サタデー・フィクションのレビュー・感想・評価
全4件を表示
教科書には載らない歴史
日中欧の諜報員が暗躍する魔都上海においてコン・リー演じるユー・ジンという人気女優が舞台サタデー・フィクションに出演するために上海にやってくるのだが、ユー・ジンの本当の目的は暗号通信の専門家であり新しい暗号を配布するために上海へとやって来た日本海軍少佐の古谷三郎から太平洋戦争開戦のきっかけともなる奇襲攻撃の情報を得るためにフランスの諜報員が仕掛けるマジックミラー作戦のために投じられたスパイだった。
オダギリジョー演じる古谷三郎の護衛に銃術に長けているという梶原が護衛につくのだが、梶原役を中島歩が演じている。
映画の良さは何と言っても、スパイが暗躍する中で舞台サタデー・フィクションに専念しつつの如何にスパイの対象である古谷に対し近づくチャンスを見図らないながらマジックミラー作戦を決行するのだが、ユー・ジンのファンですと言いながら近付いたバイ・ユンシャンは実はユー・ジンが握る情報を得たいがために近付いた実はスパイだったりと、作戦の決行を今か今かと待ちわびながらも舞台女優として本番に向け稽古に励むユー・ジンの姿はスパイと言わなければ誰も気づかない。
予告にもあるが、美代子の存在が鍵を握る。
ユー・ジンが何故マジックミラー作戦におけるスパイとして選ばれた理由が古谷の亡き妻美代子とユー・ジンがそっくりだという理由から、古谷を襲撃した後意識があるうちに新しい暗号を解読するためのヒントを取得しようとする。
が、いざマジックミラー作戦を決行し古谷を襲撃したものは良いが結果は狙撃手が屋上から致命傷にならぬように古谷を襲撃した後はホテル内の救護室へ意識朦朧の中運ばれていくのだが、そのタイミングを待ってましたとばかりにユー・ジンが美代子になりすまし古谷に近付くと"美代子よ、美代子はここにいる"と甘い囁きで古谷に話しかけたら古谷は暴くだろう。
意識はあるが生死の境を彷徨う古谷にはもはや機密事項を守らねばという考えが飛んでしまうレベルであったため案の定暗号の意味を知る事ができたのたが、では奇襲攻撃は防ぐことができたのかとなると最大の謎の暗号であるヤマザクラだけは解読出来ず後々真珠湾攻撃が開始される前にやっとヤマザクラが指す意味はハワイだと知る。
映画を見ていて思った直感的な感想はエンドがあまりにも予想外だったということ。
舞台が気がかりなユー・ジンは行われる蘭心大劇場へ移動するが、ユー・ジンの後を追いやって来た梶原との銃撃戦になり梶原を撃った後、古谷が駆け付けてくるのだが、古谷はユー・ジンに対し亡き妻を襲撃したのかと訊ねるも答えず撃つ。
古谷が息絶えたのを確認してから、タン・ナーと待ち合わせをしていたカフェへと急いで向かうがそこにも待ち構えていたスパイがいる。ユー・ジンはタン・ナーに抱き抱えながら目を瞑りエンディングになるが、一つ疑問に思ったことだがユー・ジンはターゲットの古谷を撃ったと同時に古谷が撃った銃弾が結果致命傷になり意識が飛んでしまいそうになりながらも愛する人のところへやって来て命を落としたのならば、人生の最期は愛する人の腕の中で眠りたいということだろうか。だとしたら、スパイとして最期まで任務を全うしたと同時に命を落としたのならば孤児であった自身を里親としてまたスパイとして育て上げたヒューバートへの感謝だろうか。
色々な見方が出来るエンディングだった。
マジックミラー作戦を決行し得るべき情報は得たものの実行のタイミングが遅かったために奇襲攻撃は防ぐことは出来ず太平洋戦争が開戦するのと同時に日本軍の英仏租界への進駐で上海の孤島と言われた時代の終焉を迎える。
全ては幻想に(追記あり)
映画内の現実と戯曲「サタデー・フィクション」内の世界がオーバーラップする。繰り返されるシーン。何が演技で何が現実か分からないまま物語が進む。女も男も顔が強いイケメン役者たち、西洋と東洋の入り交じった上海租界の空気、クライマックスの激しいガンアクション、コントラストの強いモノクロ映像とも相まって、最後まで非現実的な雰囲気があった。
振り返るとストーリーはシンプルで、著名な中国人女優ユー(裏の顔は連合国側のスパイ)が、日本の情報将校・古谷から日本軍の新暗号のコードワードを聞き出す作戦に参加を余儀なくされ、周りの人々を巻き込んでゆくというもの。古谷の亡妻がユーによく似ていることから、古谷を拉致し薬(自白剤?)の影響下の幻覚で妻だと思わせて秘密を打ち明けさせるという計画は、不確定要素がありすぎて(映画のプロットとしても、作中現実の計画としても)説得力が弱いと思った。が、こんな計画に乗ってでも、スパイから足を洗い、開戦のどさくさで出国して恋人の演出家と生きることを願ったのかもしれない。
