「主人公の奥底まで照らし出す撮影の見事さ」女と男の観覧車 りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
主人公の奥底まで照らし出す撮影の見事さ
1950年代米国ニューヨーク郊外のリゾート地・コニーアイランド。
まもなく40歳になる元女優のジニー(ケイト・ウィンスレット)は、その地の遊園地のレストランでウェイトレスをやっている。
彼女は、息子のリッチーを連れ、粗野なハンプティ(ジム・ベルーシ)と再婚、ハンプティも同じ遊園地の回転木馬係として働いている。
そんな中、5年間音信不通だったハンプティの娘キャロライナ(ジュノー・テンプル)がやって来る。
キャロライナは、駆け落ちしたギャングの夫の秘密を警察に漏らしたため追われている、という・・・
というところから始まる物語。
で、これが若い頃のウディ・アレンならば、キャロラインをギャングの追っ手から守るためのドタバタ喜劇になるところだが、そうはならない。
ジニーは、海岸で監視員をしている脚本家志望の若者ミッキー( ジャスティン・ティンバーレイク)と不倫をしており、いつか、この騒々しく薄っぺらな遊園地から連れ出してくれるものと信じているが、その一方で、ミッキーはキャロライナに好意を寄せている、と嫉妬心に駆られていく・・・と物語は展開していきます。
そんな物語は、映画の中で引き合いに出されるドストエフスキーやチェーホフの物語に似ています。
とにかく、ジニーの妄念が凄まじい。
妄念、妄執、独占欲と疎外感が一緒くたになった凄まじい嫉妬心。
現在の自分のひとかけらも認めたくない、その恐ろしさ。
実際のところ、この手の女性は観ているだけで辟易で、映画で観るのも嫌なのだけれど、本作はグイグイと惹き込まれていきます。
これは、ウディ・アレンの脚本の上手さもさることながら、撮影監督のヴィットリオ・ストラーロの手腕によるところが大きいでしょう。
前作『カフェ・ソサエティ 』からコンビを組んだストラーロだが、本作ではカメラワークも超絶だが、なんといってもライティングが素晴らしい。
いつものウディ・アレン映画と比べると、寄りの画が多く、登場人物に肉薄するとともに、真横から色とりどりのライトを当て、その色で登場人物の心理状況を補完していきます。
この色とりどりのライティング、クライマックスでは、さらに凄い。
妄念の塊と化し、かつての舞台衣装を身にまとい、ミッキーに対して長台詞をいうジニー。
はじめ、ライトは黄昏の紅い光なのだが、途中から、スポットライトを思わせる白色光に変わり、ジニーの顔を照らしつけ、皺の一本一本、心の襞の奥底まであぶり出します。
いやはや、ほんとに凄まじい。