ウトヤ島、7月22日のレビュー・感想・評価
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テロリストの敵
公開当時からこの作品のことは知っていたが劇場鑑賞を逃しており今回やっと配信にて鑑賞できた。
手持ちカメラによる長回し撮影で、臨場感、緊張感、没入感がものすごい作品。これは真っ暗な劇場のスクリーンで見るべきだった。そうすればより没入出来て鑑賞後の疲労度もかなりのものであったはず。
主人公カヤにずっと手持ちカメラがついてくる。テロが起きてから皆が逃げまどい恐怖に包まれる現場をまさに追体験させることによりテロというものがいかに恐ろしいものかを観客に訴える効果は絶大であった。
いわゆるPOV方式のような手法がこういった作品で最も効果的だとあらためて感じた。現に鑑賞中私は間違いなくカヤと共にあの時のあの場所にいた。
テロの脅威におびえながらも必死ではぐれた妹を探し出そうとしたカヤもついには凶弾に倒れてしまう。カヤを追い続けたカメラはそのままカヤから離れて逃げる友人を追う。ここでカヤが死んだことを観客は知る。その友人が逃げ込んだボートにはカヤの妹が乗っていた。カヤがあれほど心配していた妹は無事だった。姉が自分の身を顧みず妹を探し続けたことを彼女は後ほど周りの人たちから聞かされて知るのだろう。口うるさかった姉がどれほど自分のことを思っていてくれたかを。
登場人物は全て架空の人物だが、あの時あの場所にはカヤのような若者たちが大勢いて必死に互いを助け合いながら生き延びようとしていた。しかし凶弾は容赦なく彼らの命を奪っていった。国の未来を担うはずであろう志の高き若者たちであった。
2011年に起きたこのテロ事件は単独犯ブレイビクによるものだった。当時のノルウェーは福祉国家としてほかのヨーロッパ諸国よりも多くの移民を受け入れており、その数は人口の十割を移民が占めていたほど多様性に寛容な社会だった。
当時からヨーロッパ諸国では移民問題が悩みの種だった。多くの移民は移住先の国になじむよう努力し、また受け入れる国も語学教育や職業訓練など移民がなじむためのプログラムは充実していた。
しかし中には移住先の国で生まれた移民二世などによるホームグロウンテロが脅威となりつつあった。
この政府庁舎とウトヤ島を襲った犯人のブレイビクはそんなテロを起こすイスラム系移民を憎悪し、移民に寛容な政府労働党に不満を募らせての犯行であった。
もちろん移民の大半はその国になじんで暮らしておりテロを起こすのは一握りの人間だ。だが、危機意識を抱き憎悪感情を募らせ、ノルウェー人の彼自身がホームグロウンテロリストになってしまったというまさに皮肉な結果によるものだった。
計80人近くの死者を出したテロ事件を単独で起こしたブレイビクに対してノルウェーは最高二十年の禁固刑を言い渡す。この国には死刑制度や終身刑はない。
応報刑から教育刑に舵を切り、治安を改善してきた経緯がこの国にはあった。実際、そうすることで再犯率は大きく下がっていた。
それだけに今回起きたテロ事件に国民の衝撃は大きかった。厳罰化を叫ぶ声ももちろん上がったが国はそうはしなかった。今まで通り犯罪者の社会復帰に重きを置いた政策、移民政策を続けた。
日本ではオウム真理教によるテロ事件を契機に厳罰化が進んだ。同じ国を揺るがすテロを経験しながらノルウェーと日本は対極にあった。
ノルウェーでは修復的司法制度なども採り入れ犯罪被害者へのケアが充実している。このブレイビクへの刑罰に異議を唱えた被害者も多くいたが数年後の取材で彼らの憎しみの心が緩和されていたことがわかった。これも国によるケアのおかげなのだろう。
かたや日本では長年犯罪被害者は置き去りにされてきた。それこそ昨今の凶悪事件による世論の盛り上がりを受けて刑事裁判における被害者参加制度なども取り入れつつあるが修復的司法制度などは小さな活動はみられるもののいまだ根付いてはいない。
犯罪被害者へのケアが充実した国ほど厳罰化が緩和されている。実際、被害者ケアがなされている国の多くが死刑廃止国である。
テロの犯人は己の中の憎悪感情を増幅させて社会にその憎悪の種をまき散らす。テロの被害者がその種を受取り社会が厳罰化に向かえばそれは犯人の思うつぼである。憎しみには憎しみで、暴力には暴力で、社会はテロリストの思い描いたとおりになる。