ただ、ユーが機密入手に成功しながら嘘の報告をした(日本軍の侵攻先はシンガポールではなくハワイだった)理由がよく分からなかった。古谷の妻の死(計画の一部で、入れ替わるため謀殺された)や、古谷拉致のために自身の元夫を殺させてしまったことへの悔悛なのか。
結局、土曜日が来て、ユーの未来も、妻の幻影を求める古谷も、上海租界も、全てはまぼろしと消えた。
話にはやや瑕疵があると感じたものの、スタイル重視の作りは嫌いではなかった。純中国映画でこのコスモポリタンな感じが出せることに感嘆し、自分の偏見にも気づかされた。
11/28追記:
1)かばこさんのコメント(ありがとうございます)に触発されて少し考えてみた。
養父はフランス租界で古書商を営みながら諜報の世界にもいるが、どこのスパイなのか。舞台である1941年12月の時点で、フランスは親ナチスのヴィシー政権となっている。またユーが上海に戻る前に任務についていたインドシナも、1940年6月のヴィシー政権成立後の日本との協定により日本軍の仏印進駐が行われている。つまり作品中のフランス本国は親独で日本と協力する枢軸側であり、それに対してユーや養父はドゴールの自由フランス(レジスタンス)側として活動していたのだろう。
そこからの仮説だが、まずユーの報告が正しいか間違いかにかかわらず、開戦すれば上海租界に日本軍が入るのは明らかである。その場合、養父が正しい情報を打電し、開戦後も現地で枢軸国に対する諜報活動を続ければ、いずれは捕まり、恐らくは処刑されるだろう。一方、養父が間違った報告を上げて信頼を失えば、あるいは(劇中でそうなったように)失望して任務を放棄すれば、上海を離れて生き延びられるかもしれない。ユーは養父を騙すことで命を救おうとした、と考えるのは飛躍が過ぎるだろうか。
2)レビューを読んで「シャドウプレイ」の監督だったと知った。今年完全版とドキュメンタリー「夢の裏側」を観て、(書きかけでアップしなかったが)中国現代史の文脈と膨張する都市を独自の切り取り方で咀嚼しながら、中国本土でこれほど洗練された、西洋と遜色ないミステリーを撮れるということに驚いた、との感想を持っていた。本作はエンタテインメントに振りながらも、都市への眼差しに共通の独特さを感じた。
期待度◎鑑賞後の満足度△ 中国映画がこういう題材を取り上げるのかという驚き以外は「フィクション」という題名通り作り物感・ハリボテ感満載のエセ諜報もの。
①中日戦争真っ最中ながら治外法権である上海租界が舞台なのにテロップでの説明以外はそれらしい雰囲気はなく(もとより“魔都”という雰囲気もない-中国の作家「茅盾」の『子夜』という作品を読むと”魔都“という雰囲気がよく分かります-)、太平洋戦争勃発直前の
各国の諜報部員入り乱れてのスパイ合戦を期待すると梯子を外されます。
②
上海租界雰囲気たっぷり、情感もたっぷりなメロドラマ
日米開戦直前の上海租界、各国のスパイ入り乱れて日夜諜報戦が繰り広げられる。
全員が誰かを利用し利用されてもいる非情な世界で、純愛を貫くふたりのメロドラマ。。
日本軍の暗号「ヤマザクラ」を解読するために、幼い頃からスパイとして仕込まれた元孤児の現世界的大女優ユー・ジンが重要な任務を任されるが、こんな甘々な作戦ありですか。
実際に「オペレーション・ミンスミート」みたいな嘘みたいな作戦もあったくらいだから当時ならこれでもいいのか?
コン・リーは存在感ある女優だけど世界的大女優というより、農村でたくましく生き抜く女性な感じがする。もう少しシャープで華のある女優の方がよかったのではと思う。
バイ・ユンシャン役の女優さんは宍戸美和公さんか牧野ステテコさんに見えて仕方なかった。
何度も出てくるカフェの場面は映画のセットではなく舞台装置だったか。タン・ナーがユー・ジンの手を引いて外に出ていく場面があったのに??
何度も同じような描写が出てきて、これ必要?と何度も思った。
日本人役にホンモノの日本人俳優を使っているところは良かったが、あんなことでバレてしまう日本軍のお粗末な機密保持体制の描き方も含めて改めて嫌われ者ぶりを浮き彫りにしたよう。
モノクロでレトロな雰囲気たっぷり。
メロドラマな情感もたっぷりで私には合いませんでした。
ユー・ジンが古谷から情報を抜いたが肝心なところが聞き取れず、唯一聞き取った彼女が知らせた情報は実は嘘で、全て終わってから本当のことを手紙で伝える。
孤児の彼女を引き取って育ててくれた義父に対して恩はあるが、そもそも引き取ったのはスパイとして育てるため。利用し続けられる恨みがないまぜになり、最後に義父に一矢報いたのは良かった。
真珠湾攻撃は事前に米軍に察知されていたが、この映画では不意打ちだったとしている理解で良いでしょうか。
全4件を表示