ナポリの隣人のレビュー・感想・評価
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行くのではなく、帰るのです。
子供が大人になったら、愛し方を変えなければ。
可愛い子供を連れている親を見ていると『こんな健気な子供がこんな大人になるの?』そんな風に思う事がしばしばある。
今日は上野動物園へプレーリードッグとアメリカンバイソン(バッファローじゃないよ)を見に行った。子供が真剣な顔をして、プレーリードッグを見て『可愛い』って言っていた。その真剣な眼差しを見ていると涙が出てくる。そう言う事がこの年になるとしばしばある。そう言う時は大抵は後ろにいる親を見る事にする。
たいがい『えっ!』と驚くような感じ。今日も髭面で裏社会の印を手の甲にしていた。アメリカンバイソンにはよく似合うが、ネイティブジャパニーズじゃないね。
他人の子供は、特に、可愛いよ。
僕なら落ち込まないけどね。そんなに寂しかったり、嘆くこともない。だって、そんな浮世も永遠に続く事はないし。地団駄踏んでも、必ずや終焉はやって来る。
『幸せは目指す場所でなく帰る家だ。行く先ではなく後ろにある。』
ネタバレあり
最後の会話
『お家に帰らないと』
『私一人だけだが』
『何をバカなファビオも子供達もいるのよ』
さて、さり気なく彼は目覚める。
えっ!
傑作だ。
最初の歌 ギリシャのミュージシャンアルレータ『Mia fora thymamai』
『昔のあの日を思い出す』って事かなぁ。
原題 La tenerezza
製作年 2017年
製作国 イタリア
劇場公開日 2019年2月9日
上映時間 108分
映画に求めるものを備えた作品
この何年かで一番の出来のヨーロッパ映画だ。
観客の目に映っているものが必ずしも物語の中心ではない演出によって、最初からスクリーンの中へと引き込む力強さ。
人物の心理を簡単にセリフで表現しない深遠な描写。
様々な出来事が重なって映画に触れる機会がめっきり減ってしまっていたこの数年、出会う作品の質もまた、それほど高いとは思えないものがばかりだった。この作品は私が映画に求める語り口に満ち溢れ、久しぶりに映画鑑賞の喜びに浸ることができた。
また、離婚をしてからというもの、子供たちとの会話が極端に少なくなってしまった私自身と、主人公親子の姿が重なった。
いつまでも子供たちへの心配は絶えず、これに耐える辛さに負けそうになることは多い。このことから逃げたい気持ちを抑えても、代わりに苛立ちを隠せなくなる。
世の年寄たちが孫の顔が見たいなどと勝手な希望を口にするその寂しさがだんだんと分かるような歳に自分が差し掛かっていることを思い知らされる。
表には出さないが、きっと子供たちのほうでもこの愚かな親のことで心配をしたり、苛立ちを覚えたりしているのだろう。
やっとたどり着いた…
幸せは家族のもとに帰ること。自分の浮気が原因で妻が亡くなり、娘と息子とも口を聞かず、孫も懐かず、人生に楽しみを見いだせない孤独の老人の隣家に心優しい家庭が越して来る。奥さんと会話するうちに徐々に打ち解け、次第に心開くようになり、生活にも張りが出てくる。しかし、旦那は子供を愛せないことに悩んでおり、精神的に病んでいた。旦那は一家心中を図り、彼女は意識不明で集中治療室へ。付きっきりとなるが、やがて死んでしまう。亡くなる直前、彼女の幻を見て、家に、家族のもとに帰るように諭され、今一度家族を見つめ直す契機となる。長い時間を掛け、家族が再生していくストーリー。
タイトルなし
子供たちと確執を抱え
アパートで一人暮らす老人ロレンツォ
越してきた隣人との出会いから
心を開くようになるも
彼らを失う…
.
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“家族主義の国イタリア”
“人情溢れる下町ナポリ”
そのイメージが覆る
分かり合えずすれ違う家族の心情
繋がりが希薄になった地域社会…
大量の移民が流入している町ナポリ
人々の心の闇を容赦なく描き切り
観る者の心をゆさぶる
───ナポリの隣人公式サイトより
.
愛し方を知らない人々
考え方や感じ方は人それぞれ
血の繋がりだけではなく
理解しようとする
寄り添うことが愛なのでは
人生
その人の後ろについてくるもの
深い余韻を残す良作
.