ノルウェーのこのテロの被害者たちの言葉が印象的だった。自分たちはけして犯人のように憎しみに囚われることはない。ブレイビクの思うようにはならない。憎しみの連鎖を止めることが社会からテロをなくしていくことにつながるのだと。
人間は不安に駆られるとその不安の原因である敵を探し出そうとする。敵が見当たらなければその敵を作り出す。いま全世界で巻き起こる移民問題に端を発した排外主義は少数者の移民を標的になされているものだ。
日本でも少数民族の暮らす地方都市ではデモが盛んにおこなわれている。彼らは常に敵を探そうとする。いなければ作り出す。
本編最後のテロップでは「テロリストの敵」という言葉が語られる。テロリストの敵とは憎悪対象である。これは人間だれしもが持つ憎しみの感情をぶつける相手。憎しみの感情を癒すことなく増幅させるものとは何だろうか。
厳罰化や死刑制度を存置している国では被害者ケアが不十分だったり、明らかに不足している。その分被害者の憎悪は厳罰化や死刑制度に向けられる。
このように憎しみの心を増幅させるだけではやがて憎しみは常にその対象を探し求め続けるのではないだろうか。それがヘイトクライムやテロ、そして戦争へとつながるのではないだろうか。
周辺国への憎悪を煽り立てるマスコミや政府を見ていると死刑制度存置に固執することと無関係に思えなくなる。
移民排斥を声高々に叫ぶ排外的保守系団体が台頭する欧州諸国では日本を見習えという。移民をかたくなに受け入れず国を守っているからだという。これは言われて喜ばしいことなのだろうか。
最後にもう一人、日本は多様性を認めずイスラム系住民も少ないとして見習うべき国だとSNS上に書き込んでいた人物がいる。このテロ事件の犯人のブレイビクである。彼は一度会ってみたい人物の一人として元政権与党副総裁のA氏を上げていたという。
物凄くくどい。あえて共感します。冷静に鑑賞すべし。
『安全の為に人を撃つのか?』
『戦争は戦争だ』
『キャンプに参加したのもナンパが目的だった。』
色々な状況を、一人の少女の視点でデフォルメ表現しているのは理解出来る。しかし、テロから逃げ惑う群衆なのだから、それを一人の少女の体験として負わせるのは酷である。実に酷な話である。
寧ろ、道徳的に許されるのなら、テロリストの目でワンカットで撮ったほうが良かったと思う。
大衆迎合する事とテロから逃亡する事は別であり、逃げる人の群衆の最後者には、当該テロリストが追っている。従って、皆が逃げる方向に逃げる事がこの場合一番の解決策。
こんな状況では姉妹、肉親は関係ない。邪念になる。
具体的に言えば、テロリストが何人いるかを見極める事が大事。泳ぎをする妹だから、大概泳いで逃げているはず。
あと13分。くどい。
一緒にいた男を生かさせても、死んじまった少女の記憶は受け継がれるわけではない。
つまり、カイヤは生きているって事?男は何で逃げる様にボートに乗り、そこにいたのは!!!嘘だろ!
現実的で無い。しかも、岸壁にいる残されし民を見捨てる様に島から離れる。善行には見えない。選民思想に対するアイロニーなのだろうか?
追記
フィンランドのタンペレの街て助けて貰った日本人の方が言ってました。
『ノルウェーって凄く物価が高い。何でその国へ移民したがるのかなぁ?』って。その話聞いて、ノルウェーに行くのは止めて、ウィーンへ行く事にした。実に正解だったのかなぁ。
ウトヤ島(ノルウェー)での銃乱射事件
2011年7月22日に極右思想の白人男性が、労働党のキャンプでノルウェーのウトヤ島に来ていた青年69人を殺害した事件が題材である。
1人の女の子を主人公にしており、犯人から逃げ惑うところを72分間ノーカットで演出している。
犯人の姿が1回も映されず、一緒に逃げている人から入る情報しかない。警察の服装した人が銃を乱射してると言われた時の絶望感はすごい。
この事件を全く知らずに映画を見たため、主人公たちと同じく何が起きているのか分からない状況だった。
前知識なく見るのは割とおすすめの映画
最後は色んな論があると思うが、私は主人公の子は殺されたと思う。
生きてた方がいいエンディングだったが、それほどおぞましい事件だったってことを伝えたかったのかな、、
もう1つのNetflix限定映画の7月22日という映画の方が私は好みだった。
