「I feel pretty.を自分の言葉にしたい。」アイ・フィール・プリティ! 人生最高のハプニング だいずさんの映画レビュー(感想・評価)
I feel pretty.を自分の言葉にしたい。
他人の評価は無視して、そのままの自分を愛すること。
多分それがしあわせの秘訣ではないか。
数年前より、そのように思っています。
が、これまで他人の評価が自分の価値を決めると思っていました。
実際に他人にけなされることで、わたしは自分に価値がないと思い込んできました。
特に、女性として。
頭がよいとか、空気を読んでそつなく動けるとか、リーダーシップも取れるし、サポートもできるとか、仕事ができるとか、気が利くとか、ジェンダーから遠い部分では、割と評価されてきました(多分)。
ただ、顔の美しさ、スタイルの良さ、男を立てる従順さ、他人の世話が大好きで、特に料理をふるまいたがる家庭的な性質、という点では、評価が低く、評価をあげようと努めましたが、挫折しました。
特に「男を立てる」のがやりたくなくて、承服できなくて、我慢できなくて、所謂女子力強化系の努力はやめるに至りました。
努力をやめたはいいが、欲望は残るわけです。
女のとしての充足感への渇望。消えてはいません。
だけど既存の価値観では自分は疲弊するし、どんな相手も魅力的に見えないし…
そうして、さまよっていたらば、自分を愛しなさいとの声が聞こえてきました(スピリチュアル系ではありません)。そういうアプローチが、耳に届くようになった、ということです。
自分に関係ないと思って聞き飛ばしていたことが、時期を迎えて腑に落ちるという感じが、実際と近いです。
そっか、そうなんだ、そのほうが心地よく生きられる、よしそっちで頑張ろうと、思って過ごしていますが、
30年以上、お前は女としてそそられない(と言われている)と思って生きてきたので、なかなか呪いが抜けません。
自分を愛したいけど、思うようそこにたどり着かない!というのが、2013年頃から2019年現在までの、わたしの現在地です。
アクシデントによる一時的なものだとしても、既存の価値観では、そこまで評価が高くないと自分で卑下している女性が、「わたしって超美人!!!!!」と思って、自信満々に人生、恋を楽しむ姿は、わたしの理想そのものなのです。
よって映画は冒頭から、心に刺さりまくり、涙腺は崩壊しっぱなし、鼻水と笑いで化粧ぐちゃくちゃ、でもすっきりできるという、いい映画体験だったのです。
とはいえ、方向性は間違ってないという自信は深まりましたが、
レネーの真似はできそうにありませんので、ではどうやって、の部分はまだ霧の中ですけれども。
クリーニング屋で、わたしに声かけたいんでしょ?とは言えませんし、
バーでミスコンに飛び入り参加してウケるとか、天地がひっくり返ってもできません。
チラ見せよっていって、全裸を見せて誘うのは…全裸は無理でも部屋まで連れてこれてたらやれるかもだけど、安心して部屋に連れてこれる男性を見つけるっていうのが、至難の業で…
出来る気はしませんが、勉強になりました。
中身がネイサンだとわかっていれば、自分から声かけるのにな。
大体がグラントが入ってるもんな。グラントは嫌なのよ。絶対。
そう思いながら、楽しくみました。
とはいえ、見るものを選ぶ映画です。
小2くらいの孫娘を連れたおばあちゃんが見に来てましたが、小2にはちょっとあかんと思う映画です。レイティング何もなしとはいえ。
レネーが自分への自信を深めるとともに、既存のお友達をけなし始めたあらすじは、悲しくなりました。ちゃんとお友達は制裁をしてくれたので、よかったですけども。
また、「わたしって超美人!!!」幻想が解けたあとに、ネイサンから逃げまくるのが、ネイサン気の毒にって思いました。
ロマコメなので、絶対ネイサンとまた仲良くなるからって信じてみていましたが、幻想が解けてからはつらかったです。
仕事もほとんど投げ出してしまうし、周りの人大変やで。
ネイサンが現実にいたら、多分好きになると思います。
この映画の男性観は、わたしを息苦しくさせません。
ネイサンのように、既存の男性らしさに欠けてるかもだけど、ぼくはそのまんまでいいんだって思って、生き生きしているナイスガイと出会いたいな。そのままの自分を愛する男性。どこにいるのかな?
ミシェルウィリアムズがアニメ声の美人経営者役を楽し気に演じていてよかったです。
お手頃価格のコスメでは、付属のパフやブラシがあったほうがいいっていうレネーの意見、説得力ありますね。
帰宅後にエイミーエイミーエイミーを見ましたが、アイフィールプリティよりは小粒に思いました。が、こちらもエイミーの相手役のアーロンが素敵な男性で、好ましく思いました。