「ドストエフスキー的運命論のような衝撃作」影踏み りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
ドストエフスキー的運命論のような衝撃作
痕跡を残さないベテラン忍び込み窃盗・真壁修一(山崎まさよし)。
ある日侵入した地方議員稲村家で、妻・葉子(中村ゆり)による自宅放火の現場に出くわしてしまう。
放火は直前で食い止めたが、まもなく駆けつけた警察官によって修一は逮捕されてしまう。
逮捕したのは彼の幼馴染の吉川聡介(竹原ピストル)。
それから2年。
出所した修一は聡介のもとに挨拶に訪れるが、聡介はその夜、何者かによって殺されてしまう・・・
といったところから始まる物語は、犯罪ミステリーのはじまりとしては定石ともいえる。
聡介の死を解明しようと修一は周辺に探りを入れるが、どうやら2年前の逮捕の際の放火未遂事件の妻・葉子が関係している・・・
長々とあらすじを書いても仕方がないのだが、定番の犯罪ミステリーだと思って観ているとさにあらず、先に書いた事件は中盤あたりで真犯人は明らかになる。
というか、事件の絵姿は前半あたりであっさりわかってしまうのだ(とはいっても、当然のことながら、真犯人はわからないが)。
でビックリ仰天なのは、タイトル『影踏み』が指す「影」の意味。
これは、本当にびっくりだ(とはいっても、はははーん、と途中で気づくが)。
この第一の驚きがあって、聡介殺しの意外性があって、これで事件解決、映画はオシマイ・・・ということにはならず、さらにもう一つのビックリがある。
第一のビックリの延長線上といってもいいが、普通、こんなミステリーは小説でも映画でもあり得ない。
いつものりゃんひさだったら、噴飯もの(そんなアホなと笑い出す)か、憤激もの(観客を舐めてんのかと怒り出す)かのどちらか。
なのだが、なぜか、このふたつのビックリがベテラン篠原哲雄監督の手腕によって、まるで別物に昇華していく。
大げさになるかもしれないが、ドストエフスキー的な運命論、遺伝子の二重らせんの運命論的な様相となってくるのだ。
ホンマか? ホンマです。嘘やないです。信じてください。
運命からは逃れられへんのです・・・いやいや、逃れられへん運命なんてないんです・・・
と、いきなり大阪弁になるぐらいの衝撃作。
ネタバレしないように注意したけれども、これはこれで結構なネタバレでしょうねぇ。
評価は大奮発です。