事件の生存者からの証言に基づいた作品でありながらフィクション。
史実としては単独犯の犯行のはずだが、映画内では森の中であちこちから発砲音がし、逃れてきた人も「何人かで撃っている」と言っている。
あちこちで走り回る人を何度も見る描写があり、犯人に背を向けて走っている背後から突然撃たれるのではないかとヒヤヒヤした。
海岸のシーンでは、何故集団で走っていたのかが謎。
主人公がカヤの視線で描かれているため、カヤは生き残ったのかと思いきや、最後には命を落としてしまって、「生存者の証言から作成している」とはいえ、どこからどこまでが本当なのか、実際はどれほどの状況だったのかが不明。
生存できた人を主人公にすれば信憑性が増すストーリーも、最後には死人に口なしなので、空想上の物語のように感じてしまうのがもったいないが、ドキュメンタリーに近いがドキュメンタリーではないので仕方がないところか……。
あっという間の72分間
世界一安全な島だよw とママに電話するところから、首都でのテロ報道を聞いて、ん?と思ったら急に銃声。
何発かは銃声だと気づかなかったけど、逃げてくる人々が建物の中に逃げて!!と扇動して建物の中にワラワラ避難するも、そこ狙い撃ちされたら一発で死ぬやん…と思いきや、森の中にさらに逃げてゆく青年会のメンバー。
この作品に、恐怖感とかスリルを求める人は合わないから見ない方がいいかも。
人間は未曾有の状況になると、自分が信じたいものしか目に入らず、他者から見てそれはやらないでしょ!ってことを平気でやる精神状態になる。
銃撃者が何人いるのかも、どこにいるのかも、なにもわからない状態で、丸腰で森の中にいて、よし、反撃しよう!なんて考えられないだろうよ。
ワンカット手法により、すごいリアルな追体験ができた。
息を潜めつつも、喋ったこともない女子だけど、どうにか助けようと必死になるも、ただ死んでいくのを隣で見るしかないなんて狂うでしょ…。これが77人、重症者は90人。次の瞬間は自分だ、って思ったら、防衛本能で普通の会話もしたくなるよね、至って普通の人間の行動よ。
このへんもリアルなんだよなー。
海沿いの岸壁の窪みに潜んでたのに、そこさえも見つけられて崖の上から撃たれまくる。
この時、カメラの向きが崖の泥濘に向かってるのが臨場感をさらに向上させて、もう、どこにいてもダメじゃん、、という絶望感を味合わせてくれる。
政治に興味のある若者達のキャンプだったから、わりと冷静な人達だったのかな。
無駄に騒いだり、煽ったりする描写がなく、そこにリアルさを感じた。
見えない銃撃者、見えない被害者、どこに隠れるのがいいのか、逃げるのがいいのか、電波も弱い島で何も情報がない中、口喧嘩したままの妹と離れたままでお姉ちゃんの本能で逃げる方向の森とは真逆の銃撃者がいる方へ妹を探しに行ってしまう。
これも、政治家を目指すような正義感あふれる女子の性格が表れてるよね。
テントのそばにいて、お兄ちゃんを頑なに待ってる黄色いジャケットを着た男の子を説得して森に逃げるように勧めたり、結果ラストに撃たれた姿を発見して、同じ黄色いセーターを着てた妹への希望がそれで崩壊して撃たれちゃったね。
でも助けに来た船に妹は乗ってた、で誰かの手当てをしていたからお姉さんを見つけて一緒に救助ボートに乗っていたと思いたい。
主人公のお姉ちゃん(カヤ)役の俳優さんがあっぱれだった。撮影大変だっただろうな。
顔についた泥もなにもかも払うことなく、極限のリアルさを演出してくれた。
あと、蚊はCGだったのかな…
好き嫌いがハッキリ分かれる
最初に言っておくと俺は大好き。でもまぁ多くの人にとっては退屈に映るんじゃないかな〜とは思う。俺はこの退屈さがとてもリアルで、緊迫感との緩急が本当に素晴らしいと感じたし好み
退屈って言ってもアレだよ、ストーリーに劇的な変化が訪れないから似たようなシーンが続くという意味でね。でも映像としての緊迫感は本当にずっと続いてて、退屈とは真逆のスリリングな時間が大半を占める。本当にその場にいるんじゃないか、という気持ちになってハラハラドキドキ、胸がしめつけられてくる。
