。ちゃんと虚しかったし。若いっていいよなー(小並感)
青春がそこにあった…
2022.53本目
最初から最後まで、とにかく青春がつまってる!
キラキラした絵とチワワに、目が釘付けになった!
どんな人だって、表に出ている部分はほんの1部に過ぎない。友達やメディアがチワワについて、あーでもないこーでもないと考察したり本当のチワワを探そうとしても、本当のチワワはチワワにしかわからないよね
(チワワにだって、本当の自分なんて分からないかも)
私は、友達や家族や恋人には話せないヤバいことが沢山あるので、チワワのように急に死んでしまって色んな人に話を聞きに回られたり家宅捜索なんてされてしまったら「この人の本当の顔は…!?」と絶対になるのだろうなって思った笑
最後、一人一人が本名と出身地を言っていくのが、ペルソナを剥がして本人として向き合ってくれているような気がしてとてもよかった。
ちょこちょこ、ダンスパートがあったり、寸劇パートがあったり、面白い演出あって、私は楽しかった!
演者、みんなめっちゃくちゃ良かった!!
成田凌はいつも通り、クズ男役がこれでもかってくらいハマる…!笑 安定の成田凌!
最後の方のシーン、虚無感がすごかったのと同時に、ちゃんとチワワを愛してたんだろうなっていうのが伝わってきた。
玉城ティナ、チワワとのキスシーンめちゃくちゃ可愛い…!泣き顔の崩れ方がとてもよかった。
あと個人的に、長井くんめちゃくちゃ好き!!笑
「この楽しい時間が続くって思った時が、もうみんなで集まらないってことの予兆なんだよ」
55点
ちょっと前半でダレる
たとえば
高校3年間同じクラスで家も近かった誰かより
本名や出身もよく知らないけど
クラブやイベントで何度か遊んだ子の記憶が忘れられないって良い歳になるとあるんだよね
90年代後半 カルチャーのど真ん中にいた原作コミックを描いた岡崎京子はそういう
か細いようで深く残る人との関わりを繊細に描ける人だった。
今作は原作から四半世紀過ぎているにも関わらず
若者の一時のはじけるような脆さと輝きは昔も今も変わらないと
教えてくれる。
前半はとにかくハジける若者達撮ったミュージック・ビデオを
何本も続けてみせられてるかのようで
んーーオシャレなんだろうけど映画なの??
という作り
後半に向けて人間くささがでてきて
ラストの埠頭のシーンは何年も前に読んだコミックまんまの作りで監督が原作の空気感を大切にしていて
良かった。
若い役者さんにダメ出しはしたくないけど
チワワちゃんを演じるには彼女は
カリスマ性がたりなかったかなぁ。キュートだけど。
脇役の玉城ティナをなぜチワワちゃんにしなかったのか疑問。。。
59点
うん
「友達がバラバラ死体になって見つかる」という衝撃的な出来事があったからこそまた集まっただけで、本当は誰も悲しくない。なんとなく一緒につるんでた程度の友達が死んだぐらいで、偲ぶために集まろうってなったり、泣いたりすること自体がもうすでに偽善的で上辺だけ。
お金や暇があって調子いいときは集まって楽しんで仲間ウェーイ↑ってなるのに、仲間内のカップルが別れたりメンバー内の序列が変わったり、ちょっとしたことであっけなく集まらなくなる。
若者の孤独や寂しさ。若いんだから何でもできるし何者にでもなれると思っていたのに現実にぶつかってしまったときのやるせなさ。嫉妬したり嘘ついたり傷ついたりしても何も無いフリして、そこまで仲良くもないのになんとなくつるんでしまうかんじ。
特に女の子同士の上辺っぽさが良かったかなあ。1番泣いていたユミちゃんが実は結構えげつない仕打ちをチワワにしていたりとか。好きな人を盗られたミキがチワワの死に1番影響されていたりとか。
死に方があえてバラバラ死体なのは、自殺ではないよって強調するための意図なのかな。メンヘラだから自殺と思われてもおかしくなさそうやし。おそらく最後の方につるんでたヤのつく職業の人に消されたんだろうなあ
陰キャラの僕もこいつらの青春は好きだよ
スキスキ大スキチョー愛してる!
チワワちゃんが死んだ。
東京湾バラバラ殺人事件の被害者として。
突然現れ、私たちに爪痕を残して消えていった彼女。
遊んだり、お喋りしたり、キスしたり、セックスしたりした。
それなのに私たちは、チワワちゃんの本名すら知らなかった。
チワワちゃんの追悼記事の取材を受けたミキが、チワワちゃんと関わりのあった、かつての友人や恋人に話を聞いていく中で、それぞれの中に違ったチワワ像があることに気付いていく。
チワワちゃんが何者だったのかは分からない。
でも彼女は、社会の中での若者の立ち位置の具現化であり、搾取される女性の象徴であり。
嫉妬、憧れ、憎しみ、恋、友情、友情を超えた愛。
それぞれファインダー越しに違って見えるチワワちゃんも結局は1人の女の子であった。
知人の死という非日常的な事件を通し、高揚感と悲壮感が漂い、彼ら彼女らが抱える行き場のない感情がパリピ状態のあの場で爆発している。
キスするチワワと吉田を取り巻くような構図も印象的だった。
事件に対する世間の意見や憶測と当事者の知る現実については、センセーショナルなニュースを見るたびに考えてしまうこと。
「若い」と言われるのは、若くなくなるから。
10年後どうしていたいか?
