「Transit」未来を乗り換えた男 重金属製の男さんの映画レビュー(感想・評価)
Transit
けたたましく響くサイレン。日本人の我々には耳馴染みのない音が突き刺さり、この映画は始まる。そのサイレンこそが、劇中で仏警察から逃れようとする人々の「恐怖」の象徴なのではないか。
アンナ・ゼーガースの『トランジット』を原作としている為、「迫害」「排斥」が大きなテーマとして描かれているが、その他の詳細な設定は語られない。その代わりに、そういった特徴を持つ映画は、劇中の世界が我々の生活する世界と何ら変わりのない、平行した世界であることを無言で「説明」しているのだと思う。かつ、観る者は語られない部分へ己の想像力を働かせる余地があるだろう。
パリやマルセイユの街並みや風景は、迫害されている人々の、想定される心情とは裏腹に清々しく、美しい。その対比がより一層、惑わされてはならないと、ゲオルクやマリーといった彼らの複雑な心理状態へと集中させる。昨今のヨーロッパを取り巻く移民排斥問題は深刻なようで、移民排斥運動は激化し、生きていかねばならないのに、明日の生活すら保証されていない移民たちは行き場を失うがゆえに、不法滞在を余儀なくされる。多文化主義といえば聞こえはいいが、実情は様々な問題を孕んでいて、日本でも移民を受け入れる動きが見られるが、この映画を観た後では素直に首を縦に振れなくなってしまった。もはや他人事ではないと思わされる。
もう存命しない夫を探すマリーと、意図せずその夫に"乗り換えて"しまうことになったゲオルクの構図も面白い。ヴァイデル氏の姿は劇中には一度も登場しないのであるが、マリーがゲオルクを見かける度に顔を覗き込んだり、共にメキシコへ発とうとするのは、夫とゲオルクが似通っていて、どこか重なる部分があるからなのだろうか。それに応えるかのようなゲオルクの姿勢の根拠は、マリーへの愛なのか、同じ移民として心を同期させているのか。いつものカフェで来るはずのないマリーを待つゲオルクを見ると、前者であってほしいと思い、どこかこの物語に救いを求めている自分がいる。