これは俳優陣の演技力や、実際にその場にいるメンバーかのようなカメラや1本撮りといった手法などによるものが大きい。なので、このカメラワークという点においては主人公が一人になったタイミングでその感覚が破綻してしまう。主人公にとっては見えないけど、実際そこにいるかのようなカメラワークになってしまうので没入感が削がれる部分がある。思い切ってそういったカメラワークは主人公以外が逃げる時にカメラも一緒に逃げて、その後の主人公のカメラとは違う演出をした方が没入感を切らさずに済んだかなというのが惜しい。
実話を元に作られているから、想像力がいやに働いて精神が削られていくのが分かる。
このリアルな緊迫感の演出、という一点のみにおいても一見の価値があると言える。映画として見て面白いか、と言われると確かに首を傾げちゃうけど、映像として面白いか、と言われると首がちぎれちゃうんじゃないかというほど縦に振りたい。そのくらい面白く悲しく重厚な映像だと言える。
最後はね、いわゆる胸糞エンドというか。ミスト的な感じで終わるんだけど、これは賛否両論あるかな。主人公補正なくて、メンタルS+の主人公でさえも取り乱して撃たれるというのはリアリティあっていいと思うし。まぁテロの悲劇を演出するという意味では主人公の死は分かりやすく伝えられる方法ではあるのかな、と。妹は助かった希望もあるにはあるしね。
俺はめちゃくちゃ好きだけど、映画として面白いかと言われると少し違うのと、万人受けはしないだろうという点からこの評価。いや、でも見る価値は必ずあるよ
途中から、、、
主人公を追うようにまたは主人公の見てる先をカメラが動く。主人公の以外のカメラワークはたぶん最後ぐらいじゃないかと。
最初は銃声がバンバンと島中に鳴り響きドキドキハラハラ。しかも犯人の顔が見えないから余計もどかしい。たぶん犯人が登場したのは1回、しかも数秒。
ノンフィクションとはいえ犯人との駆け引きは何もない。逃げ惑う姿をひたすら撮り続ける映画。所謂低予算映画でもある。
変わり映えのない展開に途中から飽きてくるのは否めない。
それにしてもこんなのが現実に起きた事件だなんて怖すぎる。
リアリティを決定づける何かが不足している気がしてならない
カヤに同行する目線のため、犯人が全く映らず。ただ周りの悲鳴と銃声だけが聞こえてきて、撃たれるんじゃないか…という中を逃げながら、離れてしまった妹を探すという、見えない相手から逃げることと、手持ちカメラの映像という点からも『ブレアウィッチ・プロジェクト』や『トロールハンター』の様なホラー映画的な演出も感じさせられる。
実際に起きた悲惨なテロ事件であり、当時を体験した生存者からの取材によってストーリーは構築されているが、主人公自体はフィクション。生存者への配慮からなのか誰がモデルで誰がフィクションなのかが全くわからず、実話ベースによくありがちなモデルとなった〇〇は現在、〇〇で生活している…という様なクレジットがない。
この曖昧な部分が生存者や被害者はこの様な状態だったのかということに、いまいち説得力が欠けてしまって、リアリティを決定づける何かが不足している気がしてならない。
生存者の証言は映像に取り入れることはできなかったのだろうか…
悔いなき選択を
かくして、物語は
妹エミリアの安否を確認して幕は降りた。
誰よりも、そのことを願った姉カヤの姿を除いて…
実態の分からない不安と恐怖、
焦燥と混乱がもたらす状況において
ヒトはどんな思考に陥り行動に移してしまうのか…
本作『ウトヤ島、7月22日』は
客観ではなく《主観》である撮影表現によって
鑑賞者を「あの日のウトヤ島」へと誘い
姉カヤと共に“擬似体験”を通じて事件の悲惨さ、
被害者の無念さを伝え風化させず、
世界各地で起こる大小様々な無差別テロへの
注意喚起と無意味さを訴えた
【ドキュメント“タッチ”】の作品。
作品の最後に、
「この作品はフィクションであり
ドキュメンタリーではない」
…と、監督が明記してありますが
本編ワンカットで撮影されたフィルムには
緊迫感と臨場感が写し込まれ
間違いなく【ドキュメンタリー】の作風に仕上がっている。
ドキュメントがもたらした
偶然腕に止まった《蚊》ですらもが
作品の意図を汲み取ったかのような迫真性と
事件に対するメッセージ性の強さを提示していた!
現実に、ヒトは未曾有の事件や災害に見舞われたとき
実際どう考え、行動したらいいのか?
そんなことを思いながら、わたしは観賞していました。
そこに留まるべきか? 移動すべきか?
ヒトに手を差し伸べるべきか? 見捨てるべきか…?