夢があったり、なかったり、同世代の自分に痛いほど刺さる若者視点の若者映画。
陰キャでもムカつかない陽キャだったのも好印象。
今回も二宮健ワールド全開。
極彩色の映像と音楽で描き出す若者の青春。
リミスリとセットで観たい。
好きな人は好きだろうし、嫌いな人は数分で耐えられないと思うけれど、個人的には大好き。ずっと観ていられる。
チワワちゃん役の吉田志織をはじめ、充実のキャスティング。
門脇麦の自然な芝居も、成田凌の安定感も、玉城ティナの美しさと涙も、村上虹郎の良いやつ役も、松本穂香の数分の破壊力も全部良かったけれど、結局、浅野忠信が掻っ攫っていった。
「あんまりうるさいと君の首根っこへし折っちゃうぞ」
カ:男とはすぐ価値観が共有できて、女とはすぐに距離感が共有できる。
チ:女の子は気を使うから疲れて、男の子はラクだけど消耗する。
また観たい。
現代を生きる若者、乱暴なカテゴライズ。
死んだ彼女を追う過程で、現代の東京に生きる若者たちと社会を描く。じゃあ、この映画を観る様な人たちがそういったテーマの映画を見せられて溜飲を下げるかって話です。50年後に観ても、「ああいつの時代の若者も変わらないな」となるのじゃないでしょうか。みんな分かっている様なつまらない現実を如何にもこれが社会のリアル、みたいな描き方で見せられるので、少し冷めました。抽象的なシーンが多すぎて、入り込み難かったです。パーティーシーンはあまりに夢想的でしつこく感じました。
演技は皆さん素晴らしく、非常に見応えがありました。特にチワワちゃん役の吉田さんは素晴らしい!軽薄そうに見えながらも捉え所のない可愛い女の子を完璧に演じていました。
ハズレもハズレ。拾ったエロ本がクズだった時みたいな。
映画館に足を運んで観た映画の中では間違いなく今まででのワーストワンの評価です。
VOD無料で観ていても「金はタダだからいい。しかし時間を返せ!」と思っていたでしょうね。
ってか、絶対に観るのを途中で放棄していたはず。
拾ったエロ本がクズだった時のしょうもなさに通じるところがありますかね( ̄▽ ̄;)
山無し、オチなし、意味なし、徹底したのんべんだらりのヤオイ展開。
それだけならまだ快適なシートで眠れるの。ポップコーンぽろぽろこぼしながら。
ところがバカ者の描写がいちいち癪に触って不快なの。眠ることすら許してくれないの。これが。
今時の若者のバカさだけを描きたかったの?そうとしか思えないのよ。観終えた後で思うことは。
フライヤーが二種類ある映画でコレはないでしょ。これは。
青春の自爆テロ
初鑑賞
原作未読
監督は『とんかつDJアゲ太郎』の二宮健
カラフルでポップでちょっぴりエロティック
桜井亜美と蜷川実花を足して割ったような世界観
お洒落な写真集のような映画
群像劇
主演は門脇麦のようだがチワワ中心に話が進んでいく
門脇麦はいわば狂言回しみたいなものだ
邦画ファンとしては豪華な若手俳優陣
他にジャーナリスト役で栗山千明
カメラマン役に浅野忠信
最後の方で松本穂香
冒頭辺りからタイトルにもなっている吉田志織演じるチワワがバラバラ死体で発見されるニュースが流れる
R15だがエグい画像無し
結局犯人は誰かわからない
それはこの作品では重要なことではない
クラブで連んでいる若い男女グループが半グレっぽい連中からヤバいカネを強奪しみんなで旅行に行って3日で600万使い切ったりする
ヤフコメで毎日偽善的な書き込みをしている保守的で貧乏くさいおじさんおばさんには全く向いていない作品
ワイドショーの評論家みたいなことは語りたくない
門脇麦の表情と吉田志織の過剰な胸を楽しもう
わりとレンタルビデオ屋さんでは置いてない店が多い気がする
それを思うと動画配信は助かる
便利な世の中になったものだ
エンドロールも小粋で楽しめる
あと岩手に玉城ティナみたいなコはいない!
