「『私達の青春の自爆テロ』」チワワちゃん いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
『私達の青春の自爆テロ』
観ていて何かに似ているとずーっと感じていたが、何のことはない以前上映の『リミット・オブ・スリーピング ビューティ』を撮った監督である。そりゃあの映像効果や編集そのままで、或る意味“ルック”が同じな訳である。原作が岡崎京子ということで益々親和性が強くなったと思う。
で、評価はというと、何一つも響いてこない、本当に空虚な作品である。多分、それを狙っているのだろうし、そもそも原作者自体の冷静でシニカルな目線での馬鹿騒ぎを俯瞰で観る世界を語る話なのだろうから当然なのかもしれない。原作未読なので映画との相違は不明だが、やはり同じ原作者でも『リバーズエッジ』の方が断然深みが感じられる。
“新しく仲間になった華がある女の子を寄ってたかって食い物にする”といっては語弊があるし、本人自身の性格も影響があるから被害者でもない。嫉妬、羨望、裏切り等々、まぁ若い頃というか人間として生きていれば、しかもあれだけの親密なサークルがあるならば、それだけその負の側面も大きいだろうと容易に想像につく関係性である。勿論、平成8年から平成31年に時代を変えているのだからああいう“パーリーピーポー”、“リア充”なんてものを過剰に演出させて、水着で騒ぐ映像は華やかさ、馬鹿馬鹿しさ、若者ならではの堕落さが、スタイリッシュな映像効果で見せるのは今風だ。で、結局それ以上の観客への訴求がなんなのかが汲み取れない。それは、門脇麦を以てしてもかなり過酷だ。
では、テーマはなんなのか?軽い青春の懺悔なのか、それとも、今後事務所が売り出したい新進気鋭の俳優達の顔見世興行なのか、それは誰にも分らない、空を掴む話なのである。
いずれにせよ、水着なんていうサービスは地上波でも出来るのだから、片っ端から出演者は“脱げ!!”と訴えたい。スクリーンに叫びたいのはそれだけである。
追伸:映像演出で、スマホが掛かってきた時やラインがあったときに、人物の横に寄り添うにように同じ大きさで画面が現われ、階段を下る際も人間と同じような動きで降りていくというシーンは、今後のドラマでの演出として非常に斬新さを感じ、多分これが一番リアリティを感じられて、尚且つスマホ画面も鮮明に見える方法であると感心したことを付け加えておく。