「光と影は背中合わせ 兄弟はとなり合わせ」影踏み 野々原 ポコタさんの映画レビュー(感想・評価)
光と影は背中合わせ 兄弟はとなり合わせ
子供の頃の『影踏み』遊びを思い出してる
追いかけても 決して掴めない物
まるで蜃気楼 だけど僕は気付いてる
本当は手にしたくなんか無いんだよ
ずっと追いかけていたいんだよ
もっと胸を焦がしてよ 死ぬまで走り続けたいんだよ
流れ流れて明日は東へ 出会いと別れを繰り返して
光と陰を股にかけて 泣き笑いを行ったりきたり
そうだよ 大丈夫 大丈夫 皆同じだよ
上手くいかない時は誰にでもあるよ
そんな光
日が沈みまた昇るように 花が散りまた咲くみたいに
全てはめぐりめぐって 全てがほら元通り
もし生まれ変わったらなんて 二度と言わないで
今君は日陰の中にいるだけ ただそれだけ
amazarashi / 光、再考 より抜粋
よくSFモノで、
自分の遺伝子から生まれた〈クローン〉と対峙する主人公…
みたいな作品、ありますよね?
そんな作品をみるとわたしは内心ツッコミを入れます!
遺伝子の〈先天的〉な因子は同じでも
環境上の〈後天的〉な要因で差違は生じ
別の固体種として判別される事が多い… という
環境生物学のざっくりとした考え方があるからです!
わたしの専攻は遺伝子工学でしたので
あまり詳しくないのであしからず。
そんな理論や理屈より、
よっぽど同じ環境で育った“一卵性双生児”のほうが
実際近しい存在ではないでしょうか?
だが家族となると近しい反面、互いを意識してしまって
ときに兄弟・姉妹の関係をより厄介なものにしてしまう
可能性を秘めている。かも知れない…
双子の兄弟を表裏一体、運命共同体のように語るのは
昔からよくある題材です。
相互作用して好ましい関係を築く双子。
意識しすぎて劣等・嫌悪にとらわれギスギスとした双子。
そんな時期を幾度と繰り返し、
双子は切っても切れない縁を結んだまま生きていく…
わたしの想像だけど、想像じゃない部分もある。
わたしの同級生で幼なじみの双子の兄弟がいます。
いや、いました…
ひとりは若くして事故で亡くなってしまったからです。
残されたもうひとりは、「ふたり分の人生を歩む」
使命を感じてしまったかもしれません。
周りにいた他人のわたしでさえ
そう感じずにはいられないほど
痛々しい様子だったのを、思い出しました。
必ずしもすべての双子がそうだとは言いませんが
本作『影踏み』では
そんな兄弟のきずなの強さを描いた作品。
わたしにとって感慨深い作品となりました。
山崎まさよしさん主演、篠原哲雄監督作品
という情報だけでわたしは観賞に臨みました。
最初の人物紹介のくだりで
なんだか飲み込めづらさを感じました。
それは北村匠海さん演じる啓二の存在があったからです。
啓二は何者で、修一がなぜ今の自分に流れ着いたのか?
その描きかた。このルック、作品にまとう雰囲気…
たしかにわたしの知ってる篠原監督だなと思いました。
謎が明かされた先に、兄弟のきずなの強さ。
さらに一歩踏み込んで邂逅して幕を引く感じが
余韻を持続させたのか?
わたしが幼い頃の友人の顔を思い出したからなのか?
「ワンコさん」 コメント、ありがとうございます。
『半落ち』『クライマーズハイ』『64ロクヨン』の映画作品はみたのですが、
横山秀夫さんの著書は読んだことがありませんでしたね。
おすすめして頂いたので、近いうちに読んでみようと思います。
映画を観て受けた印象と、原作を読んだときの印象とを、
比べる楽しみもありますもんね!
そして、原作を読むことで
友人に、今のわたしができるせめてもの手向けになるかな?