劇場公開日 2019年2月9日

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ナポリの隣人 : 映画評論・批評

2019年2月5日更新

2019年2月9日より岩波ホールほかにてロードショー

見終えて心に浮かぶのは、女たちの憂いをたたえた美しい顔貌

冒頭、タイトルバックにかぶさるようにギリシャの歌手アルレタの歌が流れてくる。「かつてあなたは話してくれた。今は沈黙があるだけ」というサビの一節がひときわ印象に残る。やがて、このメランコリックな哀調を帯びた歌が映画そのもののモチーフを体現していることに気づくことになる。

南イタリアのナポリ。引退しアパートで独居する元弁護士のロレンツォ(レナート・カルペンティエリ)は狷介で家族との折り合いは悪い。娘のエリナ(ジョヴァンナ・メッツォジョルノ)はアラビア語の法廷通訳をするシングルマザーで、母親の死因が父の愛人問題だと思い込み、会ってもほとんど会話がない。

そんな冷え切ったロレンツォの日常にささやかな涼風が吹き込む。向かいの家に引っ越してきた若い夫婦と二人の子供と知り合い、こわばった感情がゆるやかにほどけて、かつての自分にもたしかな手触りとしてあった親密な疑似家族のような関係が生まれるのだ。と、突然、この一家を思いもかけない悲劇が襲う。

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この悲劇を受け止められずに、次々に突拍子もない行動をとるロレンツォの頑迷さは、あたかも家族を失った者の、あるいは愛の欠如を強いられた者特有の切羽詰まった喘ぎ、身悶えであるかのようだ。

孤独で狷介な老人を痛ましいまでのリアルさで表現するレナート・カルペンティエリは見事だが、見終わって、浮かんでくるのは、むしろ女たちの憂いをたたえた美しい顔貌だ。孤児だった隣人の妻ミカエラ・ラマゾッティの無邪気な明るさに満ちた顔。ロレンツォの元愛人マリア・ナツィオナーレの諦観しきった表情。事件を起こした隣人の夫の母グレタ・スカッキの疲弊しきった翳りに覆われた顔、そして、とりわけラスト近く、「幸せは目指す場所ではなく帰る家だ。行く先ではなく後ろにある」というアラブの詩人の箴言を呟くジョヴァンナ・メッツォジョルノの深い哀しみを宿す表情が忘れがたい。

「家庭の幸福は諸悪の根源である」と嘯いた太宰治は、家族制度への止みがたい、激しい愛憎を抱えており、結果として、この一見、辛辣なエピグラムも〈家族〉という最小単位の共同体への逆説的なアイロニーに満ちた礼讃のように映る。この映画は、「諸悪の根源」と思えたものが、実は、「帰る家」そのものであったことを静かに、説得力を持って告げているのだ。

高崎俊夫

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