原作は#ロレンツォマローネ
「La tentazione di essere felici (幸せであることの誘惑) 」
イタリアの名匠#ジャンニアメリオ
イタリア映画祭2018 (日本) で
「世情」のタイトルで上映された作品
「 tenerezza」
愛情·優しさ·思いやりの意
人生を振り返ると地獄
老弁護士は昔、愛人がいたため妻が早逝したと思っている、娘と息子には疎遠にされている。
隣に引っ越してきた一家と親しくなる。
特に奥さんは気さくで子供たちとも仲良くなる。
ある日、散歩から帰ると・・・。
親子関係も赦しがないと、しんどくなる。
期待はずれでした…
劇場で見逃してしまい残念に思っていたところ、ゲオで見つけ早速借りてみました。
率直に言って、レンタルで充分でした…。
イタリアは家族主義で、家族を大切にするからこそ、実の家族ではなく隣人と心を通わせたところが特別だったのかな、と想像します。
逆に日本は、家族との関係が希薄なことも多いのでそれほど珍しく感じなかったのですが、イタリアではあまりないことなのでしょうね。
淡々と進んでいく割には眠くもならなかったのですが、特に印象にも残らない映画かな。
一人暮らしをしている老人の隣に 4人の家族が越してくる 子どもが二...
一人暮らしをしている老人の隣に
4人の家族が越してくる
子どもが二人いる若い夫婦だ
老人は自分の家族のように接するが
ある時悲劇が起こる
家族の問題や、老人と娘との確執や
彼の張り裂けんばかりの孤独や
私に突き付けてきて
もう泣くしかない
50も過ぎて家族を少しはしっているものには
心にグサッと刺さり
ハンカチが手放せない作品
大人に頼らざるを得ない
事は子ども自身が一番わかっている。
だから、可愛いし言うこと聞く。
思春期過ぎて、大人になったら親をしっかりと一人の人間として見る。その時から親子関係は人間関係に変化していく。いつまでも「親だから」は通用しない。
ロレンツォの中に隣の夫婦、特に夫と似たものを感じた。かなり似たもの同士なのだろう。
Tenderness
なぜ子供は成長するのか?とロレンツォは嘆く。子供が自立したら親は何もしてやれない、いや何もしてはならない、自分で乗り切る事が出来るから。子供と距離を置けば、心配しないで済む、手助けできない心配なら、する必要がないから...。辛いだけだから...。
分かる様で分からない気持ち
少し期待していたこともあり、期待外れ・・・
何故にそこまでお隣さんに入れ込んだのか?
それ程の付き合いでないし、当てにもされていない
事件が起きた原因も解せないまま、ミラノは魔物の町か?
年老いてからの生き方を考えさせられるところがある映画でした
<14>
サスペンス。隣人は、見た。
途中から、お隣さんの危うさが(もう絶対、なんかある!)とドキドキして引き込まれてしまった
ラストにパパが娘の手を握るにしては…弱々しくとも取れるけど、実の娘にする仕草とは違う気もした。日本とナポリの違いなのか。
人と街と
何故かは分からないが、イタリア映画は日本映画に似ている。
テーマ設定や人物配置が自然に入ってくる。
少し暗めの照明が良い。ナポリの街に湿度を感じ、人に馴染む。
葛藤は暗渠を流れ、すれ違いだけが繰り返される。
何も解決された訳ではないが、只、帰って来たのだ。
家族関係の難しさを描く
数年前に旅行したナポリが舞台というだけで観に行ったが、家族の問題を扱ったかなり重たいテーマの映画だった。ヨーロッパ的な作りの映画で、台詞や人の表情、行動、風景や街の雰囲気などを通して、間接的に観客に多くのことを感じさせ、考えさせようとするような映画。結末も、アメリカや韓国の映画のような、ドラマチックだったり、明確なオチみたいなものがあるわけではなく、静かに、しかしじんわりと観る者の心に伝ってくるものがある。普段は韓国映画ばかり観ている私ですが、これはこれで大好きな雰囲気の映画でした。
主要な登場人物である、主役の老人と娘、隣人家族などを演じる俳優さんたちの高い演技力、存在感、印象を強く残す表情など、素晴らしい役者さんたちだと思った。
原題の「La tenerezza」の意味を調べたら「優しさ」でした。人と人が関係を保っていくには、それが家族であっても(むしろ家族であればこそ)、相手の弱さや過去の過ちなども含めて、全てを受け入れる優しさ(受容性)が必要だということが、この映画の伝えたいメッセージだろうか。
1番大事な事件の起きるところで(-_-)zzz 採点は自粛。 映画...
1番大事な事件の起きるところで(-_-)zzz
採点は自粛。
映画の初めに越してきた夫婦に貸す【鍵】は、【心】を閉ざしていた元老弁護士の胸の内をこじ開ける記号でしょうね。
この夫婦との触れ合いを面白く見ていたのですが。映画が本当に伝えたいのは、確執の有る法廷通訳の娘との関係。
その意味ではちょっとバランスが悪く感じる作品。
中盤は、その娘の「私は娘なのに!私とは話もしない!」との苛々が頂点へと…。
その辺りから段々と此方の興味が。しかし、そこからが映画の本題だったらしい。いや〜肝心な場面でちょっとだけ寝てしまったのが痛い_| ̄|○
終盤で、今は使っていない元事務所の管理人らしき男が言う。
「誠実な弁護士なんか…」
思えば娘である自分も…とゆう事実が観客に提示され、一気に和解するラスト。
いやいや!幾ら何でも甘くないすか(u_u)
2019年2月11日 岩波ホール
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