決して明確な〈答え〉があるわけでもないし
〈結果〉は誰にも分からない…
その時は、せめて “ 悔いのない選択 ” を
勇気をもってしようと、わたしは思っています。
この世界が、地続きでひとつなぎの星である以上
自分達に関係ない事件はない…
その中で、ちっぽけな自分ができうる
最大限のことを、わたしはしたい。
偽善でも詭弁でも欺瞞でも
受け取ってもらっても構わない…
リアル?けれど緊迫感が続かない
「爆竹の音?」から始まる恐怖の臨場感、緊迫感は凄まじかった。何もわからないまま小屋に逃げ込み、聞こえてくる銃声に慄く。あの瞬間は私も本当に怖くなった。
その後も緊迫感は続く。皆が混乱してあれやこれやと言い争う姿はパニックそのもの。そして極めつけは「警官が撃っていた」だ。
逃げ回る友人たちや死にゆく子供の描写は正直エグかった。終盤で主人公が狙われて大きな銃声が鳴り響くシーンでは緊張が一気に張り詰めた。
しかし、そんなシーンばかりではない。なんというか、冗長なシーンも多かった気がする。
たとえば死にゆく子供とのやり取り。リアルではあるのかもしれないが、やりとりが長かったり敵や友人たちが都合のいい登場の仕方をするのが気になった。
そして岸壁に隠れたあと。ドラマを作るための前振り、端的に言えば死亡フラグを作ることに精を出していたのはどうにかならなかったのか。
リアルな作り込みは中盤までで、終盤は悲惨さを強めるための演出(悪く言えばプロパガンダ)が目につく作品であった、というのが正直な感想。
ただ、後世に残すべき良作であることは間違いないと思う。
臨場感なし、演技も稚拙
史実の再現を期待していただけに、最初から最後までただ逃げるだけ、銃声が響くだけで、途中のひねりも最後のオチもなく、何を見せたいのかがわからずじまいの単調な映画でした。
フィクションと謳っているが、フィクションならそもそも作る必要性が見いだせないし、作るならフィクションらしく凄惨な殺戮場面とか、犯人と対峙する場面とかがないと映画にならない。
ノンフィクション映画だとしてもそういう場面がないと退屈でしかない。銃声だけが鳴り響く展開に、どれだけ銃弾持ってるんだよ、最後もいくら恐怖で極限状態にあるとはいえ、着ている服だけで自分の妹の顔を間違えるかよと喜劇に思えてくるほど。
テロに対する警鐘以外、残念ながら何も残りませんでした。
とてもよかった
『丑三つの村』のすごいのが見られるとワクワクして見に行ったら、犯人はほとんど姿を見せず、ほぼ怯えて逃げ隠れしている主人公だけだった。映画館の音響がいいので、銃声が遠くなったり近くなったりするのが本当に自分も現場にいるような臨場感がすごかった。
海の温度が10度なのに、靴を脱いで海に入っていてあんな足場が砂でもないところだし、靴はいてくれよ~と願ってしまい、履いてくれた時は嬉しかった。
背中を撃たれて絶命する女の子がかわいそうすぎる。主人公がつぶやくように歌う『トゥルーカラーズ』が切なくて、エンドロールでシンディ・ローパーの元歌掛けて欲しかった。
修復不可能なほど世界はねじれてしまったのか
2011年7月22日のノルウェー。
午後3時過ぎに首都オスロで政府庁舎爆破事件が起きる。
サマーキャンプ真っ只中のウトヤ島にもそのニュースは伝わり、参加した若い男女の間では童謡が広がっている。
そんな中、キャンプ場に銃声が響く。
オスロでの事件からおよそ2時間後の出来事だった・・・
というところからはじまる物語で、単独犯によるテロ事件としては史上最悪といえるレベルの事件の映画化。
映画は、はじめにオスロでの事件を当時の記録映像を中心に少し描いた後、ウトヤ島の事件へと突入します。
そして、その事件を、妹といっしょに参加した少女カヤに寄り添うようにカメラが捉え、事件の始まりから終結までの72分間をワンカットで撮っていきます。
オスロの事件のニュースを知って動揺を隠せないまま、乱射事件は起こり、カヤ同様、われわれも何が起こったのかわからないまま事件を応じ体験します。
遠くで鳴り響く銃声、今後の行動を巡っての仲間たちとの諍い、息を潜めての行動・・・
逸れた妹の行方を心配するカヤ・・・
と、これがフィクションならば、単なるサスペンスなのだけれど、そういうわけにはいかず、観ている方としても、「いま、どうするべきか・・・」とカヤとともに現場にいることとなります。
で、これはテロ事件なのだが、銃声が飛び交うなか、ということであれば、それはまさしく「戦場」。
