「権力闘争のおぞましさ」スターリンの葬送狂騒曲 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
権力闘争のおぞましさ
スターリンと言えば、独裁者ということと、ポツダム会談で米英の首脳と並んで写る写真のイメージであった。彼の独裁が実際にどのようであったのか、この映画を観て、制作者の意図と共に理解した。
その制作者の意図というのは、ソビエト社会主義共和国連邦という国が、腐った土台の上に成り立った腐った国家であるという風に描こうとするものである。そしてそれはソ連だけにとどまらない。映画がロシア語ではなく全編英語の台詞になっていることがその証である。つまり権力闘争というものは醜いものである、それはソ連だけでなく英語を話す国においても決して例外ではないということを表現しようとしたのではないかと思う。そしてその意図はかなり成功していると言っていい。
フルシチョフは英雄視されていた大統領JFKのキューバ危機のときの交渉相手であり、強面で強かな政治家だ。キューバ危機を回避できたのは、若さで突っ走るJFKよりも、フルシチョフの老獪さによることが大きい。その老獪さはソ連の政治局内での権力闘争で身に着けたものだ。思えばキューバ危機は全体主義者同士の争いでもあった。
権力は必ず腐敗する。そして内政を安定させるために国外に敵を想定する。国家と国民の敵を他国に決めつければ、国家存亡の危機を煽り、一丸となって戦う全体主義の雰囲気を醸し出すことができ、そして権力者としての地位を維持できる。どこの権力者もやることは同じだ。アベシンゾウももちろん例外ではない。
本作品は権力闘争に勝とうとする人間たちのおぞましさ、浅ましさを描いた映画で、時には暴力も厭わない彼らの姿に身の毛がよだつほどだ。そんなソ連でも良識と良心の持ち主はいて、そのひとりである勇気あるピアニストをオルガ・キュリレンコが美しく演じていた。掃き溜めに鶴のたとえがふさわしい、場違いな美しさが男たちの醜さを際立たせる。相変わらず見事な演技であった。