若くて虚しい
ミュージックビデオのような映画
もちろん褒め言葉です。最高でした。
さすが岡崎京子原作だけあって、若者の空洞が描かれているのですが、演出の小気味良いテンポが脚本とマッチしていました。
あの頃。まるで音楽に合わせて踊るようだった時間。楽しかったのはちょうどその一曲くらいの長さ。一曲が終われば次の一曲を。
チワワちゃんを通して可視化されていく人と人との距離。カツオが言っていた、男とは価値観が共有できて、女とは距離感を共有できるということ。友達との距離、社会との距離、世界との距離。チワワちゃんが言っていた、男の子といるのは楽だけど消耗するということ。消耗していく人間関係。
人によって異なるチワワちゃんの人間像。全部がチワワちゃんであって、ぜんぶがチワワちゃんでない。それはチワワちゃんだけじゃない、私たちもみんなそう。辻褄なんてなかった年頃。
男とか女とか関係なくて一緒くた、でもそれって男とか女とかがあるから存在する一緒くたの状態、反発しあうことが溶け合うことになる。矛盾と共存すること。
小さな花の集合体だったわたしたち、一人ぼっちなのに、一人きりじゃ生きていけなくて、惰性や本能で群れたり離れたり、互いを愛しく感じたり絶望したり。それでもラストシーンで大きな花の花束を海に捧げたのは、わたしたちの願望だったのかも。
ひとつのミュージックビデオみたいだった青春時代。内在するすべてが、外側だけの華やかさとして顕現した、(人によっては)『エモい』と思わせる作品でした。
成田凌のベロチューが最高っ!
チワワに魅力を感じない馬鹿だからよくワカンねぇや💦
バラバラ殺人被害者チワワちゃんとその若き遊び仲間の話。
素性も分からぬまま仲間になり、盗んだ金で豪遊し、やりたい放題。自分らを自爆テロと称して600万を3日で使い切り、仲間達は開放的に。
その後もチワワに魅せられる人間模様。
何故か惹かれる彼女と過ごした仲間達。
死んだ後、チワワの事の素性を知らなかったミキの前には、忘れつつあるもチワワの影響が残っていた仲間達。
魅力で影響力をもたらす人間は直接的でもメディアの様な間接的でも存在する。
「チワワが死んだ」と言う期間限定を設けて、仲間達がまだまだ若者ながら、取り戻す事の出来ない限定的な仲間内の青春の1ページ的ノスタルジアを彷彿させる作りをしている。
物語構成的には悪くないのだが、この作品の良し悪しは「影響をもたらす人間=チワワ」が観る側に対して魅力的に映るか映らないかがかなり影響されると思う。
しかも万人向けだから難しいよね。
私には(仲間的立場ならば)チワワは魅力的には映らず、仲間内の話なんだなぐらいしか思えなかった。
こう言う限定的な狭い話も良いのだけれども、「こんな豪華若手俳優陣を主軸の周りで使う程の構成話か?」と考えると否。
逆に主軸であるチワワの印象(魅力)が薄れるのだ。
もっと輝くチワワの魅力が欲しかった。
「チワワより門脇麦や玉城ティナの方が魅力的だったな。私なら(あんな大胆な演技は出来ないと思うけど)ちょっと袖の間から背中をチラ観させてくれた玉城ティナとチェンジ‼️」と考えちゃう訳です。(馬鹿)
もっとポップだと思う
放恣で淫奔な女性を狂言回しとする、ポップな述懐です。
『チワワちゃんはあたし達とあそんだりおしゃべりしたりなやみをうちあけたりバカ話をしたりしたきすしたりセックスしたり恋をしたり憎んだりした人もいた』(原作より)
死を悼む話というより、何がしたいのかわからない破天荒な子がいて、彼女に対するそれぞれの思い出がある、という話です。チワワは気分屋で非倫理的で破滅的で刹那的な子だったのですが、忘れ得ない「人たらし」だったことを、みんなが懐かしがっています。
原作はスピンオフのようにも感じられる小品でした。
自堕落は好意的に言えばマイクリーのネイキッドのような映画になる可能性もありますが、勝手に生きる好ましいとは言えない人を撮って好ましい映画にしてしまうなんて芸当、おいそれとできることではありません。それを乗り切るため、プロモーションビデオ風に、きらびやかな頽廃を挿入していますが、いずれにしても類型的で、どこかで見たような放縦な若者たちだと思います。
ただしこれは岡崎京子です。
岡崎京子の漫画は、アンニュイな目ぢからのある女性像が、ファッションアイコンとして、激しく業界ウケしました。編集者やフォトグラファーや映像作家やミュージシャンや文筆家が、岡崎京子の女性像をそれぞれの方法で使ったり語ったりしました。そこへ、ご当人の事故があり、新作が拝めないという事態になります。で、レジェンドになったのです。
ポップでエキセントリックで頽廃的な岡崎京子の漫画は誰もが認めるものですが、レジェンド扱いになったことで業界人がそれに「解る人には解る」みたいな精神性/権威性を、纏わり付かせてしまった、という気がするのです。
つまり映像化したとき「神格岡崎京子」の雰囲気が介入してくるのです。「おまえらに解るかよ、この世界観?」が介入してくるのです。それはヘルターはもちろん、リバーズでも感じました。
ただ本作はそれら前二作よりずっと、シンプルでまともでした。しかし根本的に、岡崎京子の映像化とは、元来映像を持っている岡崎京子に映像を付けようとすることの矛盾だと思うのです。
何も新しくない時代の表現とは
今時の言葉で言ってしまうと 音楽色合いも物語ひとつとっても とてつ...
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