現代の戦争。
暴力の極限としての行為にほかならず、そんなところには一秒たりとも身を置いておきたくない、というのが嘘偽りない気持ち。
そんな気持ちがあるので、「テロには、こちらも力をもって対抗すべし」なんて軽々しく言えない。
力=暴力、でしかないのは明白だから。
ではどうすれば・・・というのは、ただちには思いつかないし、また、この映画でも、その解決策を示しているわけではない。
ただ、映像が終わったあと、捕まえられた犯人が裁判にかけられた際のことが短く告げられうが、そこでは「テロ側は<敵>を認識している」と書かれている。
彼らにとって、被害者側のわれわれは「敵」なのだ・・・
観方は一面的ではない。
修復不可能なほど、世界はねじれてしまっているのだろうか・・・と暗い想いを抱いて、劇場を去らざるを得なかった。
なお、映画がどのように終わるのか・・・
それは、書かないこととします。
テロの恐怖、長回し撮影の難しさ
いきなりの銃声は、やっぱり怖いものです。しかも犯人の服装が警察官と知れば… 。
NZの政府の移民政策への不満からの無差別銃乱射事件のテロが実際起こってから翌日。
観にいくのを躊躇した。銃声の音が腹の底からズンズンきた。この事件を事実に近いものとして知らしめる方法として、一被害者一目撃者である彼女の視点から描くには長回しの方法しかないだろう。しかし、カヤと母親の実際の会話を撮る点は、イラついた。非常に聞き取りづらい。最後に妹である「スマホを捨てたエミリエ」の出現。ボートに乗ってんじゃんという場面に少し拍子抜けした。警察が来るのも遅い。初動捜査にいらついた。命尽きる少女とカヤの別れ。カヤが、以前より強い女になったような気がした。この場面はさすがにウルッとさせられたのに。ラストのカヤがボートに乗り込む場面。もうすこし撮影をしっかりして欲しかった所。エンドロール前の説明が長~い。ここも「長回しワンカット」映像に入れるべき。
死者が77人ってそんなに映像にいなかったけど。テントの中で耳栓をしてスマホでゲームに興じていた方が助かったのではなかろうか。自殺した被害者はいなかったのだろうか。不定期に聞こえる銃声は、やっぱり怖い。ウトヤの惨劇を映画という形以外どんな形で残したのだろうか。この惨劇から何を得て欲しかったのか。これが非常に薄い。テロは実際に世界のどこかで起きている。このような極限状態で人が何が出来るのか。どうすればよいのか。
ノンフィクションを克明に描くことはフィクションを描くことよりかなり難しいことを知った。
NZ銃乱射事件
又しても同じ愚行が繰り返された。場所だけが代わり、蛮行は同じ。単独犯ということやアダルトチルドレンという共通点。なぜにこういうどうしようもない動物が育ってしまうのか、世界各国は真剣に究明すべきと強く感じる。
今作は実際に起きた事件に対し、被害者側からの視点でのモキュメンタリーの形式を取りつつ、ワンカット長回し撮影で進んでゆく。
或る意味パニック映画であり、カメラも撮される対象者の心情に寄り添ったような演出を施している。それは発砲音でカメラの揺れ でびくつく演出や、BGM効果音一切無いこと、あくまで主人公の視点のヨリの画角なので回りの出来事を俯瞰で観客に見せないことで、より緊迫感と焦燥感、不安と恐怖を共有させてゆく。
ターゲットにされた団体の特徴もさりげなく観客にアナウンスするように、リベラルの子息や、他人種構成、そして理論的な振る舞いや討論好きといった具合に、確かに白人至上主義達側が思うであろう『鼻持ちならない』グループとして特徴つけられている。
主人公の女の子の当初の落ち着きや銃撃をかわしながらの妹捜索は、その緊迫感と相俟って感情移入がしやすい。但し、時間が経つことによる冗長感、犯人はハッキリでて来ない(※全体通して、遠目で2回程登場のみ)ことへの苛立ち、何処に逃げているのか分らない迷走感で支配されてゆく。そしてラスト前のナンパ目的で参加したトルコの若者のよく言えば緊張感を解すユーモア、悪く言えば不謹慎な言動で観客の緊張感が緩和したところで、またもや乱射される銃声が響く。この銃声は鳴り響いている時間の方が圧倒的に多い。どれだけ銃弾を所持していたかがはっきりと理解出来る。初めには見えなかった死体が徐々に転がっていく風景も又リアルを感じさせる演出であり風景描写であろう。そして殺された妹を発見して、主人公の緊張は一気に弾け、同時に崖上からの射撃で殺されてしまう。ただ、疑問が消えないのは、あの死体は冒頭に喧嘩していた妹の顔だったのか?と・・・
そして、トルコ人が運良く逃げおおせたボート上で、懸命に看護する妹を目の当たりにして、その運命の皮肉さに深いため息をつくばかりのスタッフロールであった。“あなたの本当の色”を見せれば理解し合えるのか、それとも唯々、粛清なのか。あくまでも被害者の立場からの視点であり、監督の言葉である『真実は一つにあらず』ということならば、是非とも、加害者の背景も又題材にして欲しいと思うばかりである。そしてこの犯人は声明でも次々と自分の跡継ぎが現われると予言し挑発し続けている・・・
長回しが活かされてない駄作
映画の冒頭、主人公カヤがカメラに向かって話しかける。そこからワンカット撮影がスタートするのだが、カメラに向かい観客に話しかけたと思いきや母親との電話。
その後カヤを追いかける形でカメラマンも追従するのだが、この長時間の長回しの中で常に自分の中でモヤモヤがあった。
それは、どういう視点で自分達はこの場所に立たされているのかと言う事。
分かりやすい所で言うと、犯人が銃を乱射し始めて仲間と数人で木の陰に隠れるシーンがある。
様子を探ろうと少し顔を出しては銃声がするとビビってまた隠れる。
これを役者達がやってる分には良いのだが、カメラマンまで銃声にビビって咄嗟に隠れる。
自分なりに考えを巡らせて、
「これはカメラマンの視点かと思いきや実はある登場人物の視点であり、最後に何かトリックがあるのでは?」と思い我慢して観ていたがもちろんそんな訳もなく。
それでもって、1番最後にはこれはドキュメンタリーではなくフィクションである?
フィクションだと言い切るので有ればもっと振り切って違う脚色出来ただろ。と思ってしまった。
そしてこの主人公であろうカヤ。
この子にフォーカスを当てた意味が全くもって分からない。
何故、数多く居た中から彼女だったのか。
このカメラマンの視点は我々観客であり、
一緒に逃げ惑っていると考えればまだ幾らか救われるがそれにしてもあのラストじゃあ自分には刺激が足りなかった。
最後にカメラマンが撃たれて、這いずり回りながら生存者だけがボートで離れていくのを只々観てるみたいなラストならこの映画の評価は大きく変わったかもしれない。
この凄惨な事件を題材に選び世の中に広めようとした事には頭が上がらないが、結局多くの人に観て貰えなければ意味が無い。
最近はノンフィクション(多少は脚色してるが)物の映画は多く作られてるが、ここまで出来が悪い作品は久々に観た。
史実をテーマにした作品としても、また単純に映画としても全くもって面白味のない作品だと感じた。
(基本的に褒める事しかしないですが、長時間の長回しの野心作と言うこともあり期待し過ぎただけかも知れませんが...)
私も狙われて逃げ惑い、生き残った
世界一安全な島が一瞬のうちに地獄に変わってしまった72分間。
冒頭でオスロの官庁爆破が少し触れられ、序盤でウトヤ島でのサマーキャンプの模様が少し描かれ、唐突に鳴り響く銃声から後はただひたすらに逃げ惑うだけの映画。
重く響く銃声におののいた。
分かってはいたけど、突然凄惨な状況になるショックが大きい。
緊張と恐怖と苦しみと悲しみと混乱と画面酔いでずっと吐きそうだった。
鑑賞後はリアルに体調不良になりかけて、帰りの電車にすぐ乗れなかったしなぜか次の日筋肉痛で脚が痛かった。
カヤと妹や友人たちの些細な交流が後で響く。
「妹を探す」という無謀で無希望な目的のために飛んで火に入る単独行動には正直イラつく。
やめたほうが良いのはカヤ自身十分わかっているはずなのに。
兄を待つ黄色いコートの少年にかけた言葉はそのまま自分自身にも帰ってきて、それでもなお妹の安否をたしかめたい気持ちが勝ってどうしようもなかったんだと思う。
姉としての責任もあるし、小競り合いをしたままの永遠の別れなんて悲しすぎるから。
終始恐怖がつきまとう。
肩を打たれた少女とのやりとりには暗く沈む気持ちも大きい。
身体を起こして判明するエグい重傷と流血に焦る。
ジワジワと彼女の肉体から生気が失われていくのが手に取るように伝わってきて、命が消えた瞬間が本当に怖かった。
喪失感でいっぱいになり泣き叫びたくなる。
名前もまだ聞いていなかったのに。
海岸で再会できた軟派なマグヌスの会話が少し心に沁みて良かった。
猫の動画観たい。帰ったらケバブ一緒に食べたい。
この状況でそんなこと言われて、場違いでもちょっと笑っちゃって、カヤの知らなかった一面が知れて、ほんの少しホッとできる時間だった。
あっけないラストに鳥肌が立つ。
海岸に無数の遺体が転がっていて、パニックになりあっさり打たれるカヤと、僅差で船に助けられたマグヌスと妹エミリエ。
すっかりもうダメだと思い込んでいたエミリエの生存に喜びつつ、尚更あの時冷静になれなかったカヤが悲しくて悲しくて茫然自失としてしまう。
しかし、この上なく完璧なラストだったと思う。
カメラが最後にカヤを離れて船に乗ったとき、私がずっとカヤと共に行動していたことに気付いた。
これは疑似体験の映画だと思った。
「テロについて考えさせられました」なんてそんなもんじゃ済まされない。
私も共に狙われ、逃げ、人と出会い、生き残ったんだと思い知らされる。
分かった気になって安全圏でペラペラと話し続ける我々への警鐘なのかもしれない。
おいおいお前、そこのお前だよ!と指されている気分になった。
「分かりっこない。」と始めにカヤに言われたのが忘れられない。
どの立場でも当事者の気持ちなんて100%の実感は出来ないけど、この映画で体感したことは無駄にならないと思いたい。
真面目に考える反面、不謹慎な言い方だけどこの映画はホラー的な面白さがあった。
一人称の目線、姿はしっかり見えないけど確実にいる無差別殺人犯、突然命を奪われる恐怖はかなり大きくスリリング。
ドキュメンタリー的な学びの部分ももちろん多いが、スリラーとしてもしっかり味わえると思う。
Netflix限定配信中の「7月22日」も関連で観た。
この事件で何が起こっていたのか、なぜ起こしたのか、被害者の受けた傷など「ウトヤ島~」ではあまり触れられなかったことについてこちらではよくわかる。
「一番弱いところを突きたかった」か…。
事件後の被害者と家族の苦悩と再生の物語でもあり、学びとヒューマンドラマの要素の大きい深く胸打つ良い作品だった。
「ウトヤ島~」は当事者として、「7月22日」は傍観者として描かれているように思う。
二作併せて観るといいかもしれない。
2019年3月15日にニュージーランドのクライストチャーチで銃の乱射事件があった。
このテロ事件の犯人はウトヤ島の犯人に大きく影響を受けていたらしい。
鑑賞してからすぐ起きたこのニュースを見てひたすら苦しく絶望的な気持ちになった。
映画の最後の一文、過激な思想は広まっているらしいことをこんなことで実感する羽目になるなんて。
もっと怖いのが、私はこの映画を観なかったらこのニュースに対して「フーン」で片づけていただろうこと。
どこからが他人事でどこからが自分事になるのか、その境界ってなんなのか。
一度二度と前例が作られると三度目四度目を起こそうとする人が現れる。
撲滅なんてできるだろうか。怖い。日本だって安全圏ではない。
もはや世界中が当事者の状態にズブズブと嵌ってしまっているんだと思う。
知ったところで何か出来ることがあるのか、あったとして自分は行動できるか、全然わからない。
最近色々考えて苦しくなるけど、それでも趣味嗜好は趣味嗜好として、社会的倫理は社会的倫理として、別枠でしっかり持って生きていこうかなとはふんわり思っているけれど。
長すぎるうえに映画の感想じゃなくなってしまったな…。
主人公の行動が理解できない
悲しい事件の実話を基にした作品なので、つまらないとか言っちゃダメな気もするけど、映画としては残念な作品になってしまっていました。序盤から緊張感が続く状況なはずなのに、作りがのっぺりし過ぎてダラけてしまう。同じ描写の繰り返しなので飽きてしまい、ただただ銃声の大きな音にビクつく映画といった印象。ワンカット撮影は凄いと思いますが、手ブレガッシガシなので酔ってしまいました・・・。
また、とにかく登場人物の行動が中盤から理解不能なので、本当にこれは生存者の証言をベースにしたのか・・?と思ってしまいます。生きるか死ぬかの状況で名前も知らないキャンプ参加者の死に物凄い感情移入して自分の身を守ろうとしない、同じく初めて会った少年の身を守ろうとしまくる(そんな余裕はないのでは・・・)、隠れてるのに歌う、隠れてるのに雑談しまくる・・・。
全編渡って理解できなかった点が目立ち、且つエンドロール後の判決結果も結構ズンとくるものがあり、なんとも言えない気持ちで終わりました